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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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元禄浪漫紀行(51)~(57)【完結】【改訂】

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それから、俺達家族は散り散りになってしまい、もちろん嫁に行ったおりんの元を訪ねるなんてほとんど出来ないし、独り立ちした秋夫の邪魔も出来ないと、俺達は子供達にほとんど会えなくなった。

「さみしくなったねえ…」

おかねがそう言いながら、お茶を飲む。俺は、「ああ」とだけ返す。

それから一年ほどが経ってからだ。おかねが時々咳をするようになったのは。


「ごほん!ごほん!いえ、すまないね…ちょっとお待ち、おさめるから…ごほん!ごほん!」

稽古の合間に喉を使うと、おかねの咳が始まるようになり、それはだんだんとのべつの事になっていった。


「おかね、医者に診てもらおう」

俺がそう言っても、やっぱりおかねは初めは聞かなかった。

「いいよこのくらい。風邪なんだから、すぐになおるさ」

俺は彼女の両肩をがっしと掴み、「だめだ」と言った。俺が急にそんな事をしたもんだから、おかねは驚いてしまって一瞬体を固くしたが、力を抜いた時には、「わかったよ」と小さく言ってくれた。



おかねは、多分結核に罹っている。

“どうしてこんなに病ばかり…”

俺は、自分達が天然痘に罹った時の事を思い出していた。それから、昨日おかねが咳をした後で、胸元にするりとしまった、赤い手ぬぐいも。

咳に、血痰。間違いない。

おかねは、そろそろ五十八になる。俺はまだ四十八だ。正確な勘定が難しいけど、俺は元禄元年に二十三歳で江戸へ来て、その時おかねは多分数えで三十四だったから、俺達は十歳の差がある。

いくら力をつけようとも、結核を治すのが大変だというのは、何も知らない俺だって解る。俺の居た現代でも、根絶されていないウイルスなんだ。


俺達はある日に、医者を家に呼び寄せた。おかねは咳ばかりしていて辛そうだったから、「家に呼ぼう」と俺は言ったのだ。

お医者は歳のいったお爺さんで、一通りおかねの診察をしてくれたが、最後に首を振って、「胸の病だ。なるべく力をつけなさい」と言っただけだった。


俺はしばらく、泣き暮らした。もちろんおかねの見えない時に。

“この時代に、結核に有効な治療は何もない…彼女が…彼女がもし死んでしまったら…!”

そう思って、心細くて堪らなかった。


おかねは、「おりんや秋夫には言わないでくれ」と頼んだ。「心配をさせちゃならない」と気丈夫に振舞っていた。でも、血を吐くのがしょっちゅうになってくると、「おりんはどうしてるかねえ」なんて口から漏れるようになり、俺はますます泣いてばかりになっていった。

“どうしたらいいんだ”

どうしようもないのだなんて、絶対に思いたくないのに、多分そうなのだ。


おかねの体は瘦せ細り、見る影もない。俺は、彼女がゆっくりと休めるようにもしてやれない。夜中もおかねは咳をし続けて、寝る間もなかった。

“ああ…”



俺はある晩、秋夫を家に呼んだ。戸口に立った秋夫はしばらく絶句してから、おかね目がけて、「お袋!」と叫び、抱き着いた。

「なんてこった…!なんてこった…!」

おかねの病気がなんなのかは秋夫に話してあったし、今の様子がどんなものかも聞かせた。それでも受け入れ難い、げっそりとやつれたおかねの姿。それを見てしまった秋夫は、この先が分かってしまって、わんわんと泣いた。

「なにさ、秋夫、泣くんじゃない」

風がさざめくような微かな声で、おかねはそう言って笑った。