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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Static

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 顔面蹴り未遂のときもそうだったけど、クロスケの家を訪ねるのはどういうわけか、私になるらしい。さすがに眠れないし、ちょっと気を遣ってもらおう。私は前髪をピンで留めると、眠そうな顔を演出しながらマスクをつけて、家の外に出た。黒沢家の前に『堀江解体』と書かれた軽自動車が停められているけど、中には誰も乗っていなかった。玄関の門は開けっ放しで、あちこちにテープが貼られている。親戚の人はいなくて、もう業者の人が鍵を預かっているみたいだった。
「あのー」
 私は玄関から覗き込むように声を掛けた。さっきまでうるさかった声は、外からだと意外に聞こえない。空耳かどうか試すみたいに一人が出てきて、私の顔を見るなり額からずれたタオルをずり上げて、お辞儀をした。
「はい、こんにちは」
「すみません、隣の中町なんですけれど。ちょっと声がよく通るので……」
「あ、うるさかったですか。すみません、お休みのところ」
 短いやり取りで要求は通り、私は家に戻った。基本的にきれいに整理されているけど、おばあちゃんの定位置だけが何でもすぐ手に取れる仕様になっているから、本人がいないと余計にぽっかりと空いて見える。特に悪いことをしているわけじゃないけど、私は肩をすくめながらそこへ腰を下ろした。家の玄関が見渡せて、右側にはアルバム、左側にはスケッチブックがある。もう新しく何かを足すことはないのかもしれないけど、カメラと鉛筆画を趣味にしていたおばあちゃんの足跡そのものだ。今まで存在すら知らなかったけど、両方とも当たり前のように目立つ場所へ置いてあった。
「なかなか快適だな……」
 そう思って目を細めたとき、ダイニングの方から話し声が聞こえてきて、私は体を起こした。また、解体業者の人たちが話している。さっき注意したばかりなのに。そう思いながらダイニングまで行って耳を澄ませると、まるで同じ部屋で話しているように声が響いた。
『これ、壁おかしくねえか? 薄すぎるぞ』
『そりゃ、隣のねーちゃんもキレるって。馬鹿、聞こえるだろ』
 自分で言っておきながら馬鹿って。私は思わず笑い出しそうになったけど、その意味に気づいて両手で口元を押さえた。これって、逆も同じ?
「あのー」
 私が壁に向かって呟くと、会話が止まった。
『え、これ聞こえます? さっきの人ですよね』
 タオルをずり上げていた人の声だ。私は言った。
「そうです。私の声も、はっきり聞こえます?」
『はい。いや、こっち側ね。壁がほとんど抜かれてて。そりゃ迷惑なはずですわ。ごめんなさい』
 私は後ずさった。ここは、中町家が悪意を交換し合う場所だ。昨日ですら、ありとあらゆる罵詈雑言が飛び交っていた。それがずっと筒抜けだったなんて。
 でも、私たちは黒沢家の会話を一切聞いたことがない。
 もしかして、何も言うことなく、私たちの話をずっと聞いていたの? 
 私はおばあちゃんの特等席まで緊急避難して、無意識にスケッチブックとアルバムを体に引き寄せた。少なくとも私は十年間、ありとあらゆる悪態をついてきたし、お父さんとお母さんがそうしていた時間は、もっと長いはずだ。二人にメールしたいけど、もう解体業者が来ているし、全てが終わった後なのだ。そして今は、立場が逆になったみたいに、壁の向こうからタオルの人の声が聞こえてくる。多分加減してくれているんだろうけど、もうどんな音でも耳に入ってしまう。私は二階に上がって、自分の部屋へ飛び込んだ。両手がアルバムとスケッチブックを離そうとせず、私はベッドの上に座ってようやくそれを傍に置いた。ずっと聞いていたとして、それはクロスケの面々にどう影響したのだろうか。近所でありながら、挨拶もほとんどしたことがなかった。
 記憶を辿る助けが欲しい。そう思って、私はアルバムを開いた。子供の頃の私や、花の写真。お母さんの仕事道具や、ちょっとゴツゴツしたお父さんの手。おばあちゃんが『必要だ』と思った全てが、そこに切り取られていた。几帳面な性格なのは、写真の下にきっちりと添えられたメモ書きが証明している。例えば、お母さんがテストの採点に使うマーカーや教材は『娘のメシの種』。表現が面白くて、私はおばあちゃんのそういうところが好きだった。お父さんの手に『大黒柱の手』と書いてあるのも、いい感じだ。何枚かめくっている内に、まだ子猫で拾われたばかりのワチャコが登場した。メモは『新しい家族、猫』。そう、中町家には珍しく、名前を決めるまでに時間がかかったんだっけ。めくっている内にワチャコの比率が増えていき、私は苦笑いを浮かべた。こんなに撮っていたなんて、全然知らなかった。まあ、知ろうともしてなかったんだけど。
 同じ写真の繰り返しが増えてきて、私はスケッチブックを開いた。こっちは鉛筆画で、写真には残せなかった景色がおばあちゃんの頭の中を通して描かれている。写真と違って、そのタッチはあるタイミングから少しずつ荒っぽくなっていったけど、メモだけは達筆で、日付と共に一筆が添えられていた。晩御飯にチャレンジするお父さんの横顔や、当時好きだったアイドルのクリアファイルに寄り添うように眠る私。写真よりこっちの方が個人的だ。そして、全部日付を書いてくれているから、思い出とも繋がりやすい。例えば、おばあちゃんの膝の上で眠るワチャコの絵は、添えられた日付によると私が高校二年生だったときに描かれたものだ。さらにページをめくろうとしたとき、階段を軋ませながら解体業者が二階へ上がってくる音が響いて、私は思わず顔をしかめた。二階も同じように壁は薄いらしい。
『ほんと静かにしろよ。普通の家じゃねえぞここは』
 タオルの人は、ずっと気を遣ってくれている。私は思わず微笑むと、ページを繰った。またワチャコの絵で、姿勢は微妙に違うけどおばあちゃんの膝の上の景色だ。どうもおばあちゃんはボケ始めてから、同じ写真や絵を残すようになったらしい。さらに何枚かめくった辺りで突然ワチャコの絵が途切れて、私は目を見開いた。画用紙が全面、真っ黒に塗りつぶされている。それも一枚じゃなくて、何枚も。私は真っ黒に塗りつぶされた画用紙を少し顔から離した。真っ黒なようで、少しだけトーンの違う箇所がある。何を描いたのかが分かって、私はスケッチブックから思わず手を引いた。これは、電気を消した部屋だ。そして、その真ん中に人が立っている。メモは全て同じだった。
『誰?』
 何かが、この家にいた。今、おばあちゃんが何度も『おあいそなしで』と口癖のように言うのは、この記憶があるから? 家の中に入り込んでいた『何か』を見ていて、それに帰ってほしかったの? 冷房もつけていないのに部屋がしんと冷え込んだとき、壁越しに話していた解体業者のひとりが、全く抑えていない声で言った。
『これ、骨か?』
『おいおい、触るなって。なんだこれ』
作品名:Static 作家名:オオサカタロウ