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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Locusts

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 橋本は顔にかかった前髪を払うと、玄関に戻って置きっぱなしになったスーパーの袋を掴み、一秒も目を離したくないように早足で居間まで帰ってくるなり言った。
「ポン松さん、ほんまに一回しか聞きませんけど。マジでなんすかこれ?」
「三千万、ちょろまかした。それで、赤鬼と青鬼は俺にキレてる。後始末したいからずっと戻りたかってんけど、外の人間がおったら手は出さんやろってことで、この子に一緒に来てもらった。でもなー、自分かて神待ちしとったわけやん」
 ポン松の目が向き、川手は自分の落ち度をまっすぐ非難されたように、目を伏せた。橋本が庇うように両手を打ち合わせて自分に注意を向けると、言った。
「三千万パクりました、はい。で、外に女作ってのくだりと、それって何か繋がります?」
「繋がるよ。こんなカスみたいなとこ、永遠におさらばしようって思ってたからね」
「でも、戻ってきたんですね」
 橋本が言うと、ポン松は全てを諦めたように首をすくめてから、うなずいた。
「そら、金ごと逃げられたからな。今の俺はすっからかんやで」
 川手が思わず息を呑んで、両手で口を覆った。橋本はその上品な仕草を見て、笑った。
「川手さんがショック受けてるやん」
「その女の人、ひどくないですか?」
 川手が言うと、橋本は首を傾げた。
「仲間から三千万パクる方が、悪いんちゃう? その辺どうなんすかね、ポン松さん」
「ここらの人間は、動物と変わらんやろ。いや、動物の方がまだ賢いわ。そんな連中から何をパクっても、良心なんか痛まんて」
 ポン松がすらすらと言い、橋本は我が意を得たように川手の方を向くと、言った。
「わたし、B棟に住んでるんやけど。住人の前で、平気でこれ言える人やからね」
 ポン松は橋本を無視してスーパーの袋を開け、弁当を取り出して顔をしかめた。
「お前、コストカットしすぎやろ」
「すんませんね、動物なもんで」
 そう言うと、橋本はカーテンを閉めた。もうひとつ袋があることに気づいたポン松が中を覗き込もうとしたとき、首を横に振った。
「それは、うちの晩御飯ですねん」
「豚コマにピーマン、ブロッコリー。ええなあ」
 ポン松が袋をそっと閉じながら言い、橋本は部屋を眺めて声を落とした。
「電気点けとって、大丈夫なんすか?」
「むしろ、おるって分かってた方が、連中は安心する」
 ポン松は弁当を二つ並べて、川手の方を向いた。
「どっちがいい?」
 川手があっさりした方の弁当を選んだとき、橋本はポン松に向かって言った。
「ちょっと、勝手に話さんといてくれます?」
「なんで、お前を通さなあかんねん」
 ポン松は鼻で笑うと、スナック菓子の封を切った。橋本はスマートフォンを取り出すと、誰からもメッセージが来ていないことを確認しながら、考えた。翔に頼んで、川手だけをこっそり外へ逃がす。できないことはないが、見張りが解かれない限り、誰にも見られずに出て行くのは無理だし、うちだって火種を呼び込みたくはない。頭の中が高速回転を続けるままカーテンの隙間から駐車場を見下ろしたとき、C棟の駐車場にヴェルファイアが停まっていることに気づいて、橋本は思わず息を止めた。ポン松が気配で気づき、橋本は忙しなく手で呼びながら言った。
「キノ、帰ってきてますよ」
「マジか、なんか雑誌の取材受けるみたいな話、しとったけど」
「何が保険ですか。キノがおったら身動き取れんやんか……」
 橋本はそう言うと、諦めたように床に座り、お菓子の袋を開けた。
「すみません、色々と買ってきてもらって」
 川手がぺこりと頭を下げ、橋本は同じように頭を下げて応じながら、言った。
「川手さん、家出中なん?」
「はい、今日だけなんですけど。ちょっと家に帰りたくなくて。やり方は先輩に教えてもらいました」
 橋本はポン松の方を向くと、言った。
「洗面所、貸してくれません?」
「どうぞ」
 ポン松が言うのと同時に橋本は立ち上がり、洗面所に入って鏡に映る自分の顔を見つめた。今の自分は、人を諭せるような顔をしていない。ずっとそうだったし、あの子が二十四歳になるころには、もっとしっかりした顔立ちになっているだろう。言いたいことはいっぱいあるけど、この顔を通して飛び出した言葉には、説得力があるだろうか。金髪も、両耳を重力で引っ張りつづける大きなピアスも、今は全てが邪魔をしている。深呼吸をしたとき、焦げ臭い匂いが鼻をついて橋本は洗面台を見下ろした。ホームセンターの袋から着火剤が顔を出している上に、台の上で何かを燃やした跡がある。ゴミ箱にはインスタントカメラが捨てられていて、橋本は居間に向かって大きめの声で言った。
「なんか燃やしました?」
「燃やしましたー」
 ポン松の声がすぐに返ってきて、橋本は前髪を後ろに流して額を出すと、できるだけ真面目な表情を作った。外がどんな状態かは、全く予測がつかない。翔は見張れと言われているだけだし、他に役割を与えられている人間はたくさんいるに違いないが、全員が部品だ。おそらく、誰も全容を知らないだろう。橋本は洗面所から出て二人の前に戻ると、言った。
「キノは、何で戻ってきたんですかね?」
 スナック菓子を数個掴んで左の頬に放り込んでいたポン松は、顔が歪んだまま首を傾げた。
「知らんけど、なんか察したんちゃうの? あいつはマジで勘いいからな。赤鬼と青鬼からしたら、大打撃やと思うわ。あいつら、三千万の件をキノに通してないし」
 もし、キノがそれを察して帰ってきたのなら、今晩は大騒ぎになる。橋本は思わず爪を噛むと、悪い癖を振り払うように手を遠くへやった。もしかしたら、集会場の鍵を借りにくるかもしれない。あの場所では、色々な悪いことが起きる。窓に防音材が貼られていて音がほとんど外に漏れないから、電気が点いていても中で何が起きているかは分からない。去年、キノが集会場を使った後で掃除に入ったときは、無数のガラス片と耳が落ちていた。その前は歯が数本。本剛団地がまっすぐ建っているために必要な犠牲かといえば、そうでないときもあるはずだ。
 ポン松が達した結論に自分も辿り着いたように、橋本は向かい合わせに座る二人を見守るように、腰を下ろした。テーブルに自然と目が向き、スナック菓子を吸い込むように食べるポン松が弁当に手をつけていないことに気づいて、橋本は言った。
「食べへんのですか?」
「弁当? おるんやったら、橋本が食べ―や。メシ逃したんちゃうの?」
 橋本は小さく息をつくと、弁当を食べる川手の方をちらりと見た。十四歳、家出に至るきっかけなんて山ほどあるし、アホ毛に染まってだいぶ鈍くなった今でも、自分が同じぐらいの年だった頃のことは鮮やかに思い出せる。そんなとき、いつだって心の隙間に入り込んでくるのは、こうやって何気なく弁当を取っておいたりしてくれるような人間だった。でも、信じたら最後、ハズレくじを引く確率はかなり高い。
「川手さん。とりあえずご飯食べたら、わたしが駅まで送っていくから。ここはやめとこ」
作品名:Locusts 作家名:オオサカタロウ