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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Locusts

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 橋本は小さく息をついた。そんなお金、財布に入っていない。ポン松はお釣りをくれと言うタイプではないから、お菓子なりお弁当を買った残りは、こっちの懐に入るのだろう。橋本は、通路を逆に歩いてペットボトルのジュース三本とポテトチップスひと袋をカゴに放り込むと、見るからに乾いた半額弁当を二つ取ってレジへ向かった。
   
 木之元渉は、高校を出るまでどのグループにも属することはなかった。中学校辺りで作られ始める派閥にも無頓着で、高校に上がってもそれは変わらなかった。人とつるんで何かをするというのが全く性に合わないという、ただそれだけの理由だったが、木之元を仲間に引き込もうとする人間は決まって、裏切られたような表情を見せた。無口だが人当たりが悪いわけではなく、『ワタル、一緒になんかおもろいことしようや』という誘いを断るような雰囲気も醸し出していない。ただ、断るときの言葉は常に決まっていた。
『ごめん、団体行動苦手やねん』
 二十六歳になった今でも、それは変わっていなかった。考え方は単純で、人が一斉に同じ方向を向くときは違う方向を向いて、周りの人間が見落としているものが何かを知っておきたいという、ただそれだけだ。そして、その考え方だけでは生きていけないということも理解している。仲間は必要ないにしても、見て見ぬふりをしてくれる人間は多い方がいい。それを教えてくれたのは早川で、そのとき木之元はすでに左手首の骨を折られていた。八年前で、ちょうど高校を出る年。きっかけは、四〇五号室の糸井とバイクの停め方で揉めるという、些細なことだった。糸井は二歳年上で、トリッカーを二台分のスペースに跨いで停めていた。ある日、自分のバイクを停めようとする目の前でそれをやったから、木之元は糸井の腹を手加減せずに殴った。それ自体は日常生活の一部と言えるぐらいに、いつもやっていることだったが、自分には『見て見ぬふり』をしてくれる人間がひとりもいなかった。結局、あらかじめそうなることが決められていたように、糸井が数人仲間を連れてやってきた。早川がうんざりしたような表情で間に入り、事態がエスカレートしすぎないように当事者たちの顔を交互に見た。言われることは、大体想像がついていた。噂で聞く限りでは、早川は頭の回転が速く、暴力で恐怖政治を敷くタイプではない。結論は『そういうことは、おれに相談しろ』で、いきなり殴った代償はおそらく、糸井からのお返しの一発。そこまではっきりと、先が見通せた。
 だから、早川が言葉を発するよりも前に、木之元は袖の中に隠していた千枚通しを糸井の頭に刺した。骨で跳ね返るだろうと軽く考えていたら、耳の真下にある骨の隙間に滑り込み、顎と舌を貫通した。すぐに取り押さえられて、当事者でない仲間にタコ殴りにされて手首が折れたが、糸井は千枚通しの柄が顔から突き出したまま、放心状態でその場に座り込んでいた。
 早川は、木之元の首を最後まで押さえていたひとりを蹴ってどかせると、他の『仲間』も追い払った。さすがに団地から追い出されるかと木之元が覚悟を決めたとき、早川は糸井の目の前で指を鳴らしながら『おーい、生きてるか』と言って笑った。どちらの味方でもなく、ただ調停するだけの力を持った人間。状況を常に上から見下ろしていて、面白い方につく。そうやって早川は、木之元渉を選んだ。
 木之元は信号待ちでヴェルファイアのハンドルをこつこつと叩きながら、バックミラーに視線を向けた。本剛団地までの道を引き返しながら色々と思い出すのは、仲間に引き入れられて八年が経った今、力関係の分岐点に来ているからだ。今の関係をひっくり返そうとか、そういう野心は全くないし、手元に転がり込んできたトラブルを追い払う以上のことはしていない。その追い払い方に容赦がないから、恐れられているだけだ。もちろん、早川の怖さや人をたらしこむ力が弱っているわけではない。ただ、特にポン松が消えてからは、話し合いや懐柔が早川で問題事の解決が自分という風に、明らかな役割が生まれつつある。今日も同じだ。
 ロッカクに行くときは、先に店の前で早川を降ろして次の信号でUターンし、道の反対側にあるコインパーキングへ車を停める。今日はUターンする代わりに、早川にメッセージを送った。
『ちょっと、一旦戻りますわ。また迎えに来ます』
 赤鬼と青鬼の両方が、C棟にいない。A棟をうろついているのは知っているが、どういうわけか車で裏道の方まで見回っているらしい。メッセージが届いたのは、ちょうど店に着く直前だった。いつもなら、こんなつまらないタレコミだけで戻ったりはしない。木之元は自分を足止めするように中々青に変わらない信号を見上げながら、ハンドルを叩く指を止めた。
 実際のところは、単純に小森と会うのが少し気まずいだけだ。こちらからすると、別れるというのは『団地全体との関わりを断ってもらう』という意味だったが、小森は『交際を終える』という一点以外の全てを、別れてからも続けている。こちらは、そんな器用なことはできない。関係を断つならゼロにしたいし、復縁ならはっきりよりを戻したい。
 信号が青に変わり、本剛団地に続く片側一車線の道を進みながら、木之元は赤鬼に連絡を取るか迷ったが、その代わりにダッシュボードを開けて、シースケースに入った小型のナイフを取り出すと上着のポケットに入れた。
 本剛団地に近づいているということは、落書きの数で分かる。タグのような意味はないし、ここに落書きをする連中はそもそも、落書きでコミュニケーションを取る頭を持ち合わせていない。最初は、中学を卒業したら出て行こうと思っていた。C棟の五〇四号室は日が当たらず常に湿っていて、夜に薄く息を吸いながら寝るだけの場所だった。あのとき糸井のバイクを蹴っていなかったら。いや、千枚通しで顎を串刺しにしていなかったら、今でも五〇四号室にいたかもしれない。そして、C棟は最悪だ。本剛団地には目くそ鼻くそながらに階級があって、最も食い詰めた人間はC棟にいる。A棟とB棟は、その日当たりの良さが示すように、まだ未来がある。未来がある棟と、未来がない棟。その二つを隔てるのは大きい広場で、集会場の建物が真ん中に建っている。学校の講堂のような立派な建物だが、一切の集会を許さないように何重にも巻かれた鎖で施錠されていて、気軽には使えない状態だ。設計した人間は、そこで文化的な催し物を開催できるように考えたのだろうが、そういう方面での役割が果たされているのは見たことがない。
 関係者以外立ち入り禁止と書かれた看板を通り過ぎて、ナトリウム灯がオレンジ色に照らすC棟の駐車場に入ったとき、いつもヴェルファイアを停めている枠の前を塞ぐようにステップワゴンがハザードを焚いていることに気づいた木之元は、無意識に舌打ちした。スライドドアが開いて子供が二人降りると、助手席から母親らしき女が降りて、運転席に向かって手を振った。『地べた』にたむろする何人かが見ている感じからすると、誰かの知り合いというわけではないらしい。
作品名:Locusts 作家名:オオサカタロウ