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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Locusts

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 家庭料理のコマーシャルに出てくるような笑顔。おしぼりを掲げる姿を見た宮田は、できるだけ失礼にならないように頭を下げながらその申し出を辞退し、慣れた手つきでテーブルの上から水滴を拭き取った。
「新しいお冷、お持ちします」
 宮田はピッチャーを取りに行きながら、席に案内した数十分前のことを思い出していた。『四名でお待ちの掛井様』だ。父と母は三十代後半、男の子は高校生か中学三年生で、女の子は小学生高学年か、中学一年生。ファミリーレストランには、様々な『家族』が訪れる。特に、こういう控えめな価格帯の店には。最悪な日は、動物園のように感じることすらある。しかし、四名の掛井様はもの静かで、三十分近く待たされたにもかかわらず、店員に対しては終始丁寧だった。今までの人生をずっと波風のない湖で過ごしてきたような、落ち着いた物腰。会話から聞き取れたのは、男の子が敦史で、女の子が瑠奈だということ。
 新しいお冷を置いたとき、敦史が小さく頭を下げ、瑠奈が言った。
「おっちょこちょーい。おっちょこ丸」
「ちょっと手が当たっただけやんか」
 敦史の言い訳に、母が呆れたように笑った。
「向こうではちゃんとしてよー、もう」
 父が宮田の方を向くと、言った。
「これから親戚のとこへ行くんです。僕に似て、緊張しいなんですわ」
 四人家族の誰が会話のどの部分を担当するか、その役割が予め決められているようだ。それだけ息が合っているということでもある。宮田は愛想笑いを返し、一列手前の卓の注文を取りに向かった。注文を端末へ入力している間も、掛井家は自然と目線に入る。
「瑠奈、スイーツ系はええの?」
「うん、お腹いっぱいになってもた」
 瑠奈と母の会話。そこに敦史の笑い声が混ざる。
「絶対、コンビニ寄ろうって言う」
「言わんし」
「調べたけど、こっから本剛団地までコンビニないからな。言うても知らんで」
 敦史が言い、瑠奈はふくれ面を作ると少し俯いた。
「頼らんし。もう、一生コンビニ寄らん」
 厨房に注文を通して、宮田は時計を見上げた。あと一時間は、ひっきりなしに客がやってくる。本来ならぼうっとしている場合ではないが、『リーダー』の名に相応しいテキパキした動きに、どうしてもブレーキがかかる。よりによって、行き先が本剛団地とは。比較的平和なこの界隈から車で十五分ほどの場所にあるが、誰も近寄りたがらない。子供の頃は従兄弟が住んでいたから、家族総出で遊びに行くことがよくあった。ほとんどが休日の昼間で、違和感は全くなかった。何かがおかしいと感じたのは、自転車を乗り回すようになって行動範囲が広がり、学校帰りにちょっとした冒険心で従兄弟を訪ねたときだ。平日の夕方は、違う場所に着いたのではないかと思うぐらいの別世界だった。従兄弟には会えなかったが、特に何の被害にも遭うことなく帰れたし、以降は近寄らないようにしているから直接酷い目には遭っていない。ただ、その名前を聞く機会は、学年が上がるごとに増えていった。もっとも酷かったのは中学校のときで、同級生の中松が前を通っただけで自転車を倒され、所持金とスニーカーを盗られた上に、頭を何針も縫う大怪我をした。警察が聞き込みをしても、あれだけの世帯数がある団地で『目撃者』はひとりもおらず、中松も積極的に話さないから迷宮入りになった。
 いざ大人になって見下ろせば、普通の家族も住んでいるし、団地の一員とみなされている人間は平和に暮らしている。掛井家の親戚がそのひとりだとしても、不思議ではない。厨房を抜けて、休憩室との間を繋ぐ短い廊下で立ち止まると、宮田は壁にもたれかかった。同時に、休憩を終えて出てきた雨野輪花が隣に並ぶと、真横から肩をぶつけて口角を上げた。小柄だから、いつも肘打ちされたように感じる。
「リーダー、どした?」
 雨野が言い、宮田は肩をすくめながら答えた。
「疲れた」
「何に? 少子化問題? 脱炭素?」
「バイト」
 宮田はそう言うと、宙を見上げた。今年二十四歳になる雨野は、自分と同じルートを辿ろうとしている。大学を卒業して一年経つが、就職活動をしている様子はない。お手頃価格で胃袋を満たせるレストランチェーンの小さな歯車だ。それでも、二十五歳の自分よりは取り返しがつく。
 雨野に『リーダー』と呼ばれても、からかわれたようには感じない。ただ、このままではいけないという全く別の思考回路に火が入る。宮田が壁から背中を離すと、雨野は仕事モードの表情に切り替えて、制服の襟を鏡でチェックしてから言った。
「レジ行きます」
 雨野が入ってから三年になるが、その間に何度か、付き合っていると間違われた。波長が合うから、会話している姿を見たらそう勘違いされても仕方がない。しかしお互いに恋人がいた時期もあれば、どちらもフリーで何も起きなかった時期もある。ただ一度だけ、『このファミレスに骨を埋めるわ』と言ったとき、雨野はいつになく真剣な表情で応じた。
『ダメ』と。主語もなければ、理由もない。ただひと言、明確に否定した。短い言葉だったから余計に頭から離れないし、言われてから二年も経つのに、鮮度を保ったまま時折頭に割り込んでくる。何がダメなのかは分からないが、確かにダメなのは理解できる。
 エプロンの右ポケットが濡れていることに気づいた宮田は、それを足掛かりに頭を切り替えた。さっきお冷を拭きあげたときにそうなったのだろう。襟の形を整えてから店内に戻って再び注文を取り始め、次に店内を見渡したときは、掛井家の座っていた九番テーブルには別の家族が座っていた。
 雨野は会計を済ませた家族を見送り、上着を羽織り始めた別の家族連れに視線を向けながら、テーブル番号を確認した。最初は周りのペースについていくだけで一日が終わっていたが、慣れてしまうと動きを先読みできるようになった。今のわたしは『レジ』。どんな状態であっても、人は名前をつける。レジにいないときは、ホール。店にいないときは、就職浪人。学部生時代に遊び過ぎたと言えば、それまで。いつかは乗り換えないといけない電車で、終点まで来てしまっただけのことだ。卒業だけが確定したとき、店長には『ウチで社員になるか』と言ってもらったし、それは今でも有効だ。しかし、就職浪人先輩の宮田を見ていると、そのまま落ち着きたくないと考えてしまう。リーダーと話すのは楽しい。バイトが終わればそのまま店で一緒に晩御飯を食べたり、帰り道に『市場調査』と称して違うチェーンのレストランに寄ったりする。でも本当は、お互い違う場所で全く関係のない仕事をしていて、駅で待ち合わせて居酒屋に寄るような、そういう関係になりたい。
 今日は、店でまかないを食べる日ではなく、『市場調査』の日。いつもバカな話しかしないわたしが『週末に開催される就職セミナー、一緒にどうですか』と言ったら、リーダーはどんな顔をするだろう。

「これは、マジでヤバイ」
 丸めて端に寄せたこたつ布団にもたれながら熊毛翔が言い、どこまでが布団か分からないぐらいのだらしなさに、橋本ひなたは笑った。
「こたつがなんか言うとんで。どうしたん?」
「青鬼がピリついとる」
作品名:Locusts 作家名:オオサカタロウ