Locusts
ポン松が言うと、真希子は先を促すようにエントランスの方向へ顔を傾けた。ポン松が先頭を歩き出し、瑠奈に背中を押された川手が足を踏み出して、ナイフの刃が体から逸れたとき、ポン松は振り返った。目が合った瑠奈がナイフに力を込めたとき、ポン松はその左手をまっすぐ伸ばした手で掴み、力ずくで引いた。川手は瑠奈とポン松の間に挟まれそうになって前に倒され、ポン松は瑠奈の体をもう一度強く引くと、脇腹に膝蹴りをめり込ませた。華奢な体がくの字に折れて、ポン松が捕まえた左手を支点に瑠奈がバランスを崩したとき、真希子がレディスミスをポン松の頭に突き付けた。銃口をまっすぐ見返すと、ポン松は言った。
「撃ちます? お金の場所は俺しか知らんけど、ええの?」
ポン松はそう言うと、瑠奈の手を逆さまに捻って、体を勢いよく壁に叩きつけた。車同士が衝突したような鈍い音が鳴り、瑠奈はそれでもナイフを頑なに離すことなく、苦痛に顔を歪めた。川手は、自分と同世代の子供が大人の圧倒的な力で振り回される様子を見て足の力が抜け、手を使って床を這い始めた。ポン松は瑠奈の手先からナイフを取ろうと試みながら、言った。
「死ぬでー。ええんかー?」
真希子は銃口を向けたまま、歯を食いしばった。引き金にかかった指に籠る無意識の力を浅い呼吸と共に緩めると、言った。
「離しや」
川手は自分の頭に銃口が向いたことに気づき、這うために前に出した手を止めた。ポン松は視線を川手に向けて、その存在に初めて気づいたようにため息をついた。
「めっちゃ時間あったやろ、なんで寝てんねん」
瑠奈の手を離すと、ポン松は同じ手を川手に差し出した。川手はその手を触る気にはなれず、自分で立ち上がった。ポン松が瑠奈に振るった容赦のない暴力は頭の中で到底噛み砕けず、涙になって頬を伝った。ポン松は気まずそうに頭を掻くと、言った。
「あー、ちょっと無茶やったか。ごめんごめん」
川手が全てを受け入れたように集会場の方を向いたとき、瑠奈はナイフを逆手に持つとポン松の背中を斜めに切りつけた。上着に血が滲み、瑠奈が続けて肩や腕にナイフを走らせると、ポン松は顔をしかめながら飛び回った。
「痛い痛い! 分かった分かった。ごめんて」
真希子は瑠奈を目で制止すると、ポン松を再び先頭に出して、言った。
「次は撃つで」
「それは先に言わんほうがええと思うよー」
ポン松が言い、真希子はその背中を力任せに蹴って歩かせた。
橋本は目を逸らせ続けていたが、耳から入ってくる情報があまりに多すぎて、そのまま意識を失いたいとすら思っていた。敦史は、ポン松と翔の連絡先を咄嗟にブロックリストに入れて、隠してくれた。しかし勝則が気づいた以上、もう何が起きても不思議じゃない。勝則はエアウェイトの銃把で敦史を殴りつけて地面に倒した後、その矛先を青鬼と木之元に向けた。制裁の『蹴り』が一周した後は、その矛先がこちらに向きつつある。
「なんかなー、お前ら感じ悪いなあ! こそこそ隠しやがって」
勝則は橋本の方を向くと、今日一番悲しい出来事に遭遇したように、眉をハの字に曲げた。
「橋本さん。君だけは、こんなアホ二人とは違うと思っとりました。ポン松とやり取りしてるって、なんで言わんかったん? これやったら、君をポン松の部屋に送り出したら全部終わってたのに」
橋本は答える代わりに、勝則の背後で横倒しになった木之元と目を合わせた。木之元はゆっくりと首を横に振った。何をしようが、顔を見ているのだから最後には殺される。目線のやり取りには気づかないまま、勝則はスマートフォンを取り出して真希子からのメッセージを読み、口角を上げた。
「川手さんも来まーす」
橋本は顔色を失って目を見開いた。部屋が分からなかったのだろうか。真希子と瑠奈に鉢合わせしている場面など、想像したくもない。勝則は、仕切り直すように橋本の顔を覗き込むと言った。
「でさ、この川手ってのは誰なん?」
橋本は目を逸らせた。勝則が拳銃を逆さまに持って振り上げたとき、裏口側の真っ暗なスペースで影が動いたことに気づいた。弟より少しだらしない体つきに、頭を使いすぎて疲れ切ったような顔。赤鬼がいる。橋本は勝則の目を見返すと、言った。
「川手さんは、わたしの新しい友達」
勝則がひゅうと口笛を吹いたとき、橋本は深呼吸をしてから叫んだ。
「お前な、もう死ね! あの上品ぶった嫁と死ね! 子供をなんやと思ってんねん。あんなん虐待やろ!」
勝則はその剣幕に目を見開き、思わず後ずさった。
「急にキレたで」
橋本は、赤鬼が合図を受け取ったようにゆっくりと歩き出したことに気づいて、続けた。
「子供にばっかやらせて、自分で殺してみろや。銃持ってなかったら、お前なんかただのポロシャツ着た黒縁眼鏡やわ!」
「みんな眼鏡イジるけど、そんな似合わん?」
勝則が言ったとき、すぐ後ろまで歩み寄った赤鬼はスタンガンを背中に押し付けて、スイッチを入れた。勝則の体が跳ねるように反り上がり、赤鬼は勝則をそのまま地面に倒すと、スタンガンをめり込ませるように押し込み続けた。勝則の体がだらりと垂れて、意識を失ったことを確認すると、赤鬼は敦史の方を向いた。敦史は首を横に振り、自分はもう敵ではないということを目で示した。赤鬼は青鬼と木之元の方を向くと、最後に掛井の方を向いた。
「なんなんすか、こいつら」
赤鬼は息を切らせながら橋本の背中に回ると、ショルダーバッグからニッパーを取り出して、橋本の手足を縛るタイラップを切り離した。自由を取り戻した橋本は体を起こすと、自分のスマートフォンをテーブルから拾い上げてポケットに入れ、赤鬼に頭を下げた。
「あざす……」
赤鬼は若干自分に酔っているような笑顔を橋本に向けると、青鬼のタイラップを切ろうとして、切り落とされた指に顔をしかめた。
「お前、指……」
「実況中継とかいらんし。はよ切ってや」
赤鬼がタイラップを切り、青鬼は体中の痛みをこらえながら立ち上がると、無事な左手に勘を取り戻させるように、何度か上下に振ってから呟いた。
「あー、くそったれやな」
掛井は敦史のところへ駆け寄り、言った。
「動けるか?」
敦史はうなずき、正面入口へ目を向けた。
「瑠奈が外にいます」
青鬼はうつ伏せに倒れた勝則の背中からエアウェイトを抜くと、指が全部残る左手に持って目線の位置に掲げ、橋本が見ている目の前でシリンダーを開けながら、言った。
「橋本さん、翔のことはごめんな」
橋本は首を小さく横に振った。今はまだ、誰かのせいにできるほど心に余裕がない。青鬼は、赤鬼が木之元の傍に屈みこもうとしたことに気づいて、言った。
「そいつはええで」
橋本は呆気にとられて、青鬼と木之元の顔を交互に見た。木之元は仰向けになったまま赤鬼の顔を見上げると、その目をまっすぐ見返して言った。
「弟の言うこと聞いとけや。殺すぞ」
赤鬼が考えを改めたように身を引き、橋本は青鬼に言った。
「こんなときに、仲間割れですか? まだ外にいますよ」
青鬼の目が掛井と敦史に向いていることに気づき、橋本はゆっくりと敦史の側に移動した。青鬼の視線が敦史の前で止まり、赤鬼が場を収めるための言葉を発するよりも前に、青鬼は言った。