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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Locusts

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 どうなったのだろう? 川手は握り締めて真っ白に変色した爪を眺めながら、考えた。それでも、橋本の彼氏は殺されてしまったのだろうか。隙さえあれば足から力を奪い取ろうとする無力感を跳ねのけて、川手は立ち上がった。一番悲しいのは、私なんかじゃない。棚と目線の位置が揃い、川手はその上から見下ろすクマのぬいぐるみに気づいた。橋本が実家から持ってきた仲間のひとり、『こぐまのプー』。川手は吐く息がまだ震える中、小さく目礼をした。
「お邪魔しました」
 今すぐ、橋本を助けなければならない。
 
 手を掴まれて倒された場所にそのまま体育座りをする瑠奈は、勝則と真希子が橋本の手足を拘束して青鬼の隣に座らせる様子を見ていたが、ずっと交わしている会話のボリュームが少しずつ大きくなって、自分の小声を覆い隠すぐらいになったことを確認してから、隣に座る敦史に言った。
「逃げる話やけどな……、マッキーも連れていったらあかん?」
 敦史は首を小さく横に振った。瑠奈は真希子と仲が良い。それは勝則が『体罰』を担当していて、真希子が勝則のブレーキ役だからだ。しかし、勝則がブレーキ担当なら、真希子は容赦なく暴力を振るうだろう。
「やめとこ。あいつが優しいんは、カツとのバランスを取るためや」
 敦史はそう言い、掛井が聞き耳を立てていないことを確認するために、視線を泳がせた。掛井は疲れ切った様子で、自分を経由してやってきた揉め事ではないと言いたそうに、服の裾を掴んで眺めたり、頭の一部を爪で掻いたり、できる限り気を逸らせて忙しそうにしている。聞き耳を立てられるような状態ではないことを確認したとき、瑠奈が答えをこっそり覗き見るように敦史の方を向いた。
「逃げたら、どうなるん?」
 敦史は目を合わせると、前に向き直って言った。
「捕まるにしても、今のこれよりはマシや。これだけ長いことやってたら、おそらく精神鑑定されると思う」
「頭くるくるパーやって? やめてや」
 瑠奈はそう言うと、涙の跡が残る頬を歪めて笑った。
「でも、敦史と逃げるんは楽しそう。途中、サイダーとか弁当とか買ってさ」
「どこも寄らんぞ」
 敦史が言うと、瑠奈は息を漏らすように笑い、仕事の顔に切り替わった。真希子そっくりの横顔に、敦史は目を逸らせた。瑠奈は折れた方の手を挙げると、言った。
「車から、道具取ってくる。あと、赤鬼さん探してきていい?」
 勝則が振り向くと、黒縁眼鏡をずり上げながら笑った。
「気が利くねー」
 投げられたステップワゴンの鍵を受け取ると、瑠奈は集会場から出た。敦史と話していても、いつも最後は茶化して終わってしまう。何人も似たような子供がいる大きな部屋で育った自分には、何が家なのかという正解がない。ただ、自分の体より少しだけ大きいスペースが居場所で、それが守らなければならない境界線だということだけは、知っていた。今思えば、監視役の大人が数人いるだけの部屋で、どうしてあんな生活を何年もしていたのか、その理由も分からない。時折、見たことのない大人が来て、昨日までいた他の子供が一緒にいなくなったりするということは、なんとなく理解していた。
 自分がそのひとりになったのは、八歳のとき。『境界線』を跨いだ男の子の耳を噛みちぎった次の日だった。大勢の子供と一緒に飼われるという扱いから、家という小さな単位に取り込まれたのは、初めてだった。それから五年が経ち、マッキーとカツが『待機所』と呼ぶ家の中では、一応、四人家族のようになっている。ドラマや映画で見る『両親』が正解なら、マッキーとカツはかなりいい線を行っている。不満があるとしたら、仕事のときしかスマートフォンを自由に使えないということぐらい。
 瑠奈はステップワゴンのキーレスを操作して、鍵を開けた。今の生活を捨てたら、次に待っているのは何なのか。敦史は、一旦捕まるべきだと思っているみたいだ。今までに断片的に聞いた話を総合すると、マッキーとカツは死刑か無期懲役。敦史とわたしは『くるくるパー』だと認定されて、病院に放り込まれるらしい。敦史は何年かで普通の人間に戻れると言うが、わたしは大勢の人間が一緒に詰め込まれている病院に入りたくない。敦史との会話を頭に浮かべながら、瑠奈はスライドドアを開いて、後部座席に置かれたリュックサックを背負った。タイラップより上等なミリタリーカフスや、爪だけじゃなくて指を切り落とすパイプカッターが入っている。もうひとつはダッフルバッグで、中身は万力とハンマー。瑠奈は、片手で奥の座席から引きずり出すと、その重さによろめきながら地面に置いた。これが、自分の居場所を保証するための装備だ。終わったら帰る家があって、自分の居場所はちゃんとした『部屋』で。
 人を殺し続けるのが条件だとしても、それを捨てるのは正直怖い。

 宮田は、雨野がハンドルを横から掴んで無理やり左に切ったとき『おー、ちょいちょいちょい』と言ったが、気づいたときには車線を跨いで団地側の歩道に移動していた。
「雨野、色々と強引すぎん?」
「リーダーの限界に挑戦したいんです」
 雨野がそう言って力強く鼻息を吐くと、宮田は苦笑いを浮かべた。
「自分で挑戦させてーな」
 緩やかにカーブする道に、内情を隠すように並ぶ立木。伸び放題の葉は道路になだれ込んでいて、車高の高いトラックは枝を折りながら走っていく。車を置いたら最後、運が悪いと金目の物を全部『寄付』する羽目になる裏の道路。そして、コンクリートの要塞のような三棟の建物。昔は灰色だったが、今はA棟だけがベージュに塗り直されている。大人になってから訪れるのは初めてだ。
「怖くないん?」
 宮田が訊くと、雨野はわざと自転車を蛇行させながら首を傾げた。
「いや、めっちゃ迫力あるとは思いますけど。思ってたより綺麗っすよ」
「住人に言うたれよ。喜ぶわ」
 宮田はそう言ったとき、立木の隙間から見える景色の中に、駐車場の枠を完全に無視して停まっている車がいることに気づいた。他の車を数台塞いでいて、正直ガラはよくない。
「ほらな、あんな感じでチョケたやつがおんねん。住人が車出そうとしたら、それだけで揉めるやろ」
「あれ、掛井様の車ちゃいます?」
 雨野が言い、ブレーキをかけた。宮田は少し遅れ気味にブレーキをかけて自転車を停めると、立木の隙間から目を凝らせた。白のステップワゴン。ハンドルは右に大きく切られていて、フロントバンパーには擦り傷がついている。
「これ、駐車場って通り抜けできるんですか?」
 雨野が言うと、宮田は相槌を打つことなく自転車の方向を変えて漕ぎ出した。雨野はすぐ後ろをついていき、リュックサックを背負ってステップワゴンの前に立つ瑠奈に気づいた。瑠奈がスライドドアに手を掛けたとき、そのすぐ後ろから早足で近づく大柄な男に気づいて、宮田は言った。
「おい、何してんねん!」
作品名:Locusts 作家名:オオサカタロウ