僕が死んだ後の話
翌々日の晩、僕の体は葬儀屋へ送られ、僕は自分の葬式を見ていた。
棺に収められた自分の体などもう見なかったけど、訪れた人は皆それを見て泣いていた。
“泣いてくれる人は居るけど、僕を見られる人は居ないんだろうなあ”
そう思っていたのに、弟の所の一番下の子が、よちよち僕に寄ってきた。
萌ちゃんという子で、まだ三歳だから、イタズラの後片付けが大変だと、弟が話していたばかりだ。
萌ちゃんは明らかにこちらを向いて指を指し、「おじちゃん、見つけた」と言って、僕に近づこうとした。でも、その萌ちゃんを弟が抱きとめて席に戻らせようとする。
「こら、静かにしなさい」
「だっておじちゃん、あそこにいるよ」
「ああ、わかってるよ」
龍二は多分、棺の中にある僕の体についてそう言ったんだろう。だが、萌ちゃんは僕が見えていた。もしかしたら、小さな子供は見えやすいのかもしれない。
僕はよっぽど萌ちゃんに手を振りたかったが、それをすると萌ちゃんが気味悪がられるだろうと思って、時たま泣いていた妻の華子へと目を戻した。
火葬場に運ばれる自分の体になんか、もう未練は無かった。だってそれはすでに僕ではないのだ。僕ならここに居る。でもそれは誰にも分からない。
龍二が萌ちゃんを抱きかかえていたのは通夜の時だけで、翌朝僕の体が旅立つ時に萌ちゃんは居なかった。
僕は誰にも話し掛ける気にならなかったし、その空間で何を言う気にもならなかった。誰にも見えないし、聴こえないからだ。
骨になった僕を見て泣き崩れた華子を見ていた僕は、彼女が僕との別れを惜しんでくれるのが嬉しいはずだった。
でも本当は、後ろに居る僕に気付いてくれなかった彼女が泣いている姿を見ているのが、虚しく、寂しかった。僕は葬儀屋の建物を出た。
「よう」
葬儀屋の玄関前に、あの毛むくじゃらの人が居た。僕は驚いてちょっと立ち止まる。
「なぜここに?」
「通りがかりだ。このへんぶらついてるって言っただろ」
それはどうやら本当のようだった。
「で?成仏出来なかったらしいな?」
からかわれているのに、僕は悲しくなかった。彼も同じだとは分かっていたからだ。
お経を読んでいた僧侶はもうとっくに帰ったのに、僕はまだここに居る。つまり、そういう事なんだろう。
「気にすんなよ。何を未練に思おうがもう何も出来ねえのは確かだが、何もねえわけじゃねえ」
「そうでしょうか」
「おうよ」
僕は、すぐに幽霊としての生活に馴染めるか分からなかったし、そこに何があるのかもまだよく分かっていなかった。でも、“後悔をなぞるだけなのだろうか”と怯えていたのは確かだ。
僕には明確に後悔らしき後悔は無かった。あるとするなら、華子を置いていく事だ。
その時、後ろで葬儀屋の自動ドアが開いた音がした。振り返ると、僕の遺骨が入っているのだろう箱を抱え、華子が出てきた。僕の母に肩を支えられながら。
「華子…」
毛むくじゃら幽霊は一歩引いて僕から離れ、僕は華子が横を通り過ぎるのを、目で追っていた。
深い悲しみに暮れた華子の目は、薄暗く光を灯さず、まるで何も見えていないようだった。
華子は、玄関前の駐車場にあった車の後部座席に乗り込み、運転席には龍二が座っていた。彼らはそのままそこを出ていく。僕はすぐに彼らを追いかける事は出来なかった。
遠目に車が見えるだけになってから、毛むくじゃら幽霊は近付いてきた。彼は何も言わず、ぼーっと立ち尽くす僕の後ろに立っているようだった。
“僕はどこへ行こう?”
そう考えるのが怖かった。家には僕の居場所がまだ残されているだろうけど、それは“悼み続ける”という形だけで、華子はもう僕を見てくれないだろう。
“それでも、華子の傍に居たかったな”
僕は毛むくじゃら幽霊にその場で別れを告げ、自宅に向かった。
「悟さん…ごめんなさい…ごめんなさい…」
僕は、自分の体の一片に向かって謝っている華子の後ろに立っている。
華子があんまり謝るから、僕はなんとかして、「君が悪かったわけじゃないんだ」と伝えたかった。でも、出来なかった。
華子は昼食も夕食も食べずに、僕の遺骨を抱いていた。
その晩華子は、夜中の二時にやっと眠った。すっかり憔悴して疲れ切った彼女は、服も着替えずベッドに倒れ、真っ赤に腫れた瞼を閉じた。
眠っている彼女を見ていて、僕はどうしても彼女に伝えたい事を、夢の中に滑り込ませられないか、試してみた。
「華子…」
そう呼んでみると、彼女の瞼が、ぴくっと一瞬引きつった。
「僕は、君のせいで死んだわけでもない。君を置いていって、本当に…ごめんよ…」
そう言いながら、僕も泣いてしまっていた。
華子は眠ったままだったけど、彼女の呼吸は安らいでいたので、僕は表に出て、暗い通りを歩いた。