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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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僕が死んだ後の話

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やっとこ市の厚生病院の正面入口に着いて、僕は玄関の自動ドアをすり抜ける。ちょうど出入りしている人が居なかったから。

霊安室はどこだろうと探す時、なんとなく“すぐに見つかるだろうな”と思った。

薄暗い廊下を歩き、地下への階段を探すと、見つけた階段の一番上の段に、おじいさんが座り込んでいた。

その寂しそうな佇まい、ずっとそうしていたんだろうに誰にも止められていなかったような様子から、僕はもう、彼も“仲間”だと分かっていた。

しかし、今死んだばかりでショックを受けているのかもしれない他人の世話をしている暇は、僕には無い。だから、そのおじいさんの隣を、なるべく普通の人間の顔をして通り過ぎようとした。

「あんた、今、私を避けたな」

“しまった”と、そう思った。確かに僕は、一歩右へ出て、階段の左端に座っているおじいさんを避けていた。避けるなんて、居るのを知ってると言うのと同じだ。

“長話にならないといいけど…”

「ええ、すみません。今少し、急いでいるもので…」

そう言えば解放してくれるかと思ったが、おじいさんは横を向いてため息を吐き、喋り始めてしまった。

「長い人生だった。でも、後悔ばかりだ」

“仕方ないな。少しだけ付き合おう”

幽霊になると垣根が無くなって、仲間意識を持つのはよくある事なのか、このおじいさんも僕に親しげに、悩みを打ち明けた。

おじいさん曰く、人の為、相手の為、親の為、子の為と心を砕き、体に鞭打って生きてきたが、死んだ途端に、自分は自分の為には何一つしなかった事にやっと気付いたのだと。

僕はおじいさんに心から同情したが、彼に何も言えず、「そうですか…」と消極的に頷くしか出来なかった。でも、おじいさんはそれを分かっていてくれたのか、「何、これからもう何も無いとも限らないからな」と言っていた。


霊安室は灯りが落としてあったが、僕が入り口から入ろうとした時、パチンと電灯のスイッチ音がして、灯りが点いた。

「あ…」

明るさにびっくりして声を上げると、傍にあったストレッチャーに座って腕を伸ばし、電灯を点けたらしい、入院着の小さな男の子が居た。

その子の入院着は首から下が真っ赤に染まり、血を吐いた後のようだった。

「電気、つけてあげたよ」

「あ、ありがとう…」

なんとなくその子を避けづらくなってしまった僕は、一瞬、自分の体を探すという目的を忘れていた。

「おじさんも、死んだの?」

その子は手の爪をぷちんぷちんと弾きながら、僕にそう聞く。

「うん、そうなんだ」

その子もおじいさんと同じく、僕に最初から好意的に喋りかけてくれた。

「おじさんのママ、居る?」

「うん、いるよ。まだ生きてる」

家で妻を慰めようとしながらも、自分も涙を流していた、僕の母を思い出した。

「そっか。おじさんのママも、かわいそうだね」

「…そうかもね」

そこで男の子は顔を上げ、ぽかっと口を開けたまま僕を見た。

「でもね、待ってればまた会えるよ」

僕はその時、硬直してしまった。その男の子が何を言うのか分かったからだ。男の子は下を向いて、一度爪を弾いた。

「僕ね、ここで、ママを待ってるの。きっと会えるよ」

そう言ってくりくりの目を細め、男の子は僕を見て笑った。僕は「そうだね」ともなんとも言えず、霊安室の壁に向かっていくその子の背中を見ていた。

でもその男の子は、遺体を収容してある扉の内、一つに手を掛けた。どうでもいいが、彼は物に触れるらしい。幽霊にも上等か下等かの区分けでもあるのだろうか。

「ほら、おじさんの」

そう言って男の子がうんしょうんしょと扉を引くと、そこには僕の体があった。

鏡には、今の自分が逆向きに映る。しかし、僕は今、立っていて、目を開けている。僕の目の前にある僕の体は、じっと黙って目を閉じ、横になって動かない。

僕は、自分の体がもう自分の物ではないとしっかりと分かった。

すると途端に、それを見ているのが気味が悪くなって、“病院に行ったら、自分の体に触ってみて確かめるか”と思っていた事も忘れてしまった。

僕の存在は、もう肉体を離れたのだ。僕自身の棲まない肉体は、ただの肉の塊だ。それを僕は悟って、男の子に「もういいよ」と言った。

作品名:僕が死んだ後の話 作家名:桐生甘太郎