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人生×リキュール コアントロー

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 癌細胞は毎日生まれているらしい。だから、癌になるのも珍しいことではないし、食生活が激変した現代日本では心臓系、脳系に並んでトップ3の死因に入る。人はいつか死ぬ。必ずみんな死ぬのよ。だから怖くなんてないし、寂しくなんてない。それなのに、どうしてこんなにも目に映る景色の全てが、美しく愛おしく見えてしまうのかしら。鼻の奥が痛い。ダメ、この人に気付かれてはいけない。
 無言のまま俯いて歩いていた二人が顔を上げたのは同時で、困ったー困ったぁーという大声が聞こえたからだ。
 前方の路地で、車イスに乗った波平さんヘアの老人が挙動不審の熊みたいに行ったり来たりしている。
「どうしましたか?」先に声をかけたのは彼女だった。
 老人は、火が通り始めた卵の白味みたいな潤んだ目でぼんやりと彼女を見つめると、口を何度か開閉させた。どうやら、言うか言うまいか迷っているようだ。それを察した彼が素早く口を挟む。
「実は僕たち道に迷ってしまいまして。この辺は同じような道が多いので、わからなくなっちゃうんですよね」
 それを受けた彼女が続ける。
「ええ、そうなんです、私達困ってて、それで、もしご迷惑でなければ、ご一緒したいんですけど」
 眉間と額に皺を寄せていた老人の顔が、ぱっと明るくなった。今度は目尻に皺を寄せながら、おうおうと言う。
「ちなみに、どちらに行かれる予定でしたか?」と彼女が尋ねると、老人は家に帰るんだと答えた。
「そうなんですね。お家はどちらに?」桜並木のところと帰ってきた。
「桜並木・・・あぁ、桜霊園の近くなんですね。奇遇だなぁ僕たちも、そちら方面に向かっていたんです」
「おお、そうなのか。そうなのか。奇遇奇遇」と、彼の言葉に嬉しそうな老人。
 桜霊園の近くには飲食店はないが、まぁ人助けということでと、老人を誘導するような形で桜並木へと進路を変更した。今の季節は葉桜なので、暗く沈んではいるが、等間隔で設置された街灯が黄緑色の光を投げかけている。
 彼女は、二人から少し遅れて歩きながら額に滲む汗をこっそりと拭いていた。
 先程の路地からここまでは対した距離ではない。それなのに、動悸が激しく息切れがして苦しいのだ。二人の後ろ姿を目で追いかけるだけで精一杯という有様。あぁ、いよいよ自分の体は歩くことすらままならなくなっているのだと叫び出したくなる恐怖を飲み下して堪える。
 前方に霊園の門が見えてきた。
 桜の花をアールヌーヴォー調に象った白く美しい門扉が、夜の暗さをものともせずにそびえ立つ。まるで天国への扉のような厳かな雰囲気を発している。
 どうせなら、この霊園を予約しておけばよかったわ、と後悔が滲む。
 この桜並木は春には見事なソメイヨシノのアーチになる。
 入ってみたことはないが、きっと霊園の中にもソメイヨシノはあるのだろう。自分もそんな穏やかな霊園で眠る事ができたならどんなにか、と夢想すると同時に、死に対して無頓着過ぎた自分を呪った。
 両親を見送っても、知り合いの葬儀に参加しても、自分には関係ないと切り離していた愚かさ。自分は大丈夫だという傲慢さ。歳を考えれば充分自業自得だわ、と息も絶え絶えに溜め息をつく。
 故郷にある両親と同じ墓に、入ることになるのかしら。親戚の誰かに事情を話して頼んでおかなければいけない。誰にも知らせずに、ひっそりと荼毘に付してと遺言を残しておかないと。それから、今の住居の名義を彼に、口座は会社名義に書き換えて。やり残しがないように秘密裏に準備しないと。そんなことをおもんみていると、麻痺させていた腹痛がぶり返し始めた。痛み止めが効かなくなってる。明日受診した時には、もっと強いのをもらってこないと。
 前方の二人が止まった。
「ここでいいよ。ありがとう!ありがとう!」
 両手で口を覆いながらそう言った老人は、今度は、車イスの後ろにかけた袋にその手を突っ込んだ。かと思うと一本の角張った瓶を取り出した。
「ありがとう!ありがとう!嬉しい!嬉しいー!これはお礼だ!ほんとによくしてもらった!」老人は涙を流しそうな勢いで捲し立てながら、その瓶を彼に押し付けた。
「受け取っておくれ!人生を支え合う一本を!」
 戸惑った彼が、彼女の方を見る。平静を保つことで精一杯の彼女は事態を把握していないので反応に窮してしまい、数秒見つめ合う形になった。
「あれ?」最初に声を発したのは彼女だった。
 彼の真横に居たはずの老人の姿が見えなくなっていたのだ。遅れて彼も異変に気付いた。二人で周囲を見渡すが、住宅街に伸びる桜並木にも正面に見える霊園の周りにも人影はない。老人は消えていた。
「おかしいな・・・え、なんで?」彼が上げた手には先程の角張った瓶がしっかりと握られていた。
 二人は同時に霊園に視線を滑らせ、次いで強ばっているお互いの顔へと転じた。おじいちゃんが言ってた家って、まさか・・・いやいや、そんなはずないでしょ。だって、まだ夜になったばかり、こんな早い時間なんだよと視線での無言の会話がなされ、残された瓶へと目が向けられる。どうやら酒らしいその瓶には見覚えがあった。
「これってさ、確か」そこで彼の声が途切れた。いや、声だけではない。映像も途切れてしまった。
 痛みに耐え切れなくなった彼女が倒れたのだ。

ーマルガリータって、バーテンダーの腕が試される基本的なカクテルらしいっすよ
 蛍の光が散らばっているような薄暗いカウンターで、白く縁取られた可憐なカクテルグラスを前にした若い男が呟いている。ブリーチしたアッシュ系のアップバング。やんちゃだった頃の彼だ。目上の人への口の利き方すらもなってなかっただんとつに手の焼ける後輩だった彼。まさか後々、彼女の公私共のパートナーになるなんて当時は誰も予想できなかった。
ーへぇ、あたしたち美容師で言うところの癖っ毛のショートカットなんだ
 返答したのは彼女。ピンクに染めてスパイラルパーマをかけたボブの前髪だけをポンパドールに結ったまだ若い頃の彼女だ。二人は青山骨董通りのバーにいた。彼女の大先輩が、ずっと念願だった青山に初出店できたお祝いに駆けつけた帰りだったのだ。巧緻性やセンスを持て余しているのか、トラブルメーカーで落ち着きがなかった彼に少しでも学ぶことがあろうかと、同行させたのだが、無関心そうな表情を見る限りでは、大先輩を祝った以外の価値や意味は付随できそうになかった。
 そのまま帰るのはいいが、後から地味にフラストレーションが沸きそうな予感がした彼女が、ちょうど目についた店に誘ったのだ。彼は、その日の穴と刺だらけのパンキッシュな見た目に反して酒に詳しい一面を覗かせた。それが証拠に口数が少ない普段からは想像がつかないくらいに、カウンターに座ってからずっと話が途切れない。
ーテキーラとコアントローにライムっていうシンプルな材料だからこそっすね
ーその、コアントローってなんのやつ?
ーホワイトキュラソーって呼ばれてるオレンジのリキュールっす
ーなんでオレンジなのに、ホワイトなの?
ー無色透明だからっす
ー無色でホワイトってなんでよ?
ーキュラソーって、ブルーとかレッドとかもあるんすよ。それに合わせたんじゃないかなってオレは思うけど
ークリアキュラソーじゃダメだったんだ