あの穏やかな ✕ 椰子の木の下
次につかみ上げられたのは、荷室で顔を鞭で打たれた奴隷の若者だった。彼は顔から血を流しながらも、口元をぎゅっと引き締め、毅然として立ち上がって、監査官を睨んだ。
「ああ、貴様か。お前を助けようって奴は、いないだろうな」
そう言うと、甲板の端に連れて行こうとした。
「もうやめてください!」
そう叫んだのは、マルコだった。監査官は彼を見た。そして奴隷を放し、マルコに歩み寄った。
「お前のようなチビは、残しても役に立たんだろうな!」
そして今度はマルコをつかんで、甲板の端に引っ張って行こうとした。マルコは必死に抵抗した。
「待ってくだせ! そいつはダメでやす!」
副長が突然叫んで、監査官が動きを止めた。
「何がダメなんだ?」
「この男は、水先案内人でガス。そいつがいないと、このサンタ・アナは航路に迷っちまうんで!」
「何を馬鹿な。船乗りなら水先案内ぐらい出来る者が、他にもいるだろう!」
「いんや、そいつは今回の航海から雇われた新人で。前任者の代わりがいなくて、急遽雇ったんでさぁ、つまり他に正確に航路を読めるヤツが居らんのでさぁ」
「ではこいつなら問題ないか?」
監査官はマルコを突き飛ばして開放し、倒れ込んだ先にいた船員に、今度は短銃を抜いて向けた。
「・え? そいつぁ・・・」
副長が言葉に詰まっていると、
★バンッ!
監査官は、その船員の頭を撃ち抜いてしまった。
「わ、分かりやしたです! 何でも言うことをお聞きしやす!」
マルコは自分の境遇を呪った。その後の数日間、奴隷や自分の仲間が次々犠牲になる中、その光景を見せ続けられたからだ。
真夜中にマストに昇ったマルコは、暗闇に近付く一隻の船を見付けた。その船は明かりを一切灯さず、誰にも知られないよう、サンタ・アナ号に忍び寄っていたのだ。それは海賊船である。
マルコは敢えて警告しなかった。やがて甲板から海賊船が目視出来るようになる直前に、ランプの油で帆に火を放ち、マルコはその高さから、そのまま海に飛び込んだ。燃え上がる炎が海賊船を、漆黒の闇から引っ張り出すかのように照らした。他の船員たちはすぐに状況を理解し、手漕ぎ船を海に落とし、自らも飛び込んだ。
作品名:あの穏やかな ✕ 椰子の木の下 作家名:亨利(ヘンリー)