あの穏やかな ✕ 椰子の木の下
マルコの役目はマストの上に立ち、水先案内をすることだ。船乗りとしては小さかった彼は力が弱く、体力の代わりに知識で役に立つ船員として重宝がられた。そしてその航海は順調そのものだった。
航海は三カ月に及び、マルコの乗るサンタ・アナ号は、本国へ帰還の途中だった。しかし、不可解なことにその船には、物資や奴隷を予定していた十分の一も積んでいなかったのだ。
事件は日暮れと共に起こった。奴隷として移送中だった原住民たちが暴動を起こしたのだ。
「お願いです。水を飲ませてください」
言葉の解かる奴隷が騒いでいる。本来五百人を詰め込む予定だったにもかかわらず、監査官の現場指示で、輸送している人数はたった三十人ほどだった。しかし少人数故、船長は船倉に閉じ込めることはせず、彼らに空いた荷室を使わせていた。そのことを監査官は良しとせず、奴隷たちに十分な食料を与えさせなかったのだ。
水や食料を運ぼうとした船員に対して、毎晩酒に明け暮れる監査官の警護士達は、その食料を奪い取り、海に捨ててしまった。そんなことが数日繰り返されていた。
「水だと! 一等客室にでもいるつもりなのか?」
監査官は、奴隷たちにそう言い放ち、相手にしない。
しかし、船員の一人が、桶に入れた飲み水を運んで来た。
「勝手なことするんじゃない!」
警護士はその桶を叩き落とし、水は床に撒きこぼされてしまった。それでも奴隷たちは床に口を付け、その水をすすった。
「ぎゃはははは、ついでに舌で床を掃除しやがれ!」
監査官は大声で笑った。ついに我慢出来なくなった奴隷の一人が監査官に詰め寄った。彼は大声で何か叫んでいた。しかし原住民の言葉しか発っせない汚い男に、監査官は苛立ちを隠さなった。
「うるさい! 海に捨ててしまうぞ!」
そう言って、その奴隷の髪をつかんで、荷室から連れ出そうとした。
「待って!お願い。みんな喉、渇く、限界です。お願い、その人許して!」
片言で話す若い奴隷が、そう言いながら、仲間が連れて行かれそうになるのを止めようとした。その声に監査官は振り向き、持っていた鞭で、おもいっきりその若者の顔を打った。その瞬間一斉に奴隷たちが立ち上がり、監査官とその警護士達に歩み寄って来た。警護士の一人が腰のサーベルを抜いて、威嚇したが、彼らの怒りは収まらない。
「下がれ! 切り殺すぞ!」
警護士は大声で叫んだが、奴隷たちのほとんどがその言葉を理解しているようには思えない。その他の警護士も全員がサーベルを抜くと、最前列にいた奴隷たちに一斉に切りかかった。
荷室は騒然とした。奴隷たちはそこから逃れ、甲板へ上がって来た。多くの船員も駆け付け、騒動を収めようとしたが、現場はもう収拾が付かない状況だ。
作品名:あの穏やかな ✕ 椰子の木の下 作家名:亨利(ヘンリー)