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孤独の中の幸せとは

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年十月時点のものです。それ以降は未来のお話です。物語の中にはどこかで聞いたかのような事件も含まれていますので、そのあたりもご了承願います。

              戦前戦後の探偵小説

 小説にはいろいろなジャンルが存在する。
 もちろん、切り取り方によってはジャンルといってもいろいろな見方ができる。たとえば、フィクションとノンフィクション、純文学と大衆文学といった、大きく分けた場合もあれば、現代文学、恋愛小説、SF小説、ホラー、ミステリー小説などという、内容によるジャンルがある。
 一般的に、
「ジャンル」
 というと、後者の方になる。
 さらに、これらのいわゆる、「ジャンル」と呼ばれるものも、広義の意味、狭義の意味として、さらに細分化されるものも存在する。それは、前者においても、後者においても同じことで、前者とすれば、純文学なのか、大衆文学なのか分かりにくいものも存在する。一人の作家で、純文学作家と呼ばれているが、中には大衆文学を書く人もいたりするので、作家によって分けようとすると、難しいところがある、
 そもそも、純文学というくくりが曖昧なところがあり、芸術的な文章作法において書かれたものを純文学といい、それ以外の小説が、大衆文学だとするならば、純文学が曖昧であれば、大衆文学も曖昧だ。
 大衆文学というと、別名では、
「エンターテイメント小説」
 と言えるだろう。
 要するに、エンタメ色の強いものを、大衆文学ということになるのだ。
 あと、文学には、形態としてのジャンルもある、ただ、これは、小説を一つのジャンルとして捉え、さらにそのまわりを小説と同等のものと考えればであるが、詩、俳句、短歌、随筆、エッセイ、脚本、などと呼ばれるものである。この分け方は、フィクション、ノンフィクションの分け方に近いのかも知れないが、あくまでも、小説というくくりの同等なジャンルという意味での分け方になる。
 勝俣茂三は、小説を読むのが好きだった。特にミステリーと呼ばれる小説が好きで、よく読んでいた。
 ただ、彼には読む小説に偏りがあった。
「戦前、戦後の探偵小説が好きな安打」
 というものであった。
 ここでいう戦争というのは、いわうと知れたかの戦争、つまりは、世界的には第二次世界大戦であり、日本でいうところの、大東亜戦争のことである。
 勝俣茂三は、今年、七十五歳になっていた。すでに定年退職からの定年後雇用を経て、年金暮らしが十年に及んだ。
 過去に一度結婚したことはあったが、五年もしないうちに離婚した。彼の人生でピークはその結婚していた時期くらいであったか、それ以外はほぼほぼ孤独だったといってもいいだろう。
 恋愛は、それなりにしていたと思っていたが、思い出してみれば、彼女といっても、いつも付き合ったとしても、半年が長いというほどで、相手の本意も分からぬうちに、気が付けば自然消滅というのが、結構多かった。
「俺って、会話もあまりないし、付き合っていても面白くなにんだろうな?」
 と思っていた。
 それでも付き合い始めはそれなりに会話があったはずなのに、気が付けば、お互いに何も言わなくなっている。茂三とすれば、気を遣っていると思っているのだろうが、相手は茂三の言葉を待っている。待っていても埒が明かないのだから、相手が先にキレるのは当たり前のことで、最初からそんな状態なのだから、半年でも、
「結構もった方だよな」
 というのがオチであろう。
 茂三は、一度自分でも小説を書いてみたいと思ったことがあった。会社に勤め始めてから少しした、仕事に慣れた時期のことだった。
 二十代前半くらいだったが、当時というと、ちょうど、東京オリンピックがあった頃で、戦争の色もほとんどなくなっていた。
 田舎はまだまだだったが、東京のインフラは整備され、昔ながらに残っていた風俗関係は、退去させられたそんな時代、いくつかの産業が姿を消していった時代だったのかもしれない。
 ただ、オリンピックをピークとして、経済は特需から不況へと追い込まれていく。政府は分かっていたのか、それとも、政治家は自分たちだけが潤えば、世間はどうでもよかったのかとも考えてしまう。
「今の令和の政治家じゃあるましし」
 とも思うが、昔があっての今である。
 過去から脈々と受け継がれてきたものがあったのだろう。
 そんな時代に興味があった小説は、探偵小説であった。
 その頃というのは、探偵小説界でも、一つの転機が訪れていた。
 戦前戦後の探偵小説ブームのようなものがあり、それらの探偵小説界に、
「社会派」
 と呼ばれるものが出てきたのだ。
 戦前戦後の探偵小説界というと、時代背景もあって、
「激動の時代」
 といってもいいだろう。
 特に戦争中というのは、当局による検閲が激しく、探偵小説と呼ばれるものは、真っ先に取り締まられていた。
 国家総動員での戦争状態に、娯楽色の強い小説は、ほぼ出版禁止となり、小説家を廃業する人もいた。
 中には、時代小説を書いて、細々と生計を立てていた人もいたようだ。
 その時代は、探偵小説を書いても、本になることはなく、下手をすれば、憲兵に睨まれて、監視下に置かれるという目にあうこともあるだろう、
 警察に連れていかれて、拷問を受けるなどというのが日常茶飯事だった当時は、それを、
「警察官の日常業務」
 とされていたのだから、今から考えると、想像を絶するものだったことだろう。
「お前と同じくらいの若者が、こうしている間も戦地で立派に戦っているんだぞ。恥ずかしいと思わんのか?」
 と言われて、拷問を受ける。
 そんな時代だったのだ。
 特に共産主義的な発想を書こうものなら、逮捕されて、昼夜の拷問である。拷問を受けるものは、そのうちに、善悪の感覚がマヒしてしまい、何が正しいのか、わからなくなって、下手をすれば、気が狂ってしまうかもしれない。
「小説を書いていると嫌なことを忘れられる」
 という意味でもあって、戦争中であっても、小説を書いている人もいたかも知れない。
 もちろん、発表などできるわけもない時代であり、せめて、アイデアだけでも残しておけば、いずれ戦争が終わってから、晴れて発表できればいいと思っている人も多かっただろう。
 しかし、戦争が激しくなり、というか、どんどん攻められてしまってからというもの、毎日のように空襲に襲われ、
「明日をも知れぬ命」
作品名:孤独の中の幸せとは 作家名:森本晃次