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夢を見る意義~一期一会と孤独~

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 最初は、病院、学校、などの公共施設から始まって、会社の事務所、喫茶店や飲食店などの店舗は完全禁煙となった。
 ただ、法律で定めた通気性のある場所に喫煙ブースを設けていれば、そこで吸ってもいいということにはなった。
 ただし、それでも駅のホームや公園などは、基本的には全面禁煙である。
 昭和の頃までは、タバコはほとんどどこでも吸えた。灰皿が置かれているところであれば、大丈夫だったのだが、
「肺炎などになる可能性は、タバコを吸っている人よりも、吸っている人の近くにいて、煙を吸っている人の方が高い」
 という、副流煙の効果を指摘する研究がなされたことから、
「嫌煙権」
 というものが問題となり、徐々に禁煙ルームが作られるようになった。
 電車などでは、四両編成であれば、最後尾車両が禁煙車だというような感じである。まるで今の、
「女性専用車両」
 のようなものだと言えるのではないだろうか。
 そのうちに、タバコが吸える場所がどんどんと減ってくる。駅のホームでは、全面禁煙となり、都心部の大きな駅のホームに禁煙ブースがあるくらいで、電車も、普通電車は全面禁煙、特急列車などでは、一部が喫煙車両という程度であった。
 そのおかげなのかどうなのか、それまでタバコを吸っていた人が、どんどんやめていく。喫煙人口が爆発的に減ってきたのだ。
 しかも、そのうちにたばこ代はどんどん上がっていく。昭和の末期から比べれば、今は三倍くらいの値段になっているのではないだろうか。
 そして、一番顕著なのは、
「咥えタバコをする人がほとんどいなくなった」
 ということである。
 だが、それだけに、ルールを守っていない連中が少しでもいれば、非常に目立つのだ。
「今の時代、これだけタバコを吸う人間は少なくなってきているのに、我が物顔で吸っている連中がいる」
 ということで、迷惑をしている人も結構いる。
 特にルールを守って、細々と喫煙している愛煙家にとっては、いい迷惑であろう。
「一部のバカモノのせいで、俺たち真面目に吸っている人間までもが、白い目で見られる」
 という感情である。
 この感情は、タバコに限ったことではない。禁止されていることを守らない連中がいることで迷惑をしている人たちは他にもたくさんいるということだ。
  昔の暴走族が多かった時代は、真面目にバイクに乗っている連中までもが白い目で見られ、下手をすれば、警察に目を付けられるというようなこともあり、
「いい迷惑だ」
 と思っていた人たちも多かったことだろう。
 自分たちの欲求不満を自分たちの勝手な解消法を使うことで、迷惑を被るということに気づかないやつがそれだけたくさんいるということだ。
 それだけ、世の中というのは、理不尽の塊だと言えるのではないだろうか。
 そんな時代の流れを生きていて、坂崎平蔵は、時々箱庭の夢を見るようになっていた。子供の頃に多かったという印象だが、大人になってみることもあった。
 きっと何か共通点があるのだろうが、それがどうしてなのか、ハッキリと分からない。
 そんな箱庭の夢を見る時は、いつも同じシチュエーションの時に見るのだと思っている。怖い夢を見ている時の一部に見るものだという意識があるからだ。
「どうして、そこまで分かるのか?」
 と言われれば、
「自分が見た夢で覚えている夢というのは、怖い夢を見た時というのがほとんどだからだ」
 と言えるからであった。
 怖い夢以外を見た時に覚えているという意識はない。ただ、
「何かハッキリとは分からないけど、夢を見たんだ」
 という漠然とした意識と、その夢が楽しい夢だった場合だけ、
「楽しかった夢」
 として、記憶しているのが分かるのだった。
 夢を見たという意識を忘れないように、
「夢に見た内容を思い出したい」
 と、最初の頃が忘れていく自分を必死に食い止めようとしていた気がした。
 しかし、それは目が覚める時は、夢を見るというメカニズムについて、よく分からなかった頃のことであろうから、やはり子供の頃のことだったと言えるのではないだろうか。
 目が覚めるまでに、頭がボーっとしていて、さらに、目もハッキリと開けることができない。
 これは自分だけではなく、他の人も同じだった。家で家族と朝目を覚ました時、トイレなどで鉢合わせた時、必死で目を開けようとして、顔をしかめた表情になっているのを見て、
「自分もあんな、人が見て嫌に見える表情をしているのだろうか?」
 と感じさせられた。
 それだけ、深い眠りの後に目が覚めた時というのは、顔をしかめて、嫌な表情になるということであり、それは、目を覚ましたくないという意識がそうさせるのであろう。
 夢を見ていて、夢を忘れたくないから、
「目を覚ましたくない」
 という思いも含まれているのではないかと感じるようになった時期があったことをハッキリとは覚えているが、それがいつだったのか、おぼろげにも分からない。
 ただ、この感情が皆同じものなのかどうか、そこまでは坂崎にも分からない。
「単純に、目を覚ますのが嫌だから、顔をしかめていただけで、そこに夢という感情は含まれてはいない」
 ということなのかも知れないと、坂崎は思うのだった。
 坂崎は、夢というものを、基本的には漠然としたものだと思ってはいるが、
「夢というのは、潜在意識が見せるもの」
 という話を聞いたことで、その時から何かうろこが落ちたような気がした。
 そして、ある時から、
「夢というのは、本当は見ている本人の都合に合わせてみているのではないか?」
 と思うようになっていた。
 夢というものを考えると、
「どこが都合のいいことだと言えるのか?」
 と考えてしまう。
 見たい時に見たい夢が見れるわけではない。目が覚めてしまうと、忘れてしまっている。見たいと思う続きを二度と見ることはできない。しかも、覚えているのは、怖い夢ばかりではないか。
 などなど、夢というのは、実に不思議なものだった、それだけ、自分の都合に合わせてくれないものはないと思っていた。
 しかし、それが、
「潜在意識のなせる業」
 ということであれば、分からなくもないからだ。
 人間が感じる意識というものに、顕在意識と潜在意識というものがある。
 一般的に、
「意識する」
 と言われるものは、顕在意識であり、それ以外の意識は潜在意識というもので、過去の記憶などが影響することで、
「無意識のうちの意識」
 とも言えることで、意識をしていなくても、勝手に身体が動くことがあるが、それは潜在意識のなせる業と言えるのではないだろうか。
 よく言われる、
「条件反射」
 などというのもそういうものであり、いちいち考えてから行動していれば、とっさの時に一歩行動が遅れてしまう。つまり、
「危険が迫れば、危険から逃げる」
 というような行動は、いちいち考えていては遅れてしまうということだ。
 夢というのも、そのようなものではないだろうか。
 だから、過去の夢をよく見るのだ。記憶として頭の中に残っているものが、潜在的に見せるのだ。それを思うと、さらに、夢について、いろいろ考えてみたくなった。

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