Dogleg
その芝居がかった仕草に、信博は笑った。芳人は綱渡りの演出をするのが上手い。それで何日かは真剣な表情で色々な人間と連絡を取り合ったり、夜中に突然出て行ったりするのを繰り返した後、けろっとした表情で帰ってくる。
「じゃー、助走なしで飛ぶしかないんじゃん」
信博は電子レンジのダイヤルを無理やり動かしてゼロにすると、ドアを開いた。芳人は調理半ばで外に出されたパスタに同情するように、苦笑いを浮かべた
「気が短いなお前は。てか、昨日夜中にふらっと出てたじゃん。あれは何?」
「兄ちゃんに言われたくないわ。おれだってそういう夜があるんだ」
「ねーよ」
「ある」
信博は短く答えると、パスタの蓋を開けた。深夜のファミレスは要塞みたいで、同年代の仲間と騒ぐことはよくあったが、昨日は少し違った。川添はフライドポテトをつまみながらビールを飲んでいて、その雰囲気には先輩ならではの落ち着きがあった。芳人のスマートフォンが震え、室内ウォーキングに戻ったことを確認すると、信博はパスタに取り掛かった。
『金なんて、いくらあっても足りないだろ。仲間に紹介しようか?』
川添の言葉は、追加の注文を店員に頼むような軽さだった。そういうひと言で物事が動くのも、いかにも大人の世界という感じがした。川添と会うと、芳人の情けなさばかりが際立つ。弟として大事にしてくれているのは、分かっている。でも最優先にすべき自分の体は穴だらけだ。酒、薬、体に悪いおおよそ全てのもの。芳人は自己破壊に取り組むように、劇薬を体に入れ続けている。通話を終えた芳人は、信博の視線に気づいて表情を少し緩めた。
「川添は、マジで焦ってんだ。こないだの仕事が上手くいきすぎてな」
「そんなことって、あるんだ。普通は失敗したら焦るんじゃないの?」
パスタを口から半分伸ばしたまま信博が言うと、芳人は歯を見せて笑いながら、背中をぽんと叩いた。
「大人の世界には、色々あるんだよ。お前だって、ガリ勉メガネは信用しねーだろ?」
「同じ空気を持ってないってこと?」
信博が言うと、芳人は小刻みに何度もうなずいた。
「そうだな、ノリが根本から違う感じだよ。お前も知ってるだろうけど、大抵は支払いで揉めるだろ」
芳人の手で脚色された話は、何度も聞いたことがある。事前の合意なんてないようなもので、むしろ後からあれこれ難癖をつけて値切られるのが普通だ。だから、次に繋がる関係を保ちつつ折れない技量が必要となる。信博は言った。
「そこを上手くトークで捌くのが、腕の見せ所なんだろ?」
「そう。でも今回取引した奴らは、全然違った。無言で満額だよ。川添も言ってたけど、営業マンみたいなスーツ着ててさ。私生活が全然分からない感じだったよ」
「ガチの連中なんじゃない?」
信博はそう言うと、パスタの残りを食べ終えて、容器をゴミ箱へ捨てた。芳人は靴箱からベレッタM84を取り出すと、ベルトに挟み込んだ。
「兄ちゃん、それマジで必要なの」
信博が言うと、芳人は口角を上げた。持ち主によく似た派手な仕様で、エングレーブが入った特注仕様のスライドに、ローズウッドのグリップが組み合わされている。信博は小さくため息をつくと、目を逸らせた。拳銃を持つと人相は犯罪歴相応に悪くなり、兄からひとりの犯罪者に変わる。
「いざってときに身を守る手段は、持っとかないとな」
芳人が言い、信博は上目づかいで呆れたように応じた。
「そのときは撃つわけ?」
「あったりまえだろ。じゃあ、川添と会ってくるわ。ノリの違う連中と新しい取引があるんだ。のぶちゃんはお留守番してな」
芳人はチェイサーの鍵を掴むと、サンダルをつっかけて出て行った。アパートの狭い部屋にひとり残った信博は、冷蔵庫からスプライトの缶を取り出した。いつもと違うことがあるとすれば、久々に『のぶちゃん』呼びをされたぐらい。プルトップに指を掛けたところで、信博は川添にメッセージを送った。
『芳人がそっちに行くみたいです。大変なんですか?』
『大変だよ。人が足りないんだ。車で拠点を回る仕事、興味ないか?』
昨日の夜は、笑ってやり過ごした。しかし、川添の中では話が進んでいたらしい。信博はどう返信するか思いつかないまま、スプライトの缶を開けた。
二〇二三年 三月 ― 現在 ―
「現場は、ケーブルカーの発着所だったな。取引が行われるから、相手が帰ったら残った仲介役を消せ。こんな感じだったか?」
神崎はそう言うと、杉本の顔に視線を向けた。杉本が言葉を発するよりも先に、姫浦が会話の間に立ちはだかるように言った。
「あのとき、電話をくれましたよね?」
「二人いたからな。予定だと、ひとりだったろ」
神崎はアイスコーヒーを飲み干した。杉本は自分と姫浦の分を注文しようと後ろを振り返ったが、店員がひとりもいないことに気づいた。神崎は言った。
「店の連中は全員休みだよ。このコーヒーはおれが自分で淹れた」
杉本はリュックサックの中に入れたグロック19の位置を頭に呼び起こし、右手が最短距離の動きを取れるよう、グリップを掴む掌の形を頭にイメージした。姫浦は杉本の方へ少し視線を向けた後、神崎の目を見て言った。
「どうして、分かったんですか? 北河さんは、予定通りだと言ってました」
「あいつは、家でくつろいでたよ。監視役なんて、そんなもんだ」
神崎はそう言って、それが苦い記憶であるように微かに顔をしかめた。姫浦が相槌を打てないでいると、続けた。
「いつもトランプをしてた奴がいたろ。大野だったか? あいつが売人を装って、標的の行動パターンを追いかけてた」
姫浦は、ようやくうなずいた。北河も同じことを言っていた。大野が身辺調査を完璧にやったから、楽だぞと。相槌を口に出そうとしたとき、すぐ隣で杉本が言った。
「営業マンのような恰好をしていて、決めごとをきっちり守る連中」
神崎はその言葉に自分も含まれていることに気づき、口角を上げた。
「そう評価されるのは、光栄だね」
杉本は、芳人の言っていた『ノリが違う連中との新しい取引』を思い出していた。神崎は小さく咳ばらいをすると、言った。
「おれは、ひとりで来いと言った」
姫浦は、その言葉を頭の中で結び付けた。ケーブルカーの発着所跡。神崎は最初から、その中にいたのだ。
「中にいたんですね。でも、取引相手は?」
「おれがそうだよ」
神崎はそう言うと、姫浦の返事を待った。嫌というほど見せてきたから、このやり方を一番理解しているはずだ。殺したい相手がいる場合、一番手っ取り早いのはその相手と友達になることだ。それが叶わない場合でも、取引ぐらいはできるようになっておいた方がいい。
「あなたも役割を任されていたんですか」
「いいや。どうやって終わらせるか、確認したかっただけだよ。丸腰の人間を殺すのは難しいって言ってたろ」