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人生×リキュール パッソア

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 なんの電波をジャックするのかは知らないが、コンマ一秒すら惜しんで稼働し続けている経済に影響するような重要な電波だとしたら、だいぶハイリスクな行為だ。不良少年が、首から自分の住所指名電話番号、所属している学校名を書いた札をぶら下げながら悪さをするのと同じようにリスキーだ。まだ、テロっぽくどこかを爆発させるなりしたほうがマシだ。バスをハイジャックするとかさ。殺人は、行き過ぎにしても。
 どうせ、そんなことをしたところで、一過性の話題になるだけで、世の中の人間の好奇心はそう簡単には集められない。それどころか、教団に関して嫌悪感が増長するだけだ。そんなこと自分でもわかると彼は首を捻っていたが、昼休憩になったのでそのまま忘れた。
 その日の昼食は、新しく入信した女の子たちと共にするのだ。どんな子がいるのか楽しみにしていた彼は、いそいそと別館に移動した。別館もテロの話題で持ち切りだった。他の信者達も彼と同じ意見を交わしている。
 教団の幹部は、超がつくほど有名な大学や大学院を首席で卒業したエリート揃いだと聞く。まさか、そんな原始的でノーリターンなことを実行するわけがないし、他の幹部が阻止して中止になるだろう。そう、彼らは結論づけた。
 ところが、

「あなた、いつも地面に這いつくばってるね。いったいなにやってんの?」
 故人が出て空になった安置室で掃除機をかけている時、香炉を下げようとして入室してきた館長がふと話しかけてきた。職務質問のような口調に彼は身を強ばらせる。
「あ、はい。その、駐車スペースに張り付いたガムを剥がしています」
「ガム? そんなものが張り付いてるって? ここの駐車場に?」
 館長は線香台の上に乗った香炉を新しいのに換えると散らばった灰を払う。掃除機をかけ終わったばかりの畳に灰が落ちる。もう一度かけなきゃなと彼が視線を落とすと、怪訝な皺を目元に寄せた館長が振り返る。
「ガムが? どうしてよ?」
「さあ・・・どうしてかはわかりませんが。私はてっきり、夜中に若者の屯す場にでもなっているのかと思ってましたが、違うんですかね?」
「知らないよ!だが、これは問題だ!軽犯罪法違反だ!」夜警さんは知らないのかとブツブツ言いながら館長は肩を怒らせて出て行った。後には線香台の前に散乱する灰と、館長の白い足跡が部屋の出口へと続いているだけ。彼は掃除をやり直さなければいけなかった。
 次の日、館長から手渡されたのはコールドスプレーだった。これを使ってさっさと片付けろということらしい。
 コールドスプレーの効果は抜群だった。いつも多くて四つしか剥がせないところを七つはいけるのだ。この調子なら終わりも近いなと彼が額の汗を拭いて顔を上げた時。彼の顔にボトっとなにか温かい物質が降ってきた。鳥糞だと咄嗟に判断した彼は、目を瞑って頭を激しく振る。が、糞は飛び散らず、どろっとした柔らかい感触が彼の眉間から片目にかけてくっ付いているのだ。甘ったるい匂いが鼻をつく。糞ではない。手で拭おうにも状態がわからないので、とりあえず鏡のある更衣室に向かった。
 目を開けて驚いた。大量のガムだ。しかも噛みたてほやほやの。それがねっとりと、彼の顔の三分の一を覆っている。
 なんてことだ!慌てた彼は、顔を洗うためにトイレに駆け込んだ。ところが、扉を開けた途端、誰かが個室に入っているのが見えた。今日、事務所に詰めている男性スタッフは館長だけ。マズい。彼は扉を閉めると、掃除用具をしまってある小部屋へと向かう。そこには、雑巾を洗うための水道があるのだ。とにかく、この状況をなんとか打破しないと。彼は感触がある部分を剥がすようにして水で洗った。なんなんだ? なんなんだ!オレが毎日のようにガムを排除しているから復讐なのか? 誰の? ガム星人? いるわけねーだろ。そもそも、このガムはなにもない空からいきなり降ってきた。ありえない。誰かが打ち上げたのか? 昔、なんかのアニメで見たトリモチ銃。まさか。ダメだダメだダメだ。ここのところ思考がおかしい。得体の知れない化物に食われそうな気分がした。
 ピンク色に染まった夕暮れの空の下、帰路につく。
 昼間のガムがくっついた髪が額を擦っていくのが鬱陶しい。早く帰って洗いたいと苛々しながら大股で歩いていると、車イスが立ち往生しているのに遭遇した。
 車イスに乗った老人は、顔を鬼灯みたいに真っ赤にさせて、うんうん言いながら掴んだタイヤを動かそうとしている。どうやら車輪の間になにかが挟まっているようなのだ。彼は走り寄るとタイヤの内側を覗いた。案の定、なにか白黒のものが挟まっている。手を入れてそれに触れた途端、思わず仰け反ってしまった。恐らく石だろうゴツゴツしているのに、触れた指にベトベトと絡み付いてくるのだ。ガムだ。しかも大量の。昼間、彼の顔を直撃したあのトリモチのようなガムと石のコラボレーションだった。
「なんだこれ。なんだってこんなところに」
 老人は相変わらず真っ赤になってうんうん唸っているだけで、彼の存在に気付いていないようだ。コールドスプレーが欲しかった。代わりになるようなものを探して、辺りを見回すと少し先にあるコンビニが目に入る。彼は飛んでいって氷を買ってきた。それを、車輪の間に入れ込んでガムを冷やした。暫くするとガムがボロボロと崩れ始め、石も取れるようになったのだ。
「助かったー!助かったよー!嬉しい!嬉しいなー!ありがとう!ありがとうございます!」老人が叫び始めた。
「どういたしまして。ボクも今日、コイツにやられた口のもので」あははと声だけで笑った彼は頭を掻いた。
「よくしてもらって、嬉しいー!幸せだー!お礼だ!お礼、お礼!お礼をしたいー」老人は後ろにかかった袋に手を突っ込んだ。
「いやいや。いいですよ。持ちつ持たれつ。礼には及びません」
 両手を振って立ち去ろうとすると彼の腕を、老人が待って待ってと思いのほか強い力で掴んできた。
「人生を変革する一本を!」
 差し出されたのは艶消しの黒塗りに、赤を基調に南国ちっくな色彩で描かれた椰子の木が懐かしいパッソアだった。
 タイミングがよ過ぎるにも程があるだろ? 唖然としている彼の手にパッソアを無理に押し付けた老人は、逃げるように走り去った。後にはパッソアを片手に掴んだ彼が呆然と佇んでいたのだった。

「奇襲をかけるって!」
 前方から白く丸っこいフォルムのスニーカーが一対、足取りも軽く近付いてきた。今日も彼はコールドスプレーをお供に、ガム剥がしに精を出している。通販で購入した肘宛てと膝宛てを装着し、腹には拾ったクッションを充てがって寝転んでいる。この姿勢にならないと腰痛に襲われるようになったからだ。
 鈴を振るように華やかなその声は、どんよりとした曇天の下、やけに不自然な響きを伴っている。
「すっごいことになるよ、きっと!めっちゃくちゃになる!」電話しているのか興奮した若い声だ。
「うん。そうそう。打ち上げるのはきっとそこから!一瞬で全世界の話題を攫うよ!明日、来るでしょ? 一緒に歴史的瞬間に立ち会おう!あーワクワクする!超楽しみー!」
 彼は手を止めずに隣の工場はなんの工場だろうかとぼんやり考えた。ストライキでも起こすつもりだろうか?