Loot
「看板、見たことあるかもっす。いかついローダウンの車ばかり置いてあったっすよね?」
「そうですね、VIPカーってやつを扱ってました」
西崎は懐かしそうに目を細めた。寺司はその様子を見ながら思った。岡田の家に集まっていた連中ではなさそうだ。反応を見る限り、車屋関係でもないらしい。つまりプレジデントの三百五十万とも関係がなさそうだ。そこまで考えたとき、西崎は申し訳なさそうな表情で言った。
「自分は、あの町で空き巣を何回かやったことがあるんです。てらっさんは、あの辺に住んでたわけじゃないっすよね?」
「おれ? そうですね。家は三駅分ぐらい離れてたかな」
「よかった。いや、なんかそれが気まずくて。空き巣に遭いませんでしたかって聞いて、犯人お前かよってなったら、そりゃもう出禁でしょ」
「いやいや、時効ですけどね。それは」
少し力が抜けた気がして、寺司はそれでもどこか神妙な顔を崩すことなく、湯呑みを棚から取って焼酎を注いだ。
「失礼します」
自分で注いだ焼酎をそのまま胃へ流し込み、寺司は思った。西崎の目的が金絡みじゃないのなら、それはかなりの安心材料になる。
「まあ、これだけ話してるんです。仮におれの家に空き巣に入ってたとしても、今更驚きませんよ」
寺司が言うと、西崎は肩をすくめた。それ以上に色々とやっているのかもしれないが、空き巣の件が引っかかって三週間も顔を出さなかったのなら、犯罪者としては随分可愛い部類に入る。猫背で焼豚を食べる西崎の姿を見ながら、寺司はその引き出しの浅さが羨ましいとすら思った。後から思い悩むようなことでもない。おれと違って。
『中止しろ』と言った、十七年前のあの日。半ば押し付けるように岡田を差し出して、音松にプレジデントのキーを渡した。加山も元々乗り気じゃなかったし、二人は確かに『見送るかー』と言ったのだ。その後はほとんど話していない。
ただ、ニュース映像はよく覚えている。普段は見ないテレビをたまたまつけていて、青橋の真下を流れる川から引き上げられる車の映像を見たことも。九七年型のレガシィツーリングワゴン。ゴールドの純正ホイールが取り付けられたGT-B。見間違いようがない。
それは、宝石商の車だった。
― 十七年前 冬 ―
タモツから引っ越しの話を聞いてから、二日が過ぎた。あれから理恵とやり取りしている中で、その話が出ることはなかった。つい数時間前、屋台を閉める直前にやってきたばかりだが、理恵はいつもと同じだった。まるで、今のこの関係が永遠に続くかのように。対してプレジデントの一味は、ここ数日見かけなくなっていた。平和なのはありがたいが、存在する以上どこかで誰かに迷惑をかけているのは、間違いない。バイトを終えてショッピングモールをぶらつき、自転車で家まで帰る途中、タモツから電話がかかってきてシンちゃんは足を止めた。走りながら取ってもよかったが、今は相手が誰にせよ、その声に集中するのが大事な気がした。
「もしもし」
「おー、外か? メシ食った?」
その能天気な声に、シンちゃんは笑った。こちらはいつも通りだ。
「まだだよ。近くまで行くわ」
シンちゃんはそう言うと、自転車に再び乗った。タモツが指定したチェーンのレストラン前に派手なバイクが停まっていて、タモツが少し離れたところから手を振った。
「あのバイク、お前の?」
「声がでかいって」
タモツはわざとらしく声を抑えて、言った。テーブル席に座り、注文したカツ丼がお互いの前に並んだとき、タモツは言った。
「こないだの話だけど。お前、引っ越さないのか?」
「どこに?」
シンちゃんが言うと、タモツは唐辛子を振りかけながら目を丸くした。
「どこでも。ここじゃないとこだよ。こんな不自由な町、いても仕方ないって」
「地元だからな。お前は楽しんでるだろ?」
シンちゃんが言うと、タモツは首を横に振った。
「どうだろうね。せっかくバイク買ってもさ、あれナナハンだから。誰が乗ってるか広まったら、パクられるかシメられるんだぜ。まだてめーには早いって。本来なら誰が乗ったって勝手なはずだろ」
長い付き合いだったが、タモツはこれまでになく理論的だった。お互い十八歳で、同じようなところをうろついてきたのに、その言葉は突然大人びて聞こえる。シンちゃんがカツ丼を食べ始めると、唐辛子を振りかけすぎて大きくむせたタモツは、お冷を飲み干してから続けた。
「今までの付き合いがあるからとか、マジで考えなくていいんだって」
確かに、外の世界を知らないだけじゃなくて、ここが『知らない場所』になってしまうのが怖いだけだ。シンちゃんは言った。
「なんかさ、急に成長したな? 老け薬でも飲んでんの?」
「お前らを見てると、こっちが勝手におっさんになっちまうんだよ」
タモツはそう言うと、カツ丼を食べ終えた。同じタイミングで箸を置いたシンちゃんは、首を傾げた。
「お前らって?」
「理恵ちゃんだよ。お前、おれとメシ食ってていいの?」
「誘ったのはお前だろ。あいつは、引っ越しのことを何も言わないんだ」
「それは、お前が知ってるってことを知らないからだよ。早く話せって」
タモツが言い、シンちゃんは、頭の中で今までに繋がっていなかった部分の回路が突然接続されたように、立ち上がった。勘定を済ませて二人で店から出ると、タモツは自分のバイクの周りに誰もいないことを確認しながら、言った。
「いつでも戻ってこいよ。おれはこのまま成り上がって、調子に乗った奴をシバく奴を、シバく奴になる。恐怖政治だ」
シンちゃんはうなずくと自転車に乗り、走り始めた。携帯電話を手に持ち、理恵の番号を鳴らすと、数回の発信音の後に通話が始まった。
「もしもーし」
理恵の口調は、いつも通り。さっき屋台で会ったときと、何も変わらない。
「理恵、もうバイトは終わった?」
「終わったよ、今ちょうど帰り。シンちゃんは? あ、あれからヤンキー来なかった?」
「来なかったよ。でも、いつ来るかって感じだな。理恵、この辺はさ……、大変治安が悪くなった」
どうして頭にこの言葉が浮かんだのか、分からなかった。シンちゃんが自分でも何を言っているのか分からなくなっていると、理恵は言った。
「それ、わたしが言った気がする」
「おれも、そう思うんだ」
シンちゃんが言うと、理恵は電話の向こうで少しだけ静かになった。
「シンちゃんも? マッスルヤンキーになりたくないの?」
「そういうことは、タモツに任せる。おれは違う道がいい。今は外だよな?」
シンちゃんはそう言って、信号待ちで自転車を停めると辺りを見回した。理恵のバイト先から家までの道は、話せる場所が何か所かある。ひとつは、駐車場のないコンビニ。交番が近いから不良が集まらない。
「コンビニは通り過ぎた?」
「過ぎちゃったね。シンちゃん、家にいないんならさ。ちょっと話したい」
次に静かに話せる場所は、夜でもゲートが開きっぱなしになっている工場の駐車場。シンちゃんは言った。
「じゃあ、工場の駐車場で待ってる」
「オッケー、五分くらいで着く」
理恵が言い、シンちゃんは電話を切ると、自転車を漕ぎ始めた。工場の駐車場は、青橋のすぐ近くにある。