Loot
シンちゃんはタモツが立ち去るのを待ちきれないように、串で鉄板を引っ掻いた。タモツが『じゃあな』と言って引き返し、鉄板から白い煙が上がり始めたとき、シンちゃんは慌てて火を弱めた。
理恵が引っ越す? 一体どこへ?
岡田の家は、来た人間が必ず何かを忘れていくから、どんどん足の踏み場がなくなって倉庫のようになっている。音松と加山は、いかにもプロの強盗のように地図を眺めていて、寺司は岡田と話しながら、二人の会話をずっと小耳に挟んでいた。岡田はちらちらと横目で見ながら言った。
「やべーこと、考えてんすか?」
「いや、そんな脳みそはないよ。やべーだけだ」
寺司はそう言うと、岡田が釣られて笑わないか、じっと観察した。笑ったら罰ゲーム。そのとき、おれが右手に持っているもの。それが岡田の頭に落ちる。ビールの缶なら中身。煙草なら火のついている側。何もなければ手を痛めるのが面倒だから、足首を蹴飛ばす。岡田は経験から学んでいて、神妙な顔を崩さなかった。
「だんだん、表情見てると分かるようになってきたんすよね。あーこれは、なんかでかいことやろうとしてるなって」
「お前も乗るか?」
今度は笑ってもいい質問だ。むしろ、真顔で断ったら罰ゲーム。寺司が反応を待っていると、岡田の目は宙にしばらく泳いでいたが、やがてだらしない口元が開き、笑顔になった。
「いやいや、無理っすよ。ついていけねえっすから」
「まあ、興味があったら加山に言えよ」
寺司はそう言って、また音松と加山の会話に耳を傾けた。強盗自体は簡単だ。こっちに覚悟さえあれば、大抵の相手は折れる。三人でやってきた仕事。今、岡田と少しだけその話題を共有した。酒も飲んでいないのに、頭の中にはずっと出番を待っていたような言葉が浮かんで、離れなくなっている。
「うんざりだな」
寺司は誰にも聞こえないように呟くと、音松と加山の会話に加わった。地図に引かれた線を見て、青橋の手前を右折するルートを指でなぞると、言った。
「こいつは中止にしよう。少なくとも、おれは抜ける」
音松は冗談だと思ったらしく、不自然な笑顔を加山に向けた。加山は笑うことなく、小さくうなずいた。
「そうか」
寺司は『お前らもマジでやめとけよ』と口に出しかけたが、代わりに岡田の襟首を掴んで無理やり座らせると、言った。
「こいつも、興味あるらしいぜ」
岡田が否定する間もなく、音松がヘッドロックをかけ、地図が汚れないように加山が脇へどけた。顔が紫色に変色しつつある岡田を解放し、音松が言った。
「テラ、車は借りていいよな」
「返せよ。でも、マジで中止にしたほうがいい」
寺司はそう言って、プレジデントの鍵をキーホルダーごと手渡した。
― 現在 ―
火曜日に美幸と話したこと。何気ない上に短い会話だったが、金曜日になって店のカウンターへ入っても、その言葉はずっと頭に残っていた。
『ちゃんと蓋をしておいてね』
考え事をする余裕を残しておきたかったが、今日はいつもより客の出入りが激しく、近所に住む斎藤夫婦や、同じ社章のスーツを着たサラリーマントリオまで、常連が申し合わせたように一度に訪れていた。
「てらちゃん、ビール来てなあい」
斎藤夫婦の妻が言い、寺司は頭を下げながらビールが入ったグラスを差し出した。
「今日は忙しすぎて、てんてこまいな感じ?」
斎藤夫婦の夫が言い、寺司はうなずいた。
「追いつかなくてすみません。ありがたいことです」
「てらちゃん、多少遅れてもいいからさ。真面目にやりな。無理に追いつこうとして横道に逸れるより、ずっといいよ」
斎藤夫婦の夫が諭すように言い、寺司はうなずいた。その通りだ。この人は普段から似たようなことを言うし、この言い回しも何度か聞いたことがある。しかし今日は、その意味が自分事となって、ひとつひとつ丁寧に響いてくる。プライドの象徴のような大企業の社章をつけたサラリーマントリオのひとりが、ウィスキーを飲みながら言った。
「今日ちょっと、いつもと違いますよね。家庭はうまくいってますか? おれらみたいな酔いどれに時間費やしてたら、ねえ?」
トリオの残り二人が双子のように笑い、寺司も笑った。
「仕事ということで、理解はしてもらってます」
午後十時を回って斎藤夫婦が帰り、サラリーマントリオはひとりが会社に呼び出されて戻っていったが、残った二人も十一時前には帰っていった。
戦場のような日だった。寺司がそう思いながらグラスをカウンターの後ろへ片付け終えたとき、がらりと扉が開いた。
「おー、ちょっと空きましたね」
寺司は条件反射のように言いながら、自分の直感は外れていたのだろうかと考えた。西崎が金平糖のようなデコボコの頭を下げて、後ろ手に扉を閉めながら言った。
「お久しぶりっす。まだやってますかね?」
「もちろん」
寺司はそう言って客席側へ回ると、いつも西崎が座る真ん中の席を綺麗に拭きあげた。西崎の最初の注文は瓶ビールと決まっているが、先に洗い物を済ませないとビールグラスが出せない。寺司が少し時間をくれと言おうとしたとき、西崎は小さく手を横に振って、言った。
「忙しかったんでしょ、いーっすよ。ティーチャーズをショットでください」
「飛ばしますね。焼豚スライスつけますか?」
寺司が言うと、西崎はうなずいた。こうやって顔を合わせると、やはり西崎は『いい奴』で、警戒していたのが馬鹿らしくなる。実際に口が滑ったのだとしても、西崎からすればどうってことない話なのかもしれない。話を聞いている限り、西崎のやってきた悪事は時効なのだから。
「グラス出せなくてごめんなさいね。今日は本当に忙しかった」
「お疲れさまっした。今日は、何時まですか?」
西崎はそう言って、ティーチャーズの入ったショットグラスを受け取ると、周囲を見回した。寺司はカウンターから出ると、看板の電気を消してのれんを下ろした。
「西崎さんがラストかな」
いつも通りに安心して飲める権利を確保したように、西崎はショットグラスを眺めながら笑った。
「なんだか、いつも気ばっか使わせちゃって、すんません」
「一日の最後を飾る、大事なお客さんですよ」
寺司はそう言うと、カウンターの後ろへと戻った。焼豚をいつものようにスライスし、利き手の反対側にからしを添える。三年間続いた恒例行事。その中で今まで、具体的な名前を出したことはなかった。共有しているのは『青橋』と『たこ焼き屋』の二つだけだ。寺司は、いつも通り皿を囲うように食べる西崎に言った。
「結構、昔話はしてきましたけど。たこ焼き屋の話をしてから、色々と思い出しちゃって。
当時、あの辺のガラが悪い連中はみんな、岡田って奴の家がたまり場になってたんです」
突然の個人名に、西崎は困惑したような表情を浮かべたがすぐに真顔に戻り、話の続きを促すように小さくうなずいた。寺司は続けた。
「おれは仕事があったんで、あまり顔は出さなかったんですけどね」
「高校出てから、車屋さんに勤めてたんすよね?」
「そうです。十年ぐらい前にライバル業者から告発されて、店ごと潰れちゃいましたが。ニュースにもなったんじゃないかな。ファインウェストオートってとこでね、まあヤクザな車屋でしたよ」