Loot
寺司はカニカマをひとつ手に取り、店の続きのように二人の話の聞き役へと回った。自分の話は、簡単にはできない。美幸と付き合い始めたとき、犯罪との縁は既に切れていた。美幸には、それより前のエピソードをほとんど話していない。幸運なことに、美幸の中では『夫の触れられたくない過去』に分類されているらしく、今でも積極的に聞いてくることはないし、それは本当に助かる。美幸と直人には、鍵を閉め忘れたときにどんな人間がどんな目的を持って中へ入って来るか、ニュース映像や怖い本で想像するだけしておいてほしい。実際にそういう奴がどんな風にメシを食って、仲間と話して、社会に迷惑をかけているか。
そんなことを具体的に知る必要はない。おれが知っているだけで十分だ。
― 十七年前 冬 ―
夕方、公園の近くを意味もなく一周したところで、音松が暇な時間を体から吐き出すように、携帯電話を片手に持ったまま大きな欠伸をした。
「あー、岡田んとこは親が両方戻ってるんだってよ。今日はいくとこがねーな」
後部座席に座る加山は、深いシートの真ん中に陣取り、助手席に座る音松と、ハンドルを握る寺司の後頭部を代わる代わる眺めた。音松が運転席をぽんと叩き、言った。
「テラ、腹減った」
「だから何?」
寺司はぶっきらぼうに言いながら赤信号ギリギリで交差点に進入し、並走している自転車に幅寄せしてからクラクションを長々と鳴らした。道を塞がれてプレジデントとの間に挟まれた学生がよろめくと、音松が窓を下げて自転車のハンドルを掴んだ。
「色、分かんねーのか?」
寺司は、音松が自転車を万力のような力で掴んでいるのを見て、アクセルを少しずつ開けた。自転車が傾いていき、カゴに入った鞄が諦めたように地面に転がり落ちたとき、音松はようやく手を離した。交差している側の信号はすでに青になっていたが、寺司はすでに走り始めている車の列に割って入り、前を走る軽自動車を勢いよく追い越した。加山は小さくため息をつくと、後部座席から言った。
「この車で目立つのは、ヤバいんじゃないの」
自分に言い聞かせているようだと、加山は思った。いつも集まるだけ集まって、目的がない。ただ車に乗って、その辺をだらだと走り回るだけだ。加山は音松の幼馴染で、高校生に上がるぐらいまでは、目的がないということが普通で、むしろ何かはっきりとした目的のためだけに集まるのは仕事仲間のようなもので、本当の友達ではないとすら思っていた。それが変わったのは、音松が高校で知り合った寺司を引き入れてからだった。三人組になって気づいたのは、この時間が何も生み出さないということだった。寺司と気が合わないわけではない。ただ、音松と二人でいるときと比べたら、明らかに場の空気は異なる。音松も、さっきのような自転車に毎回ちょっかいをかけるような性格ではなかった。しかし三人組になると、何故か音松が『暴力』担当になり、寺司が一歩引きながらその様子を眺めるという役割分担になる。リーダーではないが、寺司にはどこか冷静な部分があって、勢いがつきすぎたときに突然『いや、おれはいいわ』と言って腕組みをしそうな雰囲気が残っている。加山が自分の言葉に対する返事がないことを受け入れたとき、ようやく信号を守る気になった寺司が他の車に合わせてプレジデントを減速させ、その重い車体が停止するのと同時に振り返った。
「他にも車はあるからな。ヤバくなったら換えりゃいい」
「まあ、そうだけどな。でもこれ気に入ってんじゃないの?」
加山は、分不相応なぐらいに豪華な室内を見渡した。寺司は口角を上げると前に向き直り、その会話を耳に挟んでいた音松がバイザーに触れた。
「買ったら高いよなー。でもさ、割りと近い内に買えるようになるんじゃねーか?」
新しい『仕事』。すでに三件を終わらせた。音松は低い音でアイドリングを続けるプレジデントのエンジン音を聞きながら、思った。小さいころから、加山とずっと話していたこと。別に大金持ちじゃなくてもいい。金のことを気にしなくても済むようになりたいだけだ。中学校に上がる前ぐらいから、小遣いという言葉がとにかく嫌いになった。新聞配達を地道にやっていた時期もあったが、先輩から『もーちょい効率上げねーか』と言われて参加したのが、路上強盗の見張りだった。記念すべき一回目が成功してからは、真面目に働くという選択肢は頭から完全に消えていた。先輩が『効率』を重視しすぎて捕まってからは、引き継がれたノウハウだけが頭の中に残っていて、加山といくらファミレスで話しても、具体的にはならなかった。転機は、高二のときに訪れた。寺司という新しい仲間ができたのだ。寺司は、こちらの言うことを何も否定しなかった。『へー、面白いこと考えてんな』と言い、それが絵空事のようなスケールの話でも、とんとん拍子で話を盛っていく。頭の根っこの部分が前向きなのか、加山と話しているときにいつも感じる、出口が見当たらずに狭い場所へどんどん迷い込んでいくような感覚が、寺司との会話にはなかった。そのせいか、寺司は未だに『よく分からない奴』のままだ。例えば、てっきり夢を追いかけるタイプだと思っていたら、高校を出るのと同時にファインウェストオートに就職した。店長は窃盗グループの一員で、手先だけが器用な外国人に夢を与え続けている。寺司がその店を選んだのは、単に給料が良かったというのが理由らしいが、思わぬおまけがあった。それは、自由に使える出所の分からない車だ。寺司がシルバーのクラウンアスリートで待ち合わせ場所に現れたとき、普段は感情を出さない加山ですら、驚いていた。そのとき、ずっと頭の中にあった『絵空事』が初めて現実味を増したことに気づいた。だから成人式の日、まずは自分がリーダーであることをはっきりさせるために、前を走っているカルタスのパトカーを指差して、言った。
『あのパト、振り切れるか?』
寺司は無言でパトカーにパッシングを浴びせ、クラクションを数回鳴らした。返事をするようにサイレンが鳴って赤色灯が回り始め、寺司はクラウンをUターンさせてアクセルを全開にすると、道幅が車一台分しかないような土手沿いの道路へ時速百キロで飛び込み、パトカーがバックミラーから消えたタイミングで、土手より一段低い道路へ下りてヘッドライトを消した。エンジンを止めてしばらく経ったところで、サイレンと赤色灯が通り過ぎていった。音松は確信した。寺司はパトカーを振り切れる。そして、県をまたぐ青橋を中心に考えればいいと言った。船が通れるように少し無茶な傾斜がついた、古い橋。相手を十分に引き離せば、視界から消える時間を稼げる。そのためには、二十秒程度で渡りきらなければならない。そのために必要な速度は、時速百三十キロ。先が見えない上りをそのスピードで走るのは、相当な度胸が要る。