悠々日和キャンピングカーの旅:⑧霞ヶ浦・房総半島(茨城千葉)
R140から外れて、秩父鉄道の終着駅の三峰口駅に向かった。木造の小さな駅だが、蒸気機関車のC58用の転車台があるので、それを見たかったが、「ジル」を駐車できる場所を探せず、結局、立ち寄れなかった。
R140に引き返す時、荒川を跨ぐ橋の横に何やら見慣れないものがあった。後日、ネットで調べたところ、秩父ジオグラビティパークの用具で、吊り橋、ロープを使って空中を滑る用具、それにバンジージャンプもあるようで、スリルを味わうには格好の場所なのだろう。私の趣味のパラモーターとはかなり違う感覚かもしれない。
ちょうど昼食の時間になったので、道の駅「あらかわ」に向かった。
この道の駅はR140から少し離れた場所にある一方、横には秩父鉄道が走っており、プラットフォームはないものの、位置関係だけを見ると、道ではなく鉄道の駅のようだ。ここのショップには、多数のC58関連グッズが売られていた。
道の駅の駐車場内の、秩父鉄道の線路脇に「ジル」を停めて、カップ麺とニジマスの甘露煮を食べていると、C58ではなかったが、三峰口駅に向かう電車が走って来た。
道の駅を後に秩父に向かった。北側斜面で石灰岩の採掘が盛んに行われている日本二百名山の武甲山(ぶこうざん)を右手に見ながら秩父の街並みに入って行った。この山のセメントが東京のビル群を作ったという話は有名だ。
「欧米は従来の煉瓦建築からセメントの鉄筋コンクリートに代わった」ことを聞いた渋沢栄一は、「煉瓦会社をセメント会社に発展させてはどうか」との助言を元に、その原料となる武甲山の石灰石に目を付け、資金援助した秩父鉄道が延伸し、秩父セメント(現・太平洋セメント)が設立され、セメントの製造が始まったとのことだった。
現役の頃、職場の同僚の実家をベースに、彼の案内で、秩父の殆どの観光地を回ったので、今回は、道の駅「秩父」のみに立ち寄り、アルコール好きの息子向けに、地場の清酒を買った。
そこからは、越谷市の娘宅に直行することにした。
熊谷を経由して、旧中山道のR17を走って都心に向かい、途中から東に向かい、越谷の娘宅には18時過ぎに到着した。