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人生×リキュール シャンボール

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 トンボさんが、慌てて私を押さえようとして手を伸ばしてきた。
 私はその手をかいくぐりながら、余計なお世話と吐き捨てる。が、申し訳ありませんと何度も謝りながらも、トンボさんは手を引っ込めようとはしない。私の手を掴もうとした彼の手を引っ掻いた私は後退しようとする。が、トンボさんは私の鞄を掴んで引いてくる。財布も入っている鞄を引っ手繰られるかもしれないと驚いた私が引き寄せる。そうして、すったもんだの末に私は隙間の外に出た。出された。私は前のめりに崩れ、トンボさんは尻餅をついた。それから、お互い唖然として言葉もないまま何分かが流れた。
 最初に言葉を発したのはトンボさんだ。
 礼の如く、あので始まって、申し訳と続いたので、もうそれいいからと私が遮った。
 彼は、すみませんと蚊の鳴くように言うと俯いた。まるで捨てられた子犬だ。
「とりあえず、立ってください」
 私の言葉に、ははははいと敬礼するように起立するトンボさん。
「ご飯、奢ってくれるんでしょ?」はははははいとお辞儀する。
 その後、焼き鳥屋のカウンターに陣取った私達。けれど、生が運ばれてきても、会話らしきものはなかった。
 変な人。と私はトンボさんに対して思っていた。
 共通の話題は仕事だけで、その仕事にしたってトンボさんにしてみれば、あまり楽しい話題ではないだろう。話し好きってわけではないし、かといって聞き上手でもない。どうして私をご飯に誘ったのだろう?
 変と言えばこの居酒屋もだ。焼き鳥を焼く煙がもうもうと立ち籠めているくせに、やけに陽気なPOPがかかっている。手拍子やギロの音が入っているテンポのいい底抜けに明るい曲を歌うカラッと乾いた女性の声。どうみても不一致だ。聞いているうちにアコースティックギターが入ってきたが、相変わらずポジティブな姿勢は崩れない。個人的には絶対に選ばない選びたくない曲調。それなのに、トンボさんは知っている曲なのか微かに膝でリズムを取っているのだ。どこまでも失礼だが、私にはそれも又意外だった。彼は根暗だとばかり思っていたから。
「その、ここは、ネギマがおいしいんです。それで、ぼくは、その、よく来るんです」ご機嫌なのかワントーン高い声だ。
「この音楽って・・」上を指して尋ねた。
「あ、これは、その、Sheryl Crowですね。あの、ぼく、その、割と好きなんです」照れたように相貌を崩すトンボさん。
「意外ですね」
「え、あの、い、意外ですか?」なにを思ったのかガックリと肩を落としている。
「私、焼き鳥に美味しいマズいってわかりません」焼いて塩とかタレつけるだけでしょと言うと、トンボさんは、そのそれがと首を振る。分厚いメガネの奥、目の周りが赤い。この人、お酒弱いのかも。
「その、全然違うんです。あの、食べたら、きっとわかります。たぶん」
 ご自慢のネギマが運ばれてきた。一口食べる。おいしい。でも、特別や一番かはわからない。そもそも私はそんなに焼き鳥を食べないから。そんな私の横で、トンボさんは幸せそうな、ほんとうに幸せそうな顔をして、ネギマを頬張っている。無防備で無邪気で、心から寛いでいるいい顔だなぁと私は目を奪われてしまった。アルバムをかけているのか、同じ声、同じ曲調の音楽は続いている。
「・・・あの、いつも、その、なにに怒っているんですか?」
 トンボさんが切り出してきたのは、生から甘いカクテルに切り替えたタイミングでだった。
「怒ってる? 私がですか?」あの、はいと比較的ハッキリと返答してくるトンボさん。
「そんなつもりはありませんが、そう見えますか?」
「その・・はい。あの、ボクがなにか、その、怒らせているのかと」
 気付かれていたのだ。正直に言うかどうか少し迷った私は、ちがうよとシラを切ることにした。
「自意識過剰」悪い意味でと付け足しながら、運ばれてきたカクテルに口をつけると、突如襲撃されたベリーの濃厚な風味にうわあと声が漏れた。どうしましたかと慌てて首を傾げるトンボさんを無視して彼の前にあるメニューに手を伸ばす。
「すごいコレ。すごいベリー。おいしい。すごく。カシスだと思いましたけど、これなんでしょう? どれ頼みましたっけ?」興奮する私を見開いた目で見つめながら、これじゃないですかとトンボさんはカクテルの一つを指差した。
 超数量限定カクテル『シャンボール・フィズ』偶然手に入ったので早い者勝ちと追記があった。
「へえぇぇーシャンボールって世界遺産のお城ですよね。すごい名前。だから、上品な味なんですねぇ」
 ふと気付くと、トンボさんが微笑みながら私を眺めていた。そこで始めて、自分がはしゃぎ過ぎたことを知る。相変わらずの調子を崩さない女性の声がピアノに合わせてバラードっぽい曲を歌い出した。どこまでもストレートで、わかりやすくて、疾しいことなんかなくて、誰にでも好かれるそんな空気を放つ音楽。それが、私に誘いかけてくるようだ。怖がらないで。あなたも普通になっていいのよ。一気に酔いが吹き飛び、恥ずかしくなって視線を足下に落とす。そんな私の鼓膜をよかったですと明るい声がノックした。
「その・・・喜んでもらえて」
 別にと口許に出掛かった言葉を私は慌てて飲み込む。・・・なんで?
 理解不能の自分の行動が怖くなった私は、唐突に立ち上がって店から飛び出した。
 やめてやめてやめて。
 そんな目で見ないで。私を見ないで。関わらないで。放っといて。放っといて。私なんて死ね死ね死ね。
 死ねばいいのに!
 走りながら叫んだ。叫んで叫んで叫びまくった。そうすると、喉に痞えていた嫌ななにかが粉々になって消化されていくようだった。頭上には満月がかかる。
 新月の夜だ。

 夢に彷徨う。
 どす黒くて息苦しい。いつもの悪夢。ちがうか。私がうっかり忘れないための自主規制の夢か。
 車が高速で行き交う関越道。
 のっぺらぼうが運転する無機質な車達は道路の一カ所を避けるように走行していく。
 フロントガラスの粉々になった破片。足で踏み潰した空き缶みたいにぺしゃんこになった白い軽。それを包囲する発煙筒の赤い光がやけに眩しい。
 散乱する瓦礫にそっと添えられるように落ちている、柔らかい輪郭の黄色い欠片。
 卵焼きの欠片。
 よく見ると、あちこちで踏み潰されて黒い道路に黄色い滲みを作っている。卵焼き。母がこしらえた私の好物の甘めの卵焼きの残骸。
 妙な角度にへし折られた重箱には、卵焼きの代わりに鮮血が溜まっている。
 その先、車体の、運転席だった部分・・・見たくない。
 私は目を閉じた。けれど、映像は再生され続ける。
 引き千切れた肉片。
 母の、母だった一部分。母として生きていた体の一部分。・・・やめて。
 血塗れになった桜色のカーディガン。母の愛用していたカーディガンだ。・・・やめて。
 機械的に救出作業と言う名の回収作業を行っている顔のない作業員。
 母を構成していた要素が、見慣れた部分が黒いビニール袋にテキパキと詰められていく。・・・やめて!
 私は叫んで駆け寄ろうとする。けれど、足が動かない。いくら手を伸ばしても届かない。