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人生×リキュール サザン・カンフォート

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「あぁあメッシー? 随分ふてぶてしそうな顔したメッシーだな。ん?・・・おい、もしかしてコイツ」俳優のーと男が言いかけたところで、彼はやめろぉーと金切り声を上げながら恋人の部屋を飛び出した。
 なんだこれ。なんだこれ。
 嘘だ嘘だ嘘だ!
 帰宅した彼を待ち受けていたのは報道陣だった。
 彼は、稲妻のようなフラッシュの嵐から逃げて玄関に転がり込むと震える手でなんとか鍵を閉める。
 触れたあご髭が濡れているのに気付く。彼はいつのまにか泣いていた。
 インターホンの音がひっきりなしに鳴り響く暗い室内の端っこで息を殺して縮こまる彼。叫び出したいのを堪えて不規則な呼吸をしていると、鼻が気になり始めた。彼は鼻をほじりながら先程の兄の姿を思い起こす。
 ・・・兄だった。間違いない。あれは兄だった。どうして?
 貧乏揺すりをしながら鼻をほじる彼を包むのは、カウンターの上から香る開けっ放しのサザンカンフォートの甘い香り。
 鈍い光を放つボディに彼の湾曲した姿が映っている。兄にそっくりな姿。
 なんでだ? なんでだ? どうしてこんなことに?
 これは嘘だ。嘘だ。嘘だ。
 テレビをつけると、X監督が緊急記者会見を開き、彼の代役として若い俳優を紹介しているところだった。
 彼より整った顔立ちをしたその男は、最近メキメキと頭角を表し始めた若手俳優の一人。
 経歴が流れ、プライベート情報の一部が公開されたかと思うと、突如彼の元妻とのツーショット写真が現れた。
 美男美女でお似合いの二人は、来年の春に入籍予定らしい。
 嘘だろ。どうして妻は寄りにもよってこんな男と?
 彼の脳裏に嫉妬と猜疑心が同時に沸き上がった。果たして、こんな顔面だけで売ってるような男に、あの汚れた道化役がやれるものなのだろうか? 
 彼は、しばらくテレビを睨んでいたが、バカらしくなってチャンネルを変えた。

 数日後、スマホの画面がメールの表示で明るくなった。恋人からだ。
『この間はビックリしたよぅ。いきなり来るんだもん。どうしたのぉ? あの男はしつこい元カレ。一回やったら別れるって言ったからぁ。ビックリさせちゃって、ごめんねぇ。大好きだよぉ♡♡♡会いたいなぁ。今夜、この間行った赤坂のご飯屋さんで仲直り会しない?』
 ノイローゼ気味になっていた彼の胸に明るい希望の火が灯る。さっそく、了解と打ち込むと送信した。
 BGMは相変わらずインターホンの音だが、以前よりだいぶ少なくなってきていた。
 世間がやっとおれに飽きてきたらしい。
 それでいい。もうそっとしといてくれ。
 彼女と会えると思うだけで、渦巻いていた底知れぬ不安が嘘のように解消されていくのを感じた。
 彼は指についた鼻糞をテッシュで拭き取ると、塵溜めのような部屋を横切ってシャワーを浴びに風呂場に向かった。髭も剃らないと。なんせ、恋人が指定してきたのは赤坂の高級料亭。政治家も御用達の有名店だ。身支度は必須。
 ふと、そろそろカードが火を吹きそうだと思い出した。
 まぁいいさ。いざとなったら消費者金融で金を借りればいい。
 恋人からの甘いメールで、この間の胸糞悪い事件をそっくり忘れて頭を洗う彼の口からはインターホンの音に合わせた鼻歌がこぼれ始めていた。
 風呂上がりに、サザンカンフォートのソーダ割りを作っている時に唐突に妻が言っていたことを思い出す。
『人生を演出する一本を』って、これをくれたお爺さんから言われたのと妻は首を傾げていた。
 人生を演出する か・・・カンフォート・ソーダを飲み干した彼は、口内に弾けるフレッシュな炭酸の刺激を味わいながら、エピローグにはまだ早いはずだとニヤついた。
 夜になり、彼は恋人との待ち合わせの赤坂の高級料亭に向かって車を飛ばす。
 恋人は先に入っているとのことだったので、案内してくれる女将の後ろから意気揚揚と廊下を歩いていると、弾けるような恋人の笑い声が聞こえてきた。
 おれに会えるのが嬉しくて1人で笑ってでもいるのだろうかと、歩幅が広くなる。ところが、開け放たれた襖の先には、庭を背にした恋人が例の刺青男に寄りかかって寿司を摘んでいる光景だった。
「おう、メッシー君。やっと来たか」
 ワイルドな笑みを浮かべる刺青男が手を上げた。元カレがなんの用だよ。
「まぁ座れよ。適当に女将のお任せで頼んどいたから」
 恋人は彼には一瞥もくれず、うっとりと刺青男を見つめている。
 それ以外はクスクス笑いながら、料理を口に運び合う。
 二人の背後、窓ガラスの向こうには、趣きのある日本庭園が広がっているが、夜の帳に覆われているため黒い窓硝子があるばかり。そこに映る仲睦まじそうな二人の背中。そして、二人に挟まれるように映っているのは、兄・・違う、惨めな自分の姿だ。
 呼吸が小さく浅くなっていくのを感じる。息苦しい。
「なんだなんだぁ。随分と静かなメッシー君だな。おい、なんか喋れ」
 刺青男が圧のある視線で彼を促した。
「い、い、いや。お、おれは・・・」吃り過ぎじゃね? ぎゃははははと笑いが起こる。
 屈辱的だ。けれど、彼は引き攣った笑みを貼付けるだけで、動けない。注がれた酒も喉を通らなかった。
 抱擁したり接吻したりとやりたい放題の二人を目の当たりにしても、どうしても恋人を見つめてしまう自分。疎かでバカだとわかっていても目が逸らせないのだ。
 それに気付いた刺青男が、わざと恋人の豊満な胸を揉んだり足を持ち上げて広げたりし始めた。それでも興奮しながら釘付けになっている彼は、どうかしてしまったのかもしれない。
 男が女に彼のことを耳打ちする。
「うわ。キモーイ」そう言って、おれを見下しながら下品な呼吸で笑う二人。
 以前の彼ならばこんな屈辱的な仕打ちには我慢ならなかっただろう。ところが、今の彼は自分の見た目に自信がないこともあり、どんなにバカにされても仕方ないとすら思えてしまうのだ。
 所詮は見た目だけか・・・恋人に絶望した彼は堪らなくなって便所に立った。
 渡り廊下の窓ガラスに映っている兄にそっくりな姿。
 かつての兄もこんな気持ちだったのだろうか?
 愚かだなと思っていた兄の気持ちが手に取るようにわかる日が来るなんて思わなかった。深い溜め息が漏れる。
 おれも兄と同じ道を辿るのだろうか?
 用を足して手洗い場の鏡に映った自分の顔をうんざりと眺める。
 二枚目俳優の面影は跡形もなくなったそこには、荒れた髪と肌をした猫背のみっともない中年男がいるだけ。
 記憶の中の兄よりも酷いかもしれない。おれはこんな顔をしていたのか? 誰だよオマエ。
 鏡相手に睨めっこしていると、水が流れる音がして、個室からひょろっとした男が現れた。
 彼は思わず息を飲む。X監督だ。
 Xは丁寧に手を洗うと、隣にいる彼には構わずに便所から出て行った。と思ったら、即座に引き返してきて、彼を品定めでもするように下から上まで睨め回した。
 こんなに変わり果てた容姿になっても、おれだと気付いたのか? まさか。
 彼は落ち着くために慎重な呼吸を繰り返す。
「へぇーマジで作り込んできたわけだ」
 彼を穴が空くほど凝視した末、開口一番そう言った。
 彼の胸は高鳴った。