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人生×リキュール サザン・カンフォート

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 彼女の言うことはいつでも真っ直ぐで単純で熱っ苦しくて、優柔不断や不安からくる怒りを翳すおれを更に追い詰める。彼女の熱にとことん容赦なく追い詰められたおれは爆発せざる負えない。情けない自分と向き合わなければいけなくなる。彼女に自分を暴かれるのが嫌で、しんどくて仕方なくて、終いには彼女になにも話さなくなってしまった。もしかしたら、それが、離婚の原因だったのかもしれないと今ならわかる。
「諦めと逃げの早さ。あなたの悪い癖よ!そんなんだから、いつまで経っても二流止まりなのよ!」一言多いのは彼女の悪い癖だ。
「そうだよ。悪かったな。でも、だから、なんだってんだ? おれはそれで満足してるんだ。変わる必要なんてない」
「変わらない俳優なんて俳優じゃない。ワンパターンの演技なんて誰も見たくないわ」
「見たくない奴は見なきゃいい」そういう問題じゃないでしょう、と彼女は息巻く。
「それでいいの? あなた、このままじゃもう、俳優人生終わりなのよ・・・」終わりなのよの部分だけ、泣き出しそうなウィスパーボイスだった。それが耳にこびり付いたが、引き下がれないおれは決定打を口にした。
「おれを見捨てた君が、言うなよ!」
「見捨てたんじゃないわ!あなたのためよ!」唐突に通話は切られた。
 ほらな。やっぱりだ。
 妻は今、超がつくほどの売れっ子のモデルで、モデルという枠を越えてタレントとしてメディアでも活躍している。
 ファッション誌を始め週刊誌やムックの表紙を飾るほどの人気だ。そんな絶好調な妻が、いくらおれの事務所に頼まれたからと言っても、わざわざ連絡をよこしてきたのには彼女なりの理由があるのだろう。
 元夫のおれの存在は、彼女にとってはリスキーな爆弾のようなもの。
 大方、自分の足を引っ張るような真似はするなだとかそんなところだろう。
 暗転した画面を睨みながら唇を噛み締めた。
 なにがおれのため? 冗談じゃない。自分のための間違いだろう? おれが煩わしくなった。それだけだろう。おれは、あのタイミングで離婚したお陰でこの様なんだ。
 着信音が鳴った。
 妻が再びかけてきたと勘違いした彼は確認せずに通話表示をタップする。
 彼女から折れてくれるなら、おれはいつでも受け入れる準備はできていると寛容な気持ちすら芽生えた。ところが、相手はマネージャーだった。
「・・・やっと繋がった」
 苛立ちが全面に出たマネージャーの声を聞いた途端に切りたくなったが、次の一言で凍り付いた。
「代役決まったから」嫌だったんでしょよかったね、と受話口から放たれる氷点下の軽蔑の声がおれの鼓膜に突き刺さり思考を凍結させていく。それから、と一本調子のマネージャーの言葉は続く。
「アカデミー賞はダメだった」期待していたわけではないが、さすがに軽いショックがあった。言葉が出ない彼を無視してマネージャーは、あと、と更に続ける。
「うちの事務所との契約破棄が決まったから」長い間お疲れさま今後の書類手続きなんだけどと抑揚のない説明をし始めようとするマネージャーを遮った彼は、ちょっと待て、どういうことだよと食いついた。
「どういうこともなにも。自覚ないの? X監督からの仕事をあんな形で台無しにして。たくさんの関係者に迷惑かけて。あなたが予定をばっくれたことで、私達が毎日どれだけ各関係機関に謝罪に走っていたか知らないよね。社長がどれだけ慰謝料を払ったか。解雇だけで済んでよかったと思いなよ」じゃあ書類は後日送付させてもらうから、これ以上関わり合いになるのはご免だとばかりに断ち切るようにして通話は終了した。
 嘘だろう・・?
 彼は呆然と黒い鏡と化したスマホの画面を見つめ続けた。
 そうして見つめていれば、マネージャーから「なーんてね冗談だよ」といつもの砕けた調子で再着信が来るかもしれない、いや、来て欲しい。けれど、彼の願いも虚しく画面が光を取り戻すことはなかった。代わりに眉間に皺を寄せた泣きだしそうな男の顔が映っている。
 ブラックホールような漆黒から浮上するような寝癖頭にニキビが目立つ陰気な顔。見覚えのある顔だ。おれじゃない。
 ちがう。おれはこんなみっともない顔じゃない。おれはもっと・・・
 そこに恋人からのメールが届く。
『大好き過ぎて離れたくなーい♡♡♡ずっと一緒にいれたらいいのにぃー♡寂しいなぁ』
 可愛らしいハートの絵文字が散りばめられた愛情溢れる文面。彼を一途に好いてくれるこの世で唯一の存在だ。
 無防備などんな彼でも怒りも責めもせずに優しく受け入れてくれる。あの母なる海に抱かれているような肉厚の柔らかい体が恋しい。生クリームみたいなほわほわした甘えた声に癒されたい。彼女の纏うジルスチュアートの香水を肺一杯に満たしたい。
 恋人に無性に会いたくなった彼は、玄関に取って返した。靴を掃くのももどかしく車に乗り込む。鼻息も荒くエンジンをかけながら、強く思った。
 おれにはもう彼女しかないのだ。
 そして、彼女さえいれば、全てはもうどうでもいいのだと。
 恋人の済むアパートの階段を餌に走る犬のごとく駆け上がった時、不審な音と声に立ち止まった。
 何かが軋むような音と途切れ途切れにする小さな悲鳴のような声だ。
 音を辿った彼が辿り着いたのは恋人の部屋の前。
 数時間前にあとにした見慣れた恋人の部屋の扉が、まるで知らない扉に見える。
 彼は何度か深呼吸をすると、そっと扉を開けた。
 音と声が鮮明に鼓膜に伝わってくる。足音を忍ばせて部屋の奥へと進んだ彼が見たものは、背中に般若の刺青を入れた見知らぬ男と一糸纏わぬ姿で手入れの行き届いた足を惜しみなく広げる恋人だった。
 彼は息をすることも忘れて凝視する。
 おれの柔らかい桃色の素肌が。おれの豊かな胸が。おれのアヒル口が。おれの甘い吐息が。おれの栗色の巻き毛が。おれのジルスチュアートの香りが・・・
「てめぇ、なに見てんだよ」
 姿見に映った彼に気付いた刺青男が振り返った。ヤクザだろうか。凄み方が堂に入っている。
 目を見開いた恋人が慌てて起き上がると、待ってと言って男の腕を引いた。
「大丈夫だよ。この人、メッシー君だから。間違えて入って来ちゃったみたい」
 恋人が愛くるしいぽってりとした果肉のような唇を動かして弁明している。けれど、彼はその恋人の後ろにある鏡から目が離せなかった。
 そこには猫背の小太り男が、半開きの口をした惨めな面をぶら下げて呆然と立っている。
 彼は息を飲んだ。
 兄ちゃん? まさか、嘘だろ?
 豊かな贅肉が織り成す全体的な膨らみと出っ張り腹、それに頬の弛み。
 自信なく項垂れた姿勢は以前の姿とは別人だが、鏡にうつったのは紛れもなく変わり果てた彼だった。
 思い返せば、撮影をサボり始めてから、欠かさずしていた筋トレを精神的な疲労のせいにして辞め、ストレスを理由にどか食い自棄飲みしまくる日々。若い恋人に依存するだけのだらしない生活を送っていたのだ。こうなってしまっても言い訳はできないだろう三十路後半。けれど、鏡の中に兄を見てしまった彼は到底認められなかった。