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山の妄想詩

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そこに何かこがれる者でもいるのだろうか

木曽谷から風が吹き上がる

伊那谷から風が這い上がる

合流する風にその音を聞きながら

激しく打ち付ける雨雪に耐え

貼りついた氷を払うこともなく
ただただ彼方を見つめる

黄昏れる彼に情念は感じない

岸壁はひたすら黙するだけである





次郎笈

徳島の剣山は別名「太郎笈」と言う

尾根続きの隣の山は「次郎笈」と言う

奇名と笹が綺麗なたおやかな山容に惹かれて
いつか登ってみたいと思っていた

笈は、「おい」とも「きゅう」とも読まれ、行者の背負い箱のことらしい

修験の山故の山名なのだろう

そう言えば霊峰白山の近くにも笈ヶ岳という山があったな、と思い出した

ハイキング気分で1時間半

太郎の山腹を巻いて尾根に出ると
朝日の斜光の中、期待通りの次郎はいた

目のあたりにする山容はやはり好みのシルエット

朝日を背にゆっくりと登った

尾根に出る前、北の斜面でツツドリが「ポポッ、ポポッ」と鳴いた

静かな朝に心地よい響だった

尾根に出ると南の斜面から「カッコウ」と聞こえてきた

なかなかの演出である

そして、山頂からの戻り、背後でホトギスが鳴いた

まさに初夏の山を代表する朝の声の揃い踏み
その朝は出来すぎた朝だった





剱岳

一の越から雄山に登り別山まで縦走した

秋の澄んだ空気に明瞭な威厳を表していた
剱岳
ようやく近づいたかと思うといけずをして霧の中

濃さを増すにつれ諦め、下ろうかと思っていると
うっすらと八峰の一部が明けきた

ドキリとした

2列の支尾根がゴジラの背だった

背ビレが霧の中で動いた
まさか剱岳の正体はゴジラか、とバカな妄想

動いたのは霧なのが分かりきったことなのに

間もなく霧は去りゴジラは姿を表した

当然、剱岳はゴジラではなかった

ただ、霧の中から現れた巨大岩塊は
それに匹敵する迫力を持っていた

現実は妄想と錯覚を超えることがある
山頂の岩峰に西陽が当たった時

私の耳には確かに咆哮が聞こえてきた





山の赤空

朝焼け、夕焼け
気取って言えば
モルゲンロートにアーベンロート

日の出入りのわずかな時間の赤く焼けるような空
我々の好む光景であり色
濃淡とグラゼーション、雲が絡む変化
その日その瞬間だけのもの
いとしくてせつなくもある

空や水の青
森や木々の色
青や緑は人間の好む色
安心安定の色

赤は高ぶりと同時に怖れや不安の色
逆に焚き火の炎の様に心に温もりと安らぎを与える色でもある

朝夕の焼ける赤を見てきた人類の祖先たちは

森や岩陰に身を置き赤い空や山を眺めたのだろう

赤が薄れ青い空に変わるまで
赤が黒に変わり闇に包まれるまで

私たちはつかぬまの荘厳な美を求めてそれを眺める

美の背後には祖先たちの怖れとその後にやってくる安堵が
潜んでいるからなのだろうか





北横岳

溶岩が作ったという台地の上には
分厚い黒い雲が垂れていた
大きな霜がびっしりと張り付いた凍てた岩の上に立つと
雲に手が届きそうだった
岩を降りた私は
大地と黒雲の天井の狭い隙間を横岳に向かって歩を進めた

ところどころにある登山道両側の岩には
渦を巻くようにエビの尻尾が張り付き
コーティングされた道端の低木や草原はまるで珊瑚のようだった
ふと見回すとあたりはモノクロームの世界であることに気づいた
同時に「失色」という言葉が頭に浮かんだ

おどろおどろしい生き物に化身した低木を見やり
山頂への登りに取りかかる
我が身はすぐに黒雲の中に入ってしまった
霧の向こうにうっすらと小屋が見え
煙突から煙が立ち昇っていた
揺らぐカゲロウは濃い霧を透かしていた

山頂に展望はなく
強風の合間に蓼科山の一部が見え隠れする
眺める体はすっかり冷え切り
凍えぬうちに来た道を引き返した

坪庭の台地に下り周遊する
一帯は依然として色がなかった
そして一段と冷えた空気が頬を刺す
背の高い針葉樹のモンスターはユーモラスで
冷気にひたすら耐えている道端の化粧サンゴは健気だ
そのアンバランスな世界
ここには「色」はなくてもいいと思った





木曽駒ヶ岳

山頂の上空に逆弧の虹が出ていた
下方に湾曲する曲線は手が届きそうなくらい近かった

色の並びを確かめた
内に赤、外に紫
並びは正弧と同じ
不思議だと感じるまで時間が要った
仕組みはわからない
不思議なことではないのかもしれない

赤、橙、黄、黄緑、緑、青、紫

赤より長い波長は赤外線

紫より短い波長は紫外線

7色の外側にある色はいずれも人間には見えない

光は電磁波の一種
波長ごとに分離された光が7色の基
人の目は網膜の3種の錐体で電磁波を捉える
赤、青、緑とその混色で色を知覚する
しかしこの3種だけでは赤と青の外側は見えない

もし外側の色が見えたなら
駒ヶ岳の虹の縁は何色だったのだろう





燕岳

迎える朝日は奇岩をオレンジに照らし
頬刺す冷気の中それは暖かだった
遠望するアルプスの山々は薄白の肌を輝かせ
寒々しい頂群も温められた

花崗岩の巨岩の大きな壁に陽光が当たり
私の幻影が映し出される
私は手を振ってみた
呼応するようにそれは手を振った
影の動作は妙に嬉しそうだった

丸い奇岩が続くざれた真砂の道
温められた石門を通る登山者は城壁を目指し
見下ろす私の眼差しも陽光のように暖かかっただろう
私は彼らを迎え、そして城を下る
女王の城は入れ替わる登山者に賑わうことだろう

山頂を下る私の視界はどこまでも広く
岩塔の向こうに連なる槍穂高も白い
遠望するそれは遥か彼方
私はこれからそこを目指して歩く




山の人

東北のとある谷深い山
初めて出会った人と山を歩いた

地下たびに倒木にテープを巻いた杖を持ち
立ち姿が真っ直ぐでキリッとしていた
痩せた身体にこけた頬
不安の一抹も感じさせない表情に深い皺が刻まれている

林道をしばし登る
淡々と歩くその動作に無駄は一切ない
沢を下る
頭の位置、上体の揺れがない美しさに見入った

沢の出合いで休憩
山の人はタバコを燻らせた
紫炎の香りに何故かホッとした私は歳を尋ねた
「77だ、あんたも同じくらいだろ?」
山の人は一回りも下の僕にそう言った
「わたしはまだ64ですよ」
沢の音に負けずに大きめの声で返した
「えっ、この頃は目も耳も悪くてな」
と、顔の皺を深めながら問い返す顔に今は亡き兄を見た





山霧

霧が這う

明けつつある夜から帰るため

霧が洗う

汚れた森の浄化のため

霧が呑む

もう一つの世界を作るため

霧は使者

現界への伝令を届けにやってくる

霧は迷い者

時空の狭間で立ち往生

霧は旅人

夜ふけに訪れ朝に去る

早朝の杉の森

竜の如き霧は樹上を蛇行し
その姿をゆっくりと消し去った





大雪山麓の森で

林の手前の川べりで
吹雪に出会った
雪の一片を手にとると
綿毛をつけた虫だった
この地に居住経験を持つ人が言った
「もうすぐ雪が降るよ」
虫の名は「雪虫」だと言った

黄金のカラ松の林の中に入った
そよっと風が吹き
小さく細い葉が雪の如く林内を舞う
作品名:山の妄想詩 作家名:ひろし63