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山の妄想詩

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稜線から落ちる谷の白線は山の輪郭を際立たせ
さながら高山の様相を呈している
空想を離れた私はそれが比良の蓬莱山だと認識するのに
しばしの時が必要だった




雪の稜線

緩やかな曲線を描く雪面と深く濃い青空
シンプルでいて十分な色の2元世界
青白の境の心地よい曲線に向かって
風に洗われたまっさらな雪面を登る快感

雪庇の曲線は生理的な快を生起し
踏み込む一歩を躊躇わす
汚さぬようにと吹き付ける横風に抗い回り道
厳しく鋭い襞状の風紋を踏み進む

私はこの世界を変える存在
風景の中の異物となり生の痕跡を刻む
ただ我が痕跡は儚く
夜を迎える風によってたちまちに消え去るのであろう





金勝山(こんぜやま)

岩を見たくなったら金勝山に登る
新緑の頃が良い
淡い緑が芽吹き始めると足が向く

天井川の土手を遡り
落が滝線の登り口から切り通しを抜け沢を遡る
水は花崗岩の一枚岩の川底を穿ち
柔らかく心地よい曲線をいく所にも描いている

滝は滝壺から見上げるもよし
落ち口から見下ろすもよし
対岸の斜面を攀じ登って眺めるもよし
岩体の水道を経た流れが唐突に噴き出し燦く

真砂で埋まった滝上の沢を過ぎると
岩盤の続きが現れる
小滝と甌穴を楽しみながら尾根に出る

目指すは大きな桃のような天狗岩
ゴリラ、シャチ、ナメクジ、硯石、バルタン星人
奇岩が点在する稜線歩きが楽しい
近江の平野の広がりある遠望にも優れ
点在する孤立丘が視覚的アクセントになる

天狗のテラスは異郷であると言って良い
冥想するもよし
妄想するもよし
許す限りの時間を過ごすべし

気持ちの区切りがついたなら
新たなオブジェを探しながら
先の支尾根を降りることにしよう





武奈ヶ岳

ある日、淡い緑が八雲が原を埋め、あちこちの枝にモリアオガエルの泡が垂れていた
ある日、山頂の空を埋め尽くさんがごとく赤とんぼが舞っていた
ある日、金糞峠をアサギマダラが飛んでいった
ある日、流れる湿原の流れにイワナを見た

その日、コヤマノ岳のブナ林は輝く霧氷の花が煌めき、風に煽られた氷片が眩しかった
その日、イブルキノコバはふかふかの雪布団をかぶりラッセルする足が喜んだ
その日、西南陵の白い馬の背は芸術的紋様の風紋が広がる雪原だった
その日、ワサビ峠の雪庇は気持ち良い曲線を描き青空を切り分けていた

季節ごとに何度も訪れた愛着深い山
派手さはなく奥で控えめに座する山
季節ごとの顔が期待をそそる山
味わい深い取り巻きに囲われた山

北比良峠から堂満岳のケルンバットの勇姿を眺め
八雲が原にモリアオガエルの泡玉を見る
コバで燻る木を確かめコヤマノ岳に立ち寄ろう
頂上からは京都の山並みと琵琶湖を俯瞰する
そして西南陵を下り、ワサビ峠に中峠を過ぎ
金糞峠の青ガレを降りよう

幾度も歩いた周遊の道
また歩いてみよう
あの頃のように





横通岳

大きな天井と形容される
どっしりとした形のよい大きな山を越えた
天井を降りるまで
世界は間違いなくすべてそのままあった

しかし、これから行く道すでに山の左半分が無い
乳白色の闇が片斜面を消していた
怖れが迫る
あの細い尾根道を渡っている間に
右側も消されないかと

霧の正体は微小な水滴

水蒸気ではないからか巻かれると寒い

皮膚を通じた寒さは心を不安にする

身体は正直だ

心の正体は身体感覚じゃないかと思ってしまうほど

アンビバレンツな内面は人にはつきものだ

この半消失の世界が起こす不安と好奇心

実在と無の淡いを歩くドキドキは
怖れや不安を容易く凌駕してしまう

尾根を歩く私は揺らいでいただろうか
在無の境は私の肉体に変化を与えただろうか

尾根を渡り終え横通岳の山腹を巻きながら考える
答えの出ぬ妄想に浸っている間に常念小屋への下りにかかっていた
眼前には霧の中に常念岳の断片
現れ隠れる山体を見ているとふと思った

この疑問は割愛した横通岳山頂に登らなければ
得られなかったのかもしれない

妄想の上に妄想を上塗りしながら小屋の玄関をくぐった



表銀座

後方の名峰に張り合うかのように屹立する岩峰

燕岳の前衛峰から続く稜線を望む
此処を起点に
これから奥の槍先まで歩く

空気は澄み、凛と冷える

見渡す周囲の頂の薄化粧が朝の斜光に輝き

薄白とオレンジの色重ねは朝の目に暖かい

長い尾根道を進むにつれあたりの化粧は溶け

地肌が昨日までの色に戻っていく

左右に切れる細い尾根の東面に
斜面を舐め上がってきた白雲の蠢めきを

西から吹き付ける風が稜線の手前で押さえつけていた

西南北の三叉路にある三角の大山の頂に立つ

目指す槍より背は低いとはいえこの一帯の屋根
大天井岳はもちろん槍の眺めに優れる

さてさて、その先が試練の道

槍ヶ岳から十時に流れる尾根はいずれも険しい

東側の鎌の刃先を濃さを増した雲の中這い渡った

長い道程だった

槍の根元で泊した後
早朝の槍先に登る

空は晴れ渡り
頂は流石に高く孤高であった





月山

山頂から東の空を望む
あの立派な輝きは我が星の兄弟、金星だろうか
もう間も無く光の源球が茜の縁から登ってくる
そうすればあの星の輝きは青空に溺れ消え
地上の街の灯も白光にのまれてしまうだろう

この刹那の光景を見る間
展望者の心は寝起きの揺らぎを整え、感度を研ぐ
そして、星も街の灯りも消えた後
リセットされた心がまたゆっくりと動き始める

その瞬間の心地よさを求め
登山者は未だ明けぬ暗がりに寝床を出るのだろう





唐松岳

月明かりの中、小屋を出て頂上を目指した
急く気持ちを抑えながら
ゆっくりゆっくり歩く

登るにつれ薄闇は白み、視界が広がる
ヘッドライトの効果が全く不要になる頃山頂に着いた

西の剱岳の上に月が残る
誰かが切り抜いたかのような見事な光円

宇宙船が出入りする窓のようでもある

昨夕それが現れた空には間もなくこの世を照らす源光が登り
闇夜を照らした常夜灯の役割はまもなく終わりを迎える
光球の連携プレイは登山者に世界を与え
登山者は世界の出没に厳粛と感謝を抱く

間もなくあの月は剱岳の向こうに沈み
その地の西空に登る
そこは何処だろう
彼の地の登山者はそれを見るのだろうか





伊吹山

登るにつれ辺りは暗くなる
八号目から上は雲の中
近年稀な積雪量に足取りは捗らない
立ち止まり上方を仰ぐと
黒雲のすぐ下を一頭のカモシカが目に入った
足が腹まで埋まる深雪の急斜面をゆっくりと横切って行った
寒気に冷えきった身体の私が感じたのは
野生への感動でも自然の厳しさでもなく
胸を締め付けるほどの寂しさだった

毎冬、積雪が満てばスキーで登った
全く人に会わぬ日もあった
視界の効かない霧や雪の山頂にひとり
雪山への衝動の裏側には不安が
情熱の裏には寂しさがあったというのは確かなこと
下山すればまた単独で出かける
そんな繰り返しの中
あのカモシカに自分を投影したということなのだろうか






宝剣岳

今日も眺めていた

西の空を
幾千年

いや幾万年
こうして眺めているのだろう

視線の先の白山は
今日も同じ座りで
白く輝いていた

作品名:山の妄想詩 作家名:ひろし63