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人生×リキュール ディサローノ・アマレット

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「ほらな? ジイさんは別に、あんたの菓子作りのアイデアとしてくれたんじゃないのさ。偶然だよ偶然。なんとなく手に触れたからそれを選んだだけで。きっと深い意味なんてないのさ。ただ、その偶然がきっかけになって、あんたの悩みが勝手に解決したってだけ」彼女は話しながら煙草を口に持っていく仕草をしていた。
「そしたら、人生を変える一本っていうのはどういう意味なんだよ?」息子が口を尖らせる。
「そのジイさんが、その酒飲んで人生が変わったとかじゃないのかい? 知らないけど」
「変わったのはいいほうだったのかな? それとも悪いほう?」
「知るか。なんでジイさんのことをあたしが知ってるんだよ」
 苛々と吐き捨てた彼女は、干しかけの洗濯物を思い出してベランダに向かった。そうしながらも、あの甘い匂いが記憶のどこに引っ掛かっているのかを手繰り続けていた。
「別にいいもん。きっと、オレにとっては人生を変える一本なんだから。だから、勝手に飲まないでよー」
 息子は彼女に向かって舌を出すとアマレットをキャベツの間に埋めた。キャベツで守っているらしい。
「そんな甘ったるいの誰が飲むかい」
 彼女は酒飲みだが、甘い酒は苦手だった。男勝りで、もっぱらビール、ウィスキー、日本酒、焼酎、スピリッツを水割りかロックかストレート。カクテルなんて見た目だけのジュースみたいなものお呼びじゃない。
 いつでもどんな時でも男に負けずに自分を保ってきた。それがあたしのプライド。でもそんなんだから、他人が全力で甘えてくるのかもしれない。それから徐々に撓垂れ掛かってきて、それでも飽き足らずに倒れ掛かってきて終いには乗っかってくるのかもしれない。あたしは乗り物か。苛々するわ。
 洗濯物を干し終えた彼女の耳をテレビの音がくすぐった。部屋に入ると、昼のワイドショーが流れているテレビの前で横向きに寝っ転がった息子が眠っている。彼女は毛布をかけてやりながら、そう言えばと気付いた。
 コイツと暮らすようになってから、ジャンケンして順番でも決めていたように次々と押し寄せていた人災がすっかり形を潜めている。代わりに押し寄せてきたのは息子関係のことばかり。
 保育園、手続き、役所、学校、保護者会、PTA、運動会、授業参観、連絡網、勉強、受験、成績・・・つまり子育て。やれやれだ。人災よりも厄介で面倒臭いものだった。
 コイツのお陰で、あたしの人生は百八十度様変わりしちまったんだよなと今更ながら思う。
「ふきだまり」の連中には、息子のことを内緒にしている。
 言ったところでバカにされて面白おかしい話の種にされるのがオチだからだ。冗談じゃない。
 一回だけ、息子と買い物をしている時に、常連の年寄り爺さんと腕を組んでいたブーブーと鉢合わせしたことがある。
 郊外にある大型のショッピングモールでだ。息子が店で履く靴に穴が空いたので新しい靴を見に来ていた。
 顔面蒼白になっていたブーブーは、さしずめ息子を年若い彼氏だとでも勘違いしてくれたらしく、その後常連からも散々冷やかされたが、適当に誤摩化すと暫くして立ち消えた。
 あいつらは、あたしの人生に興味なんてない。あるのはネタだけ。シングルマザーだなんて知れれば、たちまちシングルマザー狙いの勘違い男が押し寄せてくるだろう。そういう面倒臭いのは、もうご免。


 ある朝、彼女が家に帰ると、カーテンが閉め切られた暗い部屋に息子の姿はなかった。
 台所にはアマレットの空瓶が転がっているだけ。
 これまでにも何度か似たようなことがあったので、彼女は特に気にせずシャワーを浴びて夕方まで眠った。そして、夕方起きて出勤し、翌朝帰る。
 息子は帰っていなかった。
 台所にはアマレットの空瓶が変わらず転がっているばかり。
 一瞬、不安が過ったが、いくら天然だろうとも息子はもう子どもではなく年頃の中年間近の歳の男なのだと言い聞かす。彼女でもできたのかもしれないと放置しておくことにした。
 いい加減に片付けるかとアマレットの瓶を拾った時に、微かに甘い香りが掠める。
 やっぱり嗅いだことがあった。
 どこでだったか。アルコール漬けの脳みそはフワフワしていておぼつかない。彼女は諦めて眠った。
 夕方目覚めた。相変わらず息子は帰っていない。
 痺れを切らした彼女は、息子の勤務先に出向いた。
 怪しいネオンを放つ半地下のニューハーフクラブ。
 甘い匂いが充満している店内に足を踏み入れると、いっらっしゃいませぇーと極楽鳥を思わせる色彩を纏ったホステス達に出迎えられた。思いのほかがっしりとした体型に囲まれると、さながら警察に包囲された犯人のような心地になり圧迫感がすごい。
 息子が出勤しているかどうかを訊ねると、奥からこの店の重鎮と思しきホステスがのっしと現れた。
「あの子の行方なら、あたしたちのが教えて欲しいくらいさ」
 息子は、もうかれこれ一週間ほど店には出勤していないらしかった。
 困るのよと重鎮は溜め息をつく。
「ホワイトデーを最後に来てないってとこが、またなにかを示唆しているような気がするのよね」
「ホワイトデーには来てたの?」
「ええ、もちろんよ。律儀な子ですもの。あたし達全員に手作りの美味しいケーキを配ってくれてね。あの子は本当にお菓子作りが上手ね。アマレットの香りがする上品なケーキ。あたし、初めて食べたわ」
「その時になにか、話をしなかった?」
「話・・・? そうねぇ・・・これといって思い当たらないわ。あの子は、どうやって作ったかとか材料がなんだとかを嬉しそうに話していて、あぁそういえば、その時にあなたのことを言ってたわ。そうね・・・確か、母さんは甘いのが苦手だからとかなんとか」
 彼女は肩を落とした。そんなのわかりきったことだ。息子の手がかりにはなりそうもない。礼を言って店を出ようと席を立った彼女を重鎮が引き止めた。
「ちょっと待ちなさいよ。話には聞いてたけど、ほんとせっかちな女ね。それでよくあの子が育ったわね。あたしはまだ、最後まで話し終えてないわよ。このアマレットでも母さんは変わらないんだよって。あたしには、よく意味がわからなかったんだけど、とにかくそう言ってた。それが、あの子の失踪に関係あるかどうかわからないけど。あたしが覚えているのはこれで全部よ」
 帰り道。
 煙草が吸いたくなった。
 自販機の誘惑に負けそうな足下がふらつく。でもなあ、息子にも宣言したしなあーあいつが初めてあたしに止めてって言ったからなあ。
 雪が降ってきた。
 息子と出会った夜にも雪が降ってたねぇとぼんやり思い出す。そこで気付く。
 幼い息子を抱き上げた時に、微かにふんわりと甘い香りがしたことを。あの時の、あの香り。
 あの香りは・・・ふと見ると部屋の電気が点いている。
 扉を開けると、部屋中に甘い蒸気が充満していた。そう。アマレットの匂いだ。間違いない。
「あれ? おかえりー」
 エプロン姿の息子が、泡立て器片手に振り返った。
 いつもの笑顔で、今日は早かったんだねーと言いながらオーブンを覗く。
「洗濯物溜まってたよ。あとでコインランドリーに行かなくちゃー」トイレも風呂場も汚いしさーと、息子は口を尖らせてコーヒー豆を挽き出した。