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人生×リキュール ディサローノ・アマレット

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 週明けには絶対に孤児院に連れていこうと決意して風呂場を片付けた。なのに、
「今日ねーキャベツが安売りしてたから、たくさん買ってきっちゃったー」と言って、きゃっきゃと笑う中年間近の息子。
 冷蔵庫の方を見ると、入り切らないキャベツが二段の小ぶりな冷蔵庫の上から扉前までを占拠している。
 恐らく持てるだけ買ってきたのだろう。八百屋だかスーパーだか知らないが、お一人様何個までと書いたほうが親切というものではないか。と言っても、計算が苦手な息子には通用しないかもしれないが。加えて、息子は加減というものを知らない。その時に夢中になっているものだけで頭がいっぱいになってしまう。
 小学生の時には発達障害だと言われ、歳を取る毎にそれが知的障害に変わった。とは言っても、施設に入らなければいけないほどの重篤なものではない。
 赤ん坊の時から引き続きニコニコと笑顔を絶やさない穏やかな性格の息子は、人とのコミュニケーションも良好に取れるし、勤めにも出れる。こうして料理や洗濯もこなせるのだ。
 ただ、ちょっとした時に天然を発揮してしまう程度。だと、彼女は思っていたから。
 別に、有名大学に進学するだとか、医者になるだとかいういうことでは全然ないのだ。少しくらい知能が遅れていようが、健康な体さえあれば困ることはないでしょと、いくら教師や周りが騒いでも彼女は別段気にしなかった。
 そんな彼自身のこととは別に、彼女は何かにつけて首を捻らざる負えない。
 いくら軽度の知的障害があるからとは言っても、人間不信のあたしのところに、どうしてこんな純真無垢な息子が送り込まれてきたのだろうか?
 あの時、孤児院の目の前まで息子を連れていきながらも連れ帰ってきてしまったのは、冷えた彼女の指を温かい息子の手が握ってきたからではない。
 門前に院長らしき老婆がいたのだ。
 老婆は、彼女と赤ん坊を見るなりニッコリと笑って「可愛いお子さんですね」と言った。
 彼女は仕事終わりで化粧が崩れたドギツイ顔をしていて、忘れられたクリスマスツリー飾りみたいな派手な恰好だ。真っ赤な爪に抱かれた不自然な赤ん坊。親子に見える訳ないだろう。
 それなのに、あのババアはそんなことを言ったんだ。失敗したって思ったよ。見抜かれてるって。そんなんで置いて行ける訳ないだろう? だって、あたしがコイツの産みの母親ってことになっちまう。だから、逃げるようにして連れ帰るしかなかった。それだけのことなんだ。
「あんた、仕事はうまくいってんのかい?」
 息子は、ニューハーフクラブのボーイをしている。
 息子の天然なところがどうやらニューハーフのホステス連中に受け、だいぶ可愛がられているようで、先日のバレンタインには大量のチョコを持って帰ってきていた。
「うん。オネエさん達に返すホワイトデーの準備もバッチリだよ」親指と人差し指で丸を作る息子。
「それはいいけど、髭は剃ってから出勤しな」彼女はご馳走様でしたとお椀を置く。
「今日はオフだもーん」
 伸びながら後ろにひっくり返った息子を、風で翻った白いカーテンが包みこんだ。その向こうにはためく洗濯物と青空。なんだか平和な眺めだ。
 彼女は、お椀を二つ重ねて流しに持っていく。
 冷蔵庫を包囲するキャベツを睨みながら献立を考え始めて、ふと笑いが込み上げた。
 一人の時は、キャベツがここにあるとか、それを使った料理を考えるなんて無縁だった。寝床として帰るだけの部屋は多分、年中カーテンが閉まっていて布団は敷きっ放し。風呂もトイレも汚れるに任せて、掃除は疎か洗濯すら稀な生活。
 この穏やかな生活としての風景は、息子が居てこその風景なのだ。
 赤ん坊の息子を育てるために、変えざる負えなかった結果としての生活。悪くないけど。
 ふと、視線を滑らすと、キャベツに混ざって見慣れない角張った酒瓶が佇んでいた。長方形の黒い蓋には「DISARONNO」とゴールドロゴが刻まれている。メープルシロップのように濃厚な琥珀色をした液体が目を引く。彼女が凝視していることに気付いた息子が上半身を起こした。
「あーそれ、飲んだらダメだよ」
「あんた下戸のくせして、なんだってこんなもん」
「ホワイトデーにあげるお菓子の材料」
 息子はみそ汁も得意だったが、お菓子作りも頗る上手かった。上手いというかプロ級の腕前を持つ。小学校の家庭科で初めてクッキーを作って感動したらしく、それ以来、お菓子作りに夢中になったらしい。そのお陰で、狭い台所には不似合い過ぎる立派なオーブンレンジが鎮座している。珍しくせがむ息子の誕生日プレゼントとして買ったものだった。息子は、小学校を卒業する頃には洋菓子を完全に制覇。その菓子作りのセンスを見込んだ近くのケーキ屋がアイデアを求めにきたこともあるほどだ。一時期は、パティシエを目指そうとしていた息子。当然、専門学校に行かせるつもりで手当てを使わずに貯金していたのに、直前になって行かないと言い出した。どうしてなのかと、彼女がいくら理由を聞いても「行かない」の一点張りの息子。結局、今はニューハーフクラブで時々茶菓子を作る程度だ。せっかくの才能を生かすことができなかったので、残念ではある。
「このアマレットを使ってパウンドケーキを作るんだー香りがすごくいいんだよー」ホラぁと蓋を開けて、瓶の口を彼女に向ける。どこかで嗅いだような甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「今朝、おじぃちゃんにもらったんだー」と大事そうに蓋を閉める息子。
 息子の屈託ない笑顔に一瞬有り得ない想像が彼女の脳裏を過った。まさか、ほんとうの祖父・・・とか?
「おじぃちゃんは、車イスに乗ってたから自動販売機のボタンに手が届かなくて困ってたんだ。だから、オレが代わりに押して上げた」得意げな顔をした息子の言う老人は他人であるらしいという事実に、ほっと胸をなで下ろした彼女には頭には、自分はなにを不安に思ったのだろうかと混乱が生まれた。
「そのお礼にって、くれたんだ。やっぱ、人に親切にすると気分がいいねー」
「随分と気前のいいジイさんだこと」混乱を収めようとして捻くれたコメントを発する彼女。
「人生を変える一本をとか言ってたよ。それで、オレ思ったんだ。あのおじぃちゃんはきっと占い師だ」
「酒を一本くれただけで、なんで占いになるんだい」
「車イスの後ろにかかってた大きな袋からコレ取り出したんだけど、他にも色んな種類の瓶が何本も入ってるのが見えたから。あのおじぃちゃんは、その中から適当に抜き出したんだ。アマレットをさ。すごくない?」
「さっぱりわからん。いったいなにがすごいんだい?」
「だって、オレがホワイトデーのお返しのことを考えてた時だったんだよ。そしたら、このアマレット!調べたらドンピシャで製菓材料だったんだ。おじぃちゃんはオレの悩みがわかってたんだよ」目を輝かせる息子。
「ほんとにそうなのかねぇー・・・あたしにゃ、後付け解釈にしか聞こえないけどね。そもそもコレ、製菓専用なのかよ? さっき飲むなって言ってたけど飲めるんだろ。普通に酒としてさ」
「もちろん飲めるよ。リキュールだもん。アマレットを使うカクテルだってある」