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人生×リキュール ディサローノ・アマレット

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 あたし、人の薄い皮一枚剥いだら剥き出しになる醜いとこ、弱いとこ、うんざりするとことかさ散々見てきた。でも、好き好んで見てたわけじゃない。
 なんでか知らないけど、あたしの目の前でいきなり豹変するんだ。
 若くて純粋だった時はショックだった。狼狽したし悩んだ。理解できなくて現実逃避してた時もあった。
 だけど、傷付いて怯える余裕すら与えられずに、次から次へと手を換え品を換え続くと、次第に、またかってなってくる。
 だんだん腹が立ってくる。
 殺意なんて案外簡単に湧くもんなんだってわかる。
 あたしは抗う。怒る。でも、人から受ける流れは変わらない。一方的にあたしを巻き込んでくる。人それぞれの人生の定ってやつなのか知らないけど、とりあえずあたしに関してはそうだった。
 悲しみに浸る時間は疎か、トラウマを癒してくれる相手すら許されずに、はい次はい次って感じで抜かりなく待ち構えられたんじゃ諦めるしかないじゃないか。
 達観なんて大層なもんじゃないけど。そう考えられるようになったら幾らか楽にはなった。けど、年月はしっかりと過ぎちゃったよね。気付いたら六十だ。損した感じだ。あたし自身はなにも変わっていないのに、ただ、若さだけが失われた。視点を変えれば、若さが搾取されてしまったとも言えるのかもしれない。
 いったい誰に? そう。この世に生きるあたしに関わってきた人間全てにだ。
 だから、あたしは人間が嫌い。
 上っ面は親切そうな笑顔を貼付けてるけど。いかにも自分は常識的でまっとうに生きてきたってことを言葉の端々にいちいち散りばめてくるけど。
 どいつもこいつもロクでもない。
 自己中だし嘘つき。
 信用? 信頼? はは、銀行の謳い文句だ。
 そんなもの人間関係には通用しない。

 徹夜で散々飲んだくれてアパートに帰ると、みそ汁の匂いが充満していた。
 彼女の大好物の生姜がたっぷり入ったみそ汁だ。
 鍋を覗いてからベランダに目をやる。朝日を孕みながら翻るレースのカーテンに見え隠れしている洗濯物を干すひょろ長い人影。こちらに気付くと「おかえりー」と振り返った。
 その手には臆することなく彼女の黒いブラジャーを持ち、無精髭面にほわほわした笑顔を浮かべる男は、今年で三十になる息子だ。
「ちょうど、みそ汁作り終わったとこー一緒に食べよーよ」
 息子は洗濯物を放り出すと、みそ汁をよそいに駆けて行く。
 酔いが一気に冷めた彼女は目を細めて、奴が放り出していったブラジャーを拾い上げた。
 物干の外側でペナントのようにひらめいているパンティーを外して、ブラジャーと一緒に中側に干し直す。それを目隠しするようにして外側にはバスタオルを干していく。
 何度も言っているが、一向に直らない奴の悪い癖だ。
「おまちどおさまー」
 みそ汁椀が二つ並んだコタツの前で、満面の笑みで座っている息子。
 冷めちゃうよおーと急かすので、仕方なく洗濯物を放置した。
 散らかった部屋で向かい合ってみそ汁を啜る。
 このみそ汁は、彼の唯一の得意料理だ。彼が小学生の時に作ってくれて褒めたら、それ以来ずっとこうしてみそ汁だけは作るようになった。
「おいしい?」と小首を傾げて聞いてくる様は到底男とは思えないほど、小動物的で女の子らしい。
 息子は、このアパートの部屋の前に捨てられていた。
 すやすや眠る幼子の上に『モラッテクダサイ』と走り書きされたメモが乗っていた。
 雪が舞い散る夜だ。
 はあはぁ、お次はこれですかあ、と、やっとストーカー紛いの男から解放された彼女は溜め息をついた。
 この赤ん坊を産み落とさざる負えなかったどこかの誰かが失敗したのだ。
 それで、その失敗の尻拭いを見ず知らずのあたしに押し付けてきた。そこら辺に裕福な家なんて腐る程あるのに、寄りにもよって底辺階級のあたしに。乳児院にでも預ければいいところを、どうしてかあたしのところに。
 孤児院に引き渡せばいいという考えが即座に浮かんだ。
 その方がこの赤ん坊も幸せだろう。そんなことを考えていると、目を覚ました赤ん坊が弱々しい声でほぎゃほぎゃと泣き出した。
 冗談じゃない。こんな夜更けに。目立っちまうだろうと慌てた彼女は、とりあえず部屋の中に赤ん坊を入れる。ミルクなんかあるわけない。黙らすために、砂糖をぬるま湯に溶かすと少しずつ飲ませた。
 赤ん坊は最初のうちこそ戸惑っていたが、そのうちに甘い味だったからか必死に吸い付き泣き止んだ。
 やれやれ。一気に疲労を覚えた彼女に向かってキャッキャと笑いかける赤ん坊。
 なんだってんだよ。まったく。
 子どもなんて育てられるわけないよ。
 苦々しい彼女の視線なんてお構いなしに無邪気に笑っている赤ん坊。
 あんた、わかってんのかい?
 あんた、猫とか犬とかみたいに捨てられちまったんだよ。捨てられちまったのに、なんで笑ってんだ。あたしは、あんたが笑いかけるべき相手なんかじゃないのに。なんで笑ってんだい。
 ひとまず知り合いのホステスに預かってもらおうとして連絡したところ、にべもなく断られた。
「あんたが拾ったんだ。あんたが育てなよ。無理なら孤児院にでも置いてきな」
 当然の意見だ。孤児院ねぇ・・・赤ん坊の顔を見て逡巡する。
 金持ちの家に里親に出されれば、そりゃあよくしてもらえると聞いてる。何不自由なく暮らして、教育を受けて、愛される。コイツのためにも、絶対にそのほうがいいだろう。
 本当の両親なんて血が繋がっているってだけで、そこに愛情がなければなんの価値もないからな。
 愛情っても親の独り善がりだとか、押し付けだとか、過保護みたいなものだったら、それはそれで真っ直ぐ育たない。親が揃っていたところで、生活に困っていないところで、あたしみたいな人間になっちまう場合だってある。なまじ実の親のほうが、期待だの世間体だの親への奉仕に雁字搦めにされちまって生きにくいのかもしれない。
 だよな。じゃ、やっぱ孤児院に、そう結論づけて赤ん坊を抱き上げた。
 甘い香りが鼻をつく。すると、赤ん坊がその小さな手で必死に彼女の服を握りしめて泣き始める。
 まただ、ヤバい。彼女は慌てて砂糖水を含ませる。泣き止む。抱き上げる。泣き出す。砂糖水。泣き止む。抱き上げる。泣き出す。砂糖水。それを繰り返しているうちに、朝になってしまった。
 今日は日曜日。公共機関は挙って休みだ。
 仕方ない。週明けにしようと諦め、赤ん坊が眠っている隙に早朝からやっている薬局に粉ミルクと哺乳瓶とオムツを買いに走った。それを両脇に抱えて汗を拭きながら階段を上がると赤ん坊が泣いている声が聞こえて、慌てて部屋に駆け込む。
 なんだってあたしが、こんなことをしなきゃいけないのさ!冗談じゃないよ!
 そう心で文句を言いながら、慣れない手つきで赤ん坊にミルクをやった。限界を越えたオムツからうんちが漏れて下半身が緑になっていたので、シャワーで流して新しいオムツを装着させる。その間も赤ん坊は、泣くでもなくきゃっきゃっと笑う。
 ったく、手間がかかるったらありゃしないよ。
 着せる服なんてないから、自分の古びたピンクのババシャツとラメのセーターを着せるとすうすう眠り始めた。
 ひと騒動だよ。