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人生×リキュール ディサローノ・アマレット

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扉脇が空いてる。あたしんだ。
 彼女は、乗車してくる奴らの前を悠然と横切ると、乗降口のバーの前に陣取った。
 前を横切られた若い女が一人、苦虫を噛み潰したような顔で彼女を凝視する。
 ざまぁみろ。
 彼女は、くっちゃくっちゃとガムを噛みながら、流し目をしてにやっと笑う。
 ざっまあみろー
「六十過ぎてんのに、いつまでもそんなことやってっから、お一人様なんだぜ」
 知った口を叩くのは常連の男だ。
 米兵下げ風のバカみたいに大袈裟なワッペンがやたらとくっ付いたカーキジャンパーを羽織り、亀の子束子そっくりの頭と雪のような耳毛と鼻毛が飛び出した汚い顔が特徴的な高齢に片足突っ込んでる男。ボトルキープしたジムビームを水割りにしてちびちびやる。貧乏臭いのが粋だと勘違いしてる時代遅れの考え。
「うだつの上がらないあんたにだけは言われたかないね。七十手前のジジイのくせにさ」
 男に向かってぺっと鍔を吐く真似をした彼女は、手元周辺を弄る。次に、カウンターの隅々まで素早く視線を滑らせてから、そういえば禁煙していたことを思い出した。
 ちっ。舌打ちしてガムに手を伸ばす。
「けど、俺は結婚、してたかんね。こう見えて、孫だっているし」ドヤ顔をする男に、だからなんだいと吐き捨てた。「それが、そんなにえれぇんかい?」アホらしと肩をすくめてガムを噛む。
「過去に結婚してよーがよ、孫がいよーがよ、今はあんた、あたしと同じ一人ぼっちさ。同じ穴の狢だねぇ」
 ぎゃはははと下卑た笑いを唾ごと投げつけた。その間、毒々しく塗られた赤い爪が口許付近で何度も空を引っ掻く。
 ジムビームジジイがしょげ返る。ざまぁみろってんだ。
 彼女が勤めるスナック「ふきだまり」は繁華街の端っこにある。
 高齢のママは休みがちだ。代わりに意地悪なチーママが店を仕切っている。
 彼女より二つ若いが、彼女よりデブの女だ。そのチーママから彼女はハゲタカと罵られている。
 痩せぎすの彼女が、いつもファーのような襟巻きをしているのがハゲタカのようだからだからという由縁だ。なので、彼女はチーママをブーブーと呼ぶ。
 ホステスはあと1人。週三でくる出っ歯が目立つビーバーと呼ばれる女だ。噂好きな不細工のチビ。
 常連は変なジジイばっかりだ。
 たまにオカマが紛れ込んできて怒って帰る。
 棚には安酒と百円均一のグラスと小皿、おつまみは単価百円を切る。ぼったくりに近いスナックだが、常にぼちぼち客はいた。もの好きなこって。
「無理無理。ハゲタカに普通理論は通用しないわよおー」
 ブーブーが柿の種片手に、のれんから顔を突き出した。
「ハゲタカちゃんは、今まで本気で惚れた男、いねえのかい?」
 まず、その呼び方やめろと、頬杖をつくジムビームジジイの肘を払う。
 そうしているうちに、ハゲタカにそんな相手がいるわきゃないでしょおよーと最近客から贈られた指輪を弄りながらブーブーが答える。
 指輪には明らかにイミテーションだろう宝石が不自然にギラギラ光ってぐるりとくっ付いている。ブーブーはそれを薬指に嵌めている。もらった相手は常連の爺さん。
 ジョニーウォーカーのブラック通称ジョニ黒をボトルキープしている爺さんは、金持ちで、あちこちの風俗店で女や男を買っていて、気に入った相手には指輪を贈る。ブーブーがつけているあの指輪だ。知っている。見たから。爺さんが手を繋いで歩いていた男や女の指にも同じ指輪が光ってたから。
 ギラギラギラギラ。
 みんな考えてることは一緒。
 老い先短い爺さんが死んだあと、資産のおこぼれにありつけるかもしれない。
 そのために、今しっかりと気に入られようとして。そんなようなことを考えてるのは明白だ。じゃなきゃ、あんな悪趣味極まりない指輪なんてするわきゃないよ。
 指輪を弄るブーブーのうっとりした余裕さえ滲んだ顔。
 バカだなぁ。あの爺さんは、ブーブー以外にも候補はたくさん確保してるのにさぁと彼女は思う。
 それにそのイミテーションリングは、リヤカー引いたホームレスのおっさんが、いつだったか売りにきてたヤツだよ。あたしは見たんだ。
 そのホームレスが江戸川の橋の下に住んでるヤツだってことも、おっさんがそのホームレスからごっそり買いあげてたことも。指輪を弄るブーブーを、彼女は細めた目に哀れみを込めて眺める。
 ま、あたしには関係ないことだから教えないけどさ。お気の毒様ー。
「なあ、どうなんだい? あんた、顔は悪くない作りしてんだ。浮ついた話の一つや二つあったんだろう?」
「あたしゃこう見えても恋多き女だよ。百じゃ足りないね」あんたにゃ話さないけどさと付け足す。
「じゃあ、信憑性は、ゼロだ」
 勝ち誇った顔でがははははと笑うジムビ野郎。いつか絶対はったおしてやる。
「こーんなねじ曲がって入り組んだ迷路みたいな性格の荒っぽい気性の変わり者。誰が相手にするもんですか」
 ブーブーブーブー笑い声がうるさいったらありゃしない。黙れよブタ。
 ビーバーが、おはようございまーすとキンキンした声で出勤してきた。
 全然早くない。むしろ遅刻してる分際で、なーにがおはようだかとジムビ男奢りのビールを口にする。
 煙草が吸いたくなった。
 禁煙しているのは、咳が止まらなかったから。
 喘息みたいになって。マズいなと思って病院に行った。
 そしたら「このまま吸い続けたら死にますよ」と宣告された。だから、もう二度と吸えないのだ。
 それを知っていて嫌味のように隣でスパスパ吸うブーブーとビーバーとジムビジジイ。
 やめたからって寿命がちょびっとだけ伸びて、ただそれだけじゃんと彼女はイラつく。
 つまらない毎日の終わりがほんの少しだけ伸びるだけ。
 たったそれだけ。でも、あの医者怖かったからなぁ。
 言い方がさ。まるでドラマとかの余命先刻みたいな雰囲気で。だから。
 だからさ怖じ気づいちゃったんだよね。情けないことに。
 生か死を、どっちがいいかって目の前に突きつけられてるみたいな圧があって。はぁ、ならって生を選択したからさぁ。しちゃったからさあ。それで、宣言しちゃったからさあ。コイツらに。今、目の前で煙草吸ってるコイツらに。バカしたわーって後悔してる。言わなきゃよかったって。なんで言ったんだろうって。寄りにもよってコイツらにさあ。世界で一番どうでもいいコイツらにさあ。
 あたし、生死を突きつけられて、生を選んじゃって。だから、一瞬でもこの日常が愛おしいとか思っちゃったんだわ。どっかで。だからだわ。いつものあたしなら絶対にしないことしたの。
 いつものあたしなら、コイツらはあたしが禁煙したら邪魔してくるし、禁煙しなきゃ呷ってくるってわかってる。死ぬかもしれないって恐怖した時に、あたし、それ忘れちゃったんだわ。あーあーあーうざってぇ。コイツらの、このノリもうざってぇ。
 彼女はひっつめた針金のような髪の先を引っ張る。苛々した時の癖だ。
 それから、ビールのジョッキを一気に飲み干す。
 胸に滾る混沌が少しスッキリしたような気がしなくもなかった。

 人に裏切られるだの陰口叩かれるだのなんざ日常茶飯事。