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精神的な自慰行為

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 実際に、問題が世間で叫ばれ始めた時、野党議員が国会でこのことを問題にし、法整備を訴えたのだったが、政府側は、
「そのような世間の声は聴いています。早急に専門家委員を選定し、法整備ができるように善処します」
 と答えていた。
 だが、実際に専門家委員ができてから、法整備の法案が実際に国会に提出されたのは、最初の国会から五年が経過していた。下手をすれば、多くの国民が、法整備について、そこまで言わなくなっていたくらいの時期である。
 事故がなくならないので、国民は覚えているだけで、だからこそ、
「何をいまさら、やっとかよ?」
 というものであった。
 毎度毎度の事故のニュースに国民は嫌気がさしていることで、実際の五年という期間よりも、さらに長く感じられるのだが、そのせいで、いまさらという感覚が、国民をいらだつぇ、最後には、
「ああ、やっぱり政府のやることだ」
 として、次第に国民の政治離れが深刻化する。
 そう、国民の政治離れというのは、誰が悪いというわけではない。政府の責任が一番大きい。
 もちろん、政府だけの責任ではないだろう。だからこそ、
「政府の責任が一番大きい」
 という言い方をしてるのだ。
 そうでなければ、
「責任のすべては政府にある」
 という言い方をするのだろうが、そうでないということは、何か起こった時の責任を、すべて一人、あるいは一つの団体に転嫁することは、普通にはないだろうということを、ほとんどの人は分かっているということであろう。
 そうではあるが、やはり政府というものがどれほど、国民を舐めているのかということが、この法案をいまさらにしてしまったことでよく分かるというものだ。実際に、世間にこの問題を提起することになった犯人の処罰は、それまでの法律における軽いものであった。
 数人を飲酒運転でひき殺しているのに、数年で出所するという理不尽さも、政府に対しての怒りの矛先が向く直接の原因となったのだ。
 そんな政府に対して、国民は怒りどころか、ほぼ、諦めの境地に陥っていた。その理由には、数年前に起こったパンデミックに対しての対策はあまりにもずさんだったことが挙げられる。
 初期の水際対策が、
「ザル」
 であったことから始まって、国民に対しての要請の不十分さ、そして、冗談ではない状態での茶番劇の数々。
 さらには、有事において、自分たちの味方になる人を辞めさせないようにするため、ただそれだけのために、法律を改正しようとしたくせに、その男が最低のクズだったことで、そのクズが退職を余儀なくされたという、これほどの大茶番劇があったことだ。
 ただ、問題は、そんな大茶番劇すらあっという間に世間が忘れるほどの、対策の後手後手。そして数々の問題発言。それを誰も裁くだけの力のある人もおらず、権力者は、やつらを庇って、自分の保身に走ったのだ。
 逆にいえば、問題発言をした連中は、自分の意見ではなく、政府要人。いや、ソーリと呼ばれる男によって言わされていたので、スーリやそのソーリに忖度する連中を守るために、不可解な情報操作をしたということなのである。
 今までバカだった国民も、さすがにそこまで政府にコケにされ、舐めた態度を取られると、もうバカではいられなくなった。
 どこまで正しい世論なのかは、ハッキリとはしないが、
「政府を敵対する。政府を信じない」
 という共通の善に対しては、ハッキリとしていた。
 特に、
「がーすーと呼ばれた男に対しては、誰もが嫌悪感しか持っていない」
 と言われていた。
「記者会見では、感情も何もなく、原稿を読むだけ。気に入らない相手にはただ恫喝するだけ。自分は苦労人だと言っておいて、実際には裕福な家庭だったという話。息子には甘く、政治と企業の癒着を絵に描いたように演じたこと。口を開けば、針が飛んだレコード状態で、何ら建設的なことを言わない。いや、言おうとしても、まったくのビジョンがない。すべてを部下のせいにして、責任転嫁をする……」
 などなど、まだまだあるが、とりあえずはこのくらいにしておこうか?
 ただ、最後の文言は、この男の問題というよりも、前ソーリのことであり、こいつの方がさらに罪は深い。
「こいつのせいで、自殺した人がいる」
 というだけで、どれほどひどいやつなのかということが分かりそうなものだ。
 しかも、一度と言わず二度までも、都合が悪くなると、病院に逃げ込むというやり方。このどちらも、
「顔を見ただけで虫唾が走る」
 という国民が相当いるのは間違いのないことだろう。
「まあ、政府への不満はこれくらいにしておいて」
 と言いながら、最初は作者もここまで書くつもりはなかったのだが、書いているうちについつい描きたくなってしまったという、
「お粗末劇場」
 に対して、同意してくれる人もたくさんいることだろう。
 それほど、その時の世の中は悲惨なものであり、政治に対して少しでも興味を持つと、すぐに政治離れをしてしまう人が多いという理屈を、納得しなければいけない状態にしたのは一体誰なのか。それを思うと。たまらない気持ちにさせられるというものだ。
 あれから、数年が経ってから、交通事故のような世間を騒がせる事件として、性犯罪があった。
 特にネットが発達したことにより、ちょっと前であれば、出会い系サイトなどで問題になっていたことも、その当時は問題にはなっても、法改正にまでは至らなかったが、パンデミックが起こってから、少しずつまた性犯罪に対しての苦言が政府をチクチクと刺激しだしたことで、それに対して何らかな法改正を余儀なくされたことで、交通事故関係の法律の制定に五年を要したにも関わらず、性犯罪に関しての法改正には、その半分くらいで改正が行われた。
「以前から燻っていたことで、法律の専門家が草案を作っていたのかも知れない」
 と言われたが、交通事故の厳罰を増やすよりも、よほど難しい案件だったものを、よく二年ちょっとという短い期間で成し遂げることができたのか、やはりそこに、何か政治的な問題が含まれているのかも知れない。
 それが政府が考案した、
「セックス同意書制度」
 というものであった。

             法律の問題点

「セックス同意書制度」
 という法律は、実際に法制度として確立される前も、確立されてから施行されるようになるまでにも他の法律に比べて少し時間が掛かった。
 法整備を早めに進めたのも、そのせいではなかったと思うと理解できるところもあったが、果たしてこの法律が、可なのか不可なのかということを考えるとすると、微妙なところであった。
 元々この法律が叫ばれるようになったのは、十数年くらい前から存在していた、
「ユーチューバー」
 なる商売が影響している。
 彼らはユーチューブというネットの媒体を使って、個人が広く情報を提供する。いや、自分をアピールしながら、情報発信することで、広告収入をネット会社も得ることで、個人にその収入が還元されるというものであった。
 つまりは、それまではテレビや映画などが中心だったのだが、それらが、個人でできるようになったということで、一気にブームが過熱した。
作品名:精神的な自慰行為 作家名:森本晃次