人生×リキュール ガリアーノ
「なにか思い出したら、すぐ教えてね」と、手を繋ぎながらしっかり者の孫が言う。
食料品店を見て回り、輸入食品店を散策し、お昼にジューシーなハンバーグを食べてもちっとも思いつかない。代わりに珍しいものや食べたことがない食品を入れたレジ袋が増えていく。
「もう飲み物を扱ってる店ないよーおじぃちゃん、ほんとになにも思い出せないの?」バナナジュースを片手に孫が聞いてくるが、彼はうーんと唸って頭を抱えるばかり。お手上げだ。とうとうショッピングモールを出てしまった。
「すまんな・・・」気落ちする祖父の丸い背中をポンポンと叩きながら仕方ないよと励ます孫。肩を落とした二人は無言のまましばらく歩き、大通りの立体交差店に出た。
「おじぃちゃん!あの人危ないよ!」
叫んだ孫の指した先には点滅し始めた信号の下、横断歩道の中程で車イスに乗った老人がこちら側に渡ろうとも悪戦苦闘しているのが見えた。彼が走り出したのと、孫が手を振り上げておじいちゃん!と叫んだのが一緒だった。祖父は学生時代には陸上部に所属し、県大会に何度も出るほどの俊足の持ち主だ。ところが、車イスなのか老人なのか不明だが予想に反して重かった。うんうん言いながら、赤信号になる前になんとか横断し切った彼に、駆け寄った孫が真っ青な顔で抱きついた。
「おじぃちゃん!おじぃちゃん!よかった、無事でよかった・・・!」
いつもは冷静沈着な孫の目が潤んでいる。祖母のことがあったからだろう。彼女はこの子を助けるために溺れたのだ。孫は、自責の念に駆られないほど愚鈍な子どもではない。物わかりの良さゆえに人知れず苦しみ、家族にこそ見せないが、祖母が目覚めない日々を遣り切れない辛い気持ちで送っているのだろう。
「心配かけたね。でも、じぃちゃんはこの通り、大丈夫さ」震える孫の頭を祖父は優しく撫でる。
彼にしてみても、目の前で誰かに無慈悲な運命が襲いかかるのを、二度と手を拱いて見ていたくはなかったのだ。
「おじぃちゃんも気をつけなきゃダメだよ!」心配を怒りに変えた孫が、その矛先を車イスの老人に向ける。
「体力に自信がないなら、一人でこんな大通りまで来ちゃダメだよ!車に轢かれるところだったんだよ!」
車イスの老人は、体を小さく強ばらせて亀のように首を竦めながら怒る孫のことを見つめている。
「まあまあ、そうカッカしなさんな。すみませんね。うちの孫が。お怪我はありませんか? 危ないところでしたな」
湯気が出そうな孫を制止ながら、彼が苦笑いを浮かべると、老人は今度は彼に視線を注ぎ始めた。
「お互いにもう無茶はできない歳ですからね。これからどちらに行かれるんですか? ついでにお送りしますよ」
「助けてくれたんだ!」老人はいやに明瞭な声を発したかと思うと、何度か同じ言葉を繰り返した。
彼と孫はきょとんとして顔を見合わせた。二人の頭には同時に老人が認知症かもしれないと浮かんだ。
「ありがたい!ありがたいなー!幸せだ!幸せー!お礼!お礼だ!お礼をしなければ!」
言いながら車イスの後ろにかかった大きな袋に手を突っ込む。大きなガラス瓶が触れ合う音がする。この荷物が重かったのだと彼は納得した。そうして老人が取り出したものは、ギリシャ神殿の柱を思わせる形をした細長い瓶だった。
「ガリアーノ!人生に奇跡を起こす一本だ!」そう叫んだ老人は、宝石のような黄色く輝く洋酒の瓶を二人に差し出した。
「いただけませんよ。ただ車イスを押しただけなのに、こんな立派な洋酒・・いただけません」首を振って辞退しながらも、彼はガリアーノと呼ばれるこの酒をどこかで見た覚えがあることに気付いた。しかも特別だと分類される記憶のどこかでだ。一体どこで、なんだったか・・・記憶を手繰リ寄せる彼の手に、老人はガリアーノを押し付けてきた。
「人生に奇跡を起こす一本を!」繰り返しそう叫びながら老人は、にやあと笑った。
手にしたガリアーノに魅入りながら考え込む彼。そんな祖父の様子に気付いた孫は、同じようにガリアーノを見つめて待っていた。
「・・・わかりました。では、お言葉に甘えて、ありがたくいただきます」
顔を上げた二人の眼前に広がった景色から、忽然と老人の姿が消えていた。アレ? と声を上げる孫と一緒に見通しのいい大通りを見回すが、どこにも老人の影すら見つけることはできなかった。
「さっきまで、ちゃんといたよね?」確認の同意を求めて見つめてくる孫に強く頷き返す祖父。
「ちゃんといたさ。いたから、ガリアーノがこうして残っているんじゃないか」手にしたガリアーノをトロフィーのように掲げる祖父。だよねと孫は口では納得しているが、腑に落ちない顔をしている。それは彼も同じだった。
不思議なこともあるものだ。横断歩道を渡るのも難渋していた老人が一瞬で掻き消えるなんて。まるで狐にでも摘まれたような心地で、とにかく二人は帰路についた。
「ねぇおじぃちゃん、なにか思い出したんでしょ?」鋭い孫が訊ねた。
「さすがはわしの孫。観察眼が優れているな」満足そうな笑顔を孫に向ける祖父。
「そりゃあね。ね、おばぁちゃんとのことでしょ? ガリアーノが関係してたんだね?」
「そうなんだよ。でも詳しいことは、まだ秘密にしとく」
「えーいつ教えてくれるのー?」
「家に帰ってからかな」
じゃあ早く帰ろうよと手を引っ張る孫に急かされながら、彼はもう一度周囲を見渡したが、やはり不思議な老人の姿は見つけられなかった。あの人は一体、誰だったんだ?
帰宅した二人は、心持ち緊張しながらキッチンへと向かった。
ママは今日、習い事の忘年会の準備を手伝うと言っていたよとの孫からの報告通り、嫁の姿は見当たらない。買ってきたワクワクグッズは後で二人だけで楽しむとして、問題はガリアーノと描かれた黄金色に輝くリキュールだ。
優秀な孫が、さっそくパソコンを駆使して調べてくれたところによると、カクテルに使うのが一般的らしい。
「ホワイトカカオとクリームを一緒に入れてシェイクするゴールデン・キャデラックってのが人気みたい」
「あぁそうそう。確かそんな名前だったぞ」思い出してきた気がすると適当なことを言う祖父。
「材料にホワイトカカオって書いてある。ホワイトカカオってなに? ホワイトチョコレートのこと?」
手早く検索をかけ、チョコレートリキュールのホワイト版らしいことを判明させる。
「この間、パパがもらってきたお酒、確かチョコレートのやつじゃなかったっけー?」と言って、息子の酒棚を漁り始める孫。この子にはかなわんなぁと見守る祖父。すぐに、あったあったーと歓声があがる。
「それから、クリーム? 生クリームってこと?」
昨日のビーフシチューにかかってたのまだあるかなーと言いながら、二人で冷蔵庫を開けっ放しにして探索すること約三分。残り僅かな生クリームを発見した。
「あとは、シェーカー? バーテンダーさんがシャカシャカしてる銀のヤツでしょ。さすがに」
任せなさいと胸を張る祖父。新しいもの好きの収集癖がこんなところで役に立つとは。部屋の押し入れを掻き回すこと十五分。とうとう材料が整った。二人は、ワクワクしながらカクテル作りを始めた。
作品名:人生×リキュール ガリアーノ 作家名:ぬゑ