小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

人生×リキュール ガリアーノ

INDEX|3ページ/5ページ|

次のページ前のページ
 

 彼は大急ぎで工場に取って返した。そして、あちこちに電話をかけまくる。専門用語を連発しながら、あれやこれやと段取りを付けたかと思うと、飛び出していく。わけのわからない家族は、そんな彼の様子を溜め息をつきながら眺めているばかり。
 彼は、これまでの記録媒体が紙のアナログ脳波計測機器にデジタルの機能を追加できないかと思いついたのだ。そうすれば、従来の記録方法と新しい記録方法の両方が可能となる。そうすれば、なれない機器に手間取ることなく今まで通りの診察ができるのではないか。
 けれどそのためには、デジタルのノウハウと技術が必要となり、今まで培った経験とは別に一から始めなければいけない。ところが、そんな無謀な計画に賛成する者はおらず、とうとう頭がおかしくなったのではないかと部品の取引先にまで笑っていなされる始末。加えて莫大な費用と専門の技術者が必要だったが宛てはない。
 ただでさえ借金を抱えている。問題は山積みだった。
 けれど、こうと決めたらやり遂げる強い信念だけが取り柄だった彼は決して挫けなかった。
 彼は昼夜問わずかけずり回り、とうとう協力者・スポンサーを見つけ出す。そこからは速かった。破竹の勢いで下準備を経て設備が整い、それまでの工場を改造し、更にもう一棟別に建設し製造が展開されていった。デジタルと紙の両方の機能を併せ持つハイブリッド型として試作品ができ上がるやいなや、彼は自ら猛烈な勢いで各大手企業や小中規模の病院、総合病院などを回りプレゼンと営業をかけ続けた。試しに使って改善点を聞かせてくださいと、無料での貸し出しも実施。その甲斐があって、取引先が徐々に増えて行き、それに伴って工場は株式会社を名乗るまでに成長していった。
 彼は社長になっても相変わらず全国を飛び回って忙しく、たまに帰宅した時に、妻から息子が受験する有名大学の名前を聞かされ驚いたりしていた。いつのまにやら息子は逞しく成長していたのだ。
 現在、彼の会社の製品としては特にパソコン内蔵デジタル脳波計測機器がダントツの売り上げを誇る。高額なだけに一台あたりの収益は大きいが、5種類の脳波計測が可能な上、パソコンを使い即座に結果を表示できる。それまでのアナログ医療機器に革命を起こしたとして、彼は英雄と呼ばれることになった。ノウハウを生かし、今後は家庭用として気軽に生活に取り入れられるようなコンパクト機器の開発に力を入れている。
 そんな一世一代で不況を乗り切り大手企業にまで伸し上がった確固たる自負が彼にはあった。
 自分に不可能なことはない。不可能を可能にしてきた自分には。そう思ってきた。自社製品が、妻の脳波の反応がないという結果を表示するまでは。
 自社製の計測器が正確だということは嫌でも知り尽くしている。その正確な判定が、患者の家族をこんなにも絶望の淵に突き落としていたのかという事実を始めて知った。間違いなく、妻の大脳は機能していない。
「だけど、人間の脳は半分も解明されていない。だから、ぼくは・・・」そこから先は口に出せなかった。奇跡なんて、医療機器メーカーに携わってきた自分が口にする言葉じゃない。
 会社が脳波計測機器メーカーとして不動の位置を築けた時、彼は七十を越えていた。
 結婚した息子もいい歳になり、念願の孫も生まれた。そろそろ自分の役目は終わりかなと考えた彼は、側で支えてきた息子に社長の座を譲って隠居。会長の肩書きではあるが、苦労をかけ通しだった妻と気ままな老後を過ごそうと決めたのだ。それなのに、
 たったの一年だった。
「やっと、ゆっくり君と過ごせる時間ができたのになぁ・・・」彼は、妻を見つめる目元を歪める。
 襖が音もなく開いた。失礼しますと言って嫁が入ってくる。手には大きなクッションと尿パック、それにオムツだ。元看護師の嫁は手際よくオムツを確認し、尿が溜まったパックを換え、クッションを妻の背にあてがって固定する。彼は起き上がると、妻の布団を剥がして彼女の足や体を抱えて体操とストレッチを始める。時間をかけて彼女の体を動かすと、妻を横向きに寝かせた。嫁は換えた尿パックを手に、一度退出し、チューブと妻の朝食でもある経腸栄養剤エンシュアリキッドというマズい飲み物を持ってきた。どんなものなのか試しに飲んで怒られたが、ココア味が特にマズい。
「お父さん、飲んじゃダメですよ」と彼に注意しながら、嫁は妻の口にチューブを差込む。
「二度とごめんだね。こんなマズいもんばっかり飲まされたんじゃあ、起きる気も失せちゃうよ」
「仕方ないですよ。固形物はダメなんですから。万一肺炎にでもなったんじゃあ」
「わかってるよ。でも、それにしたってさ」もっとなにかと両手で八の字を描く。眉を八の字にして思案していた嫁は、そんなことおっしゃるんでしたらと切り出した。
「お母さんがお好きだった飲み物をご用意してらしてください。ものによっては飲ませられるかもしれません」
「そうだな。では早速買いに行ってこよう」気の早い彼が立ち上がると、嫁がその前にと制した。
「朝食を召し上がってください。冷めてしまいます」
 ダイニングに行くと、小学生の孫が先にテーブルについて食事していた。おはようと言うと、小さな眼鏡を押上げて遅いよと返ってくる。先手先手で打ってくるあたりはさすがだ。まだ小学生なのにも関わらず、我が孫は将棋がめっぽう強い。何度か大会でも優勝しているほどの腕を持つ。息子としては男の子らしくサッカーや野球などをやって欲しいようだが、将来有望な才能は伸ばしてやらなければいけないと、何かにつけて彼が説得している。
「おじぃちゃん出掛けるの? どこ行くの?」孫がホットミルクの輪を口につけながら聞いてきた。
「おばぁちゃんの好きな飲み物を買いに行くつもりだよ」ほうれん草のみそ汁を啜りながら答える。
「おばぁちゃんの好きな飲み物ってなに?」
「それがなぁー・・・」彼は目玉焼きを白米の上に慎重に移動させながら言葉を詰まらせた。
「もしかして、わからないの?」
 鋭い孫の突っ込みに、噛んでいた白米が喉に詰まりそうになった彼は慌ててお茶が入った湯飲みに手を伸ばす。
「実は・・・そうなんだ。恥ずかしいことだけど」彼は項垂れた。息子や嫁の前では虚勢を張っているが、孫の前では不思議と素直な気持ちが言えるのだ。仕事に熱中するあまり、家庭を顧みなかった。妻と過ごす時間どころか息子の行事にすら欠席するダメな父親。取り返しがつかないこんな歳になってから悔やんだところで仕方ないが。こうして家族との交流が生活のメインになると、自分は家族の犠牲の上に成り立った名誉を与えられたのだとつくづく感じる。妻に一番輝いていた年齢の時間ごと犠牲を強いてしまったのだと。なので、妻の若い頃の好みならまだしも、変化し増えただろう現在の妻の好みすら正確には把握できていない。なんとも情けない有様だった。
「じゃあ、僕も一緒に行っていい? 二人で、おばぁちゃんが好きな飲み物、考えようよ」
 頼もしい言葉だ。思わず涙ぐんだ彼は大袈裟なくらいに何度か頷くと、朝ご飯をやっつけにかかった。
 二人がまず向かったのは、あらゆる店が入っている大型のショッピングモール。