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人生×リキュール ガリアーノ

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 数分後、完成した卵色の液体を手に妻の元へと向かう。もちろんガリアーノのボトルも一緒だ。何度か作り直したために中身は半分になってしまったが。
 妻が眠る座敷には、今日を締めくくる日差しが影を引き始めていた。
 枕元に立てたガリアーノは残光を反射して輝いているようだ。キレイだねと孫が称賛したように美しい酒だった。
 妻に飲ませるのは何度かしてきたが、酒は初めてだ。やはり、よしといたほうがいいだろうかと躊躇の念が掠める。カクテルの試作品を何杯か飲んだが、甘くて飲みやすく到底酒とは思えない代物だ。量は、おちょこ一杯にも満たないくらいで、度数も決して高くはないはずだ。が、紛い成りにもアルコール。妻がただ眠っている状態だとしても、血液中の血糖に異常値などが出ないとも限らない。アルコールもだが、このカクテルは、かなり甘いのだ。賭けに近い。嫁が帰ってくるのを待ったほうがいいだろうが、元看護師だった嫁は十中八九反対するのが目に見えている。前例のない、どうなるかわからない危険な行為だからと。だが、そもそも妻の今のこの状態自体が既に前例のないことだ。目覚めるでもなく死ぬでもなく眠り続ける妻。医療的に成す術は皆無なのだ。危険であろうがなかろうが、どのみち、手を拱いたまま妻の死を見守るなんてごめんだ。ならば、思いつく限りの試せることはなんでもやってやりたい。人は自己満足というだろう。だが、それの、なにが悪い? 誰かになにかをするなんて八割型が自己満足だ。ただ、どうにかしたいのだ。この状況をなんとかできるのかは、わからない。けれど、方法がないのだ。長年、主に脳に使う医療機器の開発に携わっていながら、身内一人助けることはできない無力さ。論理やノウハウでは、どうしようもないことを思い知らされた。目の前に横たわる妻は、彼の傲慢さを具現化したような存在なのだ。
 嫁が知ったら怒るだろうか。あまり怒っているところを見たことがないが。孫からは、すぐに怒ると聞いている。
「ねぇおじぃちゃん、どうしてガリアーノだったの?」
 まずは舌に乗せようとして、ビニール手袋を装着してゴールデンキャデラックを指につけた時、孫が思い切ったように訊ねてきた。
「おじぃちゃんが、おばぁちゃんに結婚を申し込んだ時に二人で飲んだんだよ」
「ゴールデン・キャデラックにして?」小首を傾げる小さな眼鏡に西日が反射している。
「たぶんね」彼の答えに、えー大丈夫なのー?と心配そうだ。大丈夫大丈夫、と呟きながら彼は妻の舌の上にゴールデンキャデラックを塗るように乗せた。すると、妻が舌を動かし始める。味を感知してくれればいいのだが。
「実は、二年前の結婚記念日にプロポーズしたバーに連れていったことがあるんだ」僅かなゴールデンキャデラックを含ませ終わり、ビニール手袋を外しながら、サイドモニターを確認する。大丈夫。異常値は出ていない。妻はそもそも案外酒は飲めるほうだったはずだ。
「おばぁちゃん、喜んだんじゃない?」
「それが、実は、あのプロポーズの日以来、おばぁちゃんは一人でその店に通っていたことが判明したんだ」通うって行っても自分の誕生日とか結婚記念日なんかにね、と彼は付け足す。
「なんで、自分の誕生日とか結婚記念日に一人でお酒なんか飲みに行くのさ?」さっぱりわからんという顔で首を捻る孫に、彼は苦笑いをしながらおじぃちゃんがいなくて独りぼっちだったからだよと言った。
「え、じゃあ、おばぁちゃんはずっと独りぼっちでガリアーノを飲んでたってことなの? それってマズいよ。それじゃあ、ガリアーノを飲んでも寂しかった記憶しか思い出さないんじゃ」彼は振り返ると、不安がる孫の頭を大丈夫大丈夫と言いながら優しく撫でた。その顔には微笑みが浮かんでいる。
「おばぁちゃんが、その店でガリアーノを飲んだのは、後にも先にもおじぃちゃんと一緒の時だけだったそうだよ」本人が白状してたから間違いないよと孫に向かって片目を瞑って見せると、窓の外に広がる庭に視線を滑らせた。
「それにしても、こんな偶然があるもんなんだなぁ・・・」
 一日の終わりを惜しむかのような力強い西日に染められた庭は、影とのコントラストが際立ち影絵のようだ。その様子を一緒に眺めていた孫が、偶然じゃないのかもとポツリと呟いた。
「だって、あの人言ってたじゃない? 人生に奇跡を起こす一本をって。奇跡って、たくさんの偶然が重なって生まれるんじゃないかと僕が思うよ」起きたことないからわからないけどさと、純粋な瞳で祖父を見つめる。その視線を受け取った彼は、ゆっくりと頷き返した。妻が命がけで助けた孫がしっかりと成長していることが嬉しかった。
「だといいなぁ。まぁ、とにかくおばぁちゃんは言ってたんだ。やっぱりあなたと飲むガリアーノが一番、」
「・・・お い しい」
 彼の背後から微かな声が聞こえた。
 見開かれた孫の目が瞬く間に潤んでいく。
 その孫の目元にかかった眼鏡のレンズに映ったこちらを見ている懐かしい顔。優しげな皺を寄せた微笑み。
 孫が奇声を上げて彼の横を走り抜けても、視界が霞んでしまった彼はなかなか振り向けずにいた。




 ※ガリアーノ
 酒名の由来は1895年に遡る。イタリアとエチオピアの戦争において、エチオピア軍約8万人を相手に、わずか4千7百人のイタリア軍が44日間にも渡る激しい戦いの末、重要拠点の要塞を見事守り抜いた。その時イタリア軍を指揮していたのが陸軍少佐ジョゼッペ・ガリアーノである。勲章を打ち立てた彼に感動したアルトゥール・ヴァッカリが銘々した。ガリアーノの開発にあたり、アルプス地方から地中海までの様々なハーブと、様々なブレンドが試された。そうして厳選された香味成分は、バニラを中心にアニス、ジュニパーベリー、ヤローといった花やベリーなどの栽培植物から成り立つ。バニラの甘やかな芳香に満ち、ミントやチョコレート、アニス、キュラソー、キャンメルなどのリキュールと共通する香りが奥行きを深くしている。音楽家達からは「絶妙な香りのシンフォニー」「プッチーニのオペラを聴いているようだ」などと称賛された。健康酒、強壮酒としてイタリア国王やローマ法王に献上されたことでも知られる。「太陽の光線の溶液」と讃えられた輝くような美しい黄金色と、独特のボトルデザインが特徴的。イタリアローマ建築で作られた寺院に見られるコリント式の円柱にヒントを得て作られた細長いボトルは、「味わい」を長く支えるという意味が込められている。
 そんなガリアーノは、カクテルとして味わうのが一般的だ。ホワイトカカオとクリームを一緒にシェイクする「ゴールデン・キャデラック」や、ウォッカとオレンジジュースを合わせる「ハーヴェイ・ウォールバンガー」オレンジジュースをパイナップルジュースに変えた「ゴールド・フィンガー」などが有名である。中でも「ゴールデン・キャデラック」は、カリフォルニア州エルドラド、ゴールドラッシュの中心地で考案された「最上級」の意味を込められたカクテルだ。誰もが夢を追い求めていた黄金卿に思いを馳せながら味わってみてはいかがだろう。