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空墓所から

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 そんな状況なのだが、申し訳ないことに私は、今、笑いをこらえるのに必死なのだ。

 私が笑いをこらえているその理由は、宮下さんが立っている場所にあった。始め、彼と私は横並びで歩いている状態だったのだが、次第にそのお説教が熱を帯びてきて、宮下さんは立ち止まって言葉を発し始めた。もちろん部下の私も立ち止まり、上司と正面から向かい合ってその言葉を受け止める。それは先にも記したとおりだ。

 しかし、宮下さんが立っているその場所は、客入りの少ない中華料理屋の前なのだ。しかも、彼の後方に位置している自動ドアは調子が悪いのか、彼が立ち続けているという事実に反応して、開く動作と閉じる動作を数秒おきにガッコン、ガッコンと大きめの音を立てながら繰り返している。店内の中華屋のおやじさんは何か料理の仕込みでもしているらしく、こちらに背中を見せ、汗だくで中華鍋を振るいながら、ドアが開閉を繰り返すたびに

「へい、らっしゃい!」

と大声を発しているのだ。

 それに気がついたとき、私はもうお説教どころではなくなっていた。その一連の光景がとても滑稽に見えてしまい、笑いをこらえることしかできなくなってしまったのだ。

 私は今にも上がりそうな口角をどうにか維持することに苦心しながら、宮下さんの言葉をかみしめようとする。しかし、その言葉は自動ドアの開閉するガッコン、ガッコンという音と、その後を追うように規則正しくがなられるおやじさんの来店を歓迎する言葉に邪魔されてしまう。
 しかし、ここで笑ってはだめだ。私は何百億という仕事をふっとばすところだったんだ。その重大な事実を必死に心に刻み込んでこらえるが、それでもツボに入ってしまった笑いはとどまることを知らない。

「ううーっ!」

 上がる口角を止めきれなくなった私は最終手段に出る。顔を伏せ、手で覆い、事の重大さをさも認識したかのようにむせび泣いているふりをする。だが、その間もガッコン、ガッコンと自動ドアの音は鳴り続け、おやじさんは声を張り上げている。私の両手に隠された顔が満面の笑みであることを宮下さんは気づいていないであろう。外面如菩薩内心如夜叉というが、叱られて泣いているように見える男が、実は笑っていましたなんて知ったら、それこそクビになりかねない。

 だが、よくよく考えてみると、怒っている宮下さんにも多少の非があるように思えてくる。なんだってこんなところで足を止めてお小言を始めてしまったのだ。駅まで十分距離もあるのだから着くまでに話が終わる可能性もあったし、どうしても腰を据えて注意をしたいのなら、近くの喫茶店に入るといった方法もあるじゃないか。それでも足りなければ明日、あらためて会社で話をするという方法だってあるのに。
 もっと言えば、コンプライアンスを気にして言葉には注意し、手を出さずに叱ってくれているようだが、そもそもP社との接待があったということや、岩田さんという人物がP社にいるなどという重要な情報を外で開示するのはまずいのではないか。悪いことをしたらすぐ怒るということが社員教育にどういう影響があるかは無学な私は知らないが、仮にすぐ叱ったほうがいいとしても、わりと重要な情報を口走ってしまっていることにも気を配るべきなんじゃないかと思う。
 それに、中華料理屋さんの前に立つことで、このお店の売り上げをいくらか損ねている、ということに宮下さんは気がつくべきだ。店の入り口に変なやつが二人もいる。それだけで初見さんはもちろん、このお店の料理がおいしいと知っている常連さんだって、なんか変なやつがいるから今日はやめとこうか、となってしまうだろう。自社の数百億円と比べれば中華屋の数万円となるかも知れないが、どちらも売上で利益を上げている組織なのは変わらないし、そこに金額の多寡は関係ないはずだ。

 とまあ、笑い顔を必死に両手で覆いながらこれだけのことを考えたが、これを怒られてる側が口走ってしまえば火に油を注いでしまう。私はただただ、格闘家の前につるされたサンドバッグのように、宮下さんの言葉のストレートを受け続け、自動ドアの音というフックと、おやじさんのあいさつというアッパーに腹筋を痛めつけられることしかできそうにない。

 宮下さんの説教はまだまだ続いている。確かにミスをしてしまったのは自分だし、それは決して小さくはないと反省しきりだ。だが、いくらなんでもこんな手ひどい目に遭ういわれはないだろう、そう思わずにはいられなかった。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔