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空墓所から

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46.叱責



 シャワーのように自分の身に降り注がれていく言葉を受け止めながら、その言葉の発生源である上司の宮下さんにわからないよう、私は小さく歯を食いしばった。

 発端は、今日の夜の出来事だった。

 先日、わが社とP株式会社とで大きな契約が成立した。その契約のお祝いということで、今夜、わが社とP社、双方の主だった関係者が集まって豪華な宴が催されたのだ。
 今年、新卒として営業部に入社した私も幾度かP社との交渉の席に参加をしていた。といっても、直接的に話に加わることなどはせず、資料の用意や配布、その他、雑用などといった下働きがメインだった。しかしそれでも、大きな目標を達成し、成果を出せたうれしさというものはひとしおだったので、今後もしっかりと仕事をしていくぞという決意を新たにしていたところだった。そんなさなか、上司から今回の宴会の件を聞かされ、端役ではあったがしっかり務めを果たしてくれたので、特別に参加を促されたのだった。

 しかし、なかなか社会というものは額面通りにはいかないものだ。私のような若手が普段は行くことのないような本格的なお店で、今後、お互いの発展のために大いに親睦を深めようという目的で催された宴会。そう聞かされていたのだが、ふたを開ければ、会社の格としてはわが社のほうがはるかに下、P社は殿上人のような立場のため、私どもとご契約くださって本当にありがとうございます、という意味が込められたわが社からP社への接待という側面が強い会、というのが実情であった。そんな暗黙の了解をその場でようやく理解した若手の私は、気が動転してこの宴席で大きな失態をしでかしてしまったのである。

 それは、まさに宴もたけなわといった時間帯に起きた。わが社は当然のようにP社の方々の杯が空いたらお酌をしにいき、ご機嫌を取る。そして当然のようにその役割は下っ端の私にも回ってくる。その業務を遂行する際、私はお酌をした相手の方の名前を間違えてしまったのだ。

 一瞬のうちに場を沈黙が支配する。私も遅れて自分のしでかした過ちに気づく。しかし、目の前の方の正しい名前が出てこない。まごまごする私と、先方の不穏な顔。ピンと張り詰めた糸のような緊張感が、その場をおおっていた。

 直後、素早く事態を察した私の上司の宮下さんが真っ青な表情で駆け寄ってくる。そして、私の頭をぐいと下方へ押し付け、相手の方の正しい名前を呼んで陳謝した。とっさのことであったが、私も自身の非礼を謝する言葉を上司が押し付けてくる手の下で紡ぎ出す。幸い、先方は理解のある良い方だったようで、若い頃はそういうこともあるから気にしなくてもいいという言葉をいただき、どうにかその場は収まった。

 確かにその場はどうにか収まった。だが、その宴会が終わった帰り道。私は私を救ってくれた宮下さんにこっぴどく叱られている最中なのだ。

「打ち合わせの際に岩田さんと名刺は交換していただろう。打ち合わせ中も岩田さんの名は何度も挙がっていただろう。なのに、この肝心な場でなんで間違えてしまうんだ。いいか。人の名前を間違えるというのは最も失礼に当たることだ。今回は岩田さんが優しい方だったんで恐らく問題ないとは思うが、下手をしたら数百億の案件が吹っ飛んでしまうところだったんだ。以後、絶対にこんな事があってはならないからな」

 こんな調子で宮下さんのお説教はこんこんと続いている。しまいには歩くことをやめ、夜の街に立ち止まって私に言葉を投げかけてくる。私もそれを無視して立ち去る訳にはいかないため、きちんとそれに付き従って宮下さんの前に立ち、その言葉を浴びる。夜の街中でくどくどと怒られるというのはなかなかにみじめなものだ。
 さすがにコンプライアンスを意識しているのか、宮下さんは慎重に言葉を選んでいるし、手が出るようなことはない。だが、それでも非常に厳しい時間に直面していることは確かだ。社員の中には落ち込んでしまい、下手したら明日から出社できないぐらいの者もいそうなほどの言われようかもしれない。それほどひどい時間を私は過ごしている。

作品名:空墓所から 作家名:六色塔