空墓所から
61.隣村
約40年前、僕は中国地方の何もない田舎で生まれた。
電車を数駅乗り継いだり、自転車のペダルを小一時間ほど踏みしめたりして、ようやく田舎にも存在しているという、あの複合商業施設にたどり着けるような辺ぴな場所。そんな、田舎という言葉がまさに適切な場所で、僕は高校卒業までの18年を過ごし、東京に出てきた。
もちろん、そんな田舎の生まれだったので、何かと不便なことは多かった。でも、負け惜しみじゃないけど、反対に田舎の生まれでしか得られないものもあった。ベタな回答になってしまうけど、やっぱり自然が豊富、という点では田舎のほうが優れているだろう。ただ、その人の少ない環境ゆえに奇妙な習俗もあったりするが。
そんな、田舎の自然と習俗に関する話を一つ、してみようかと思う。
僕が生まれた村の西部にはまた別の村が隣り合っていた。最初に話した複合商業施設が僕の住んでいるところから見て東の方面にあったから、その反対側ということになる。
そこは僕の村よりもさらに田舎だった。平地だった僕の村と違って、その村は山がちな地形で、その斜面にぽつぽつと家が建っているさまは、岸壁にへばりつく貝のようだった。そこの村人たちはその斜面にどうにかこうにか水を引き、そこで田畑を耕して生活しているようだった。
僕は小学生のころ、その隣村に足繁く通っていた。多分、複合商業施設よりもこちらのほうによく行っていたはず。そんな何の面白みもなさそうな寒村に何の目的があって行くんだと言いたくなる気持ちはわかるが、そこで自然が豊富、という点が大きく関わってくる。
その村は、とんぼがこれでもかというほど宙を舞っていた。空にはカタカナの「キ」の字がこれでもかと飛び回り、ちょっと人差し指を空に掲げれば、確実に一匹はそこに降りて羽を休めてくれる。運が良ければ10cm級、ということは日本最大の種であるオニヤンマだ、そんな大物もときには捕まえられる。まさに入れ食い状態、とんぼの聖地、そう言っても過言ではなかった。
いつしか僕は、マンガよりもゲームのソフトよりもこの村でトンボを狩ることに夢中になっていた。暇を見つけてはオンボロ自転車で西へとこぎ出し、田畑の近くで、何かの儀式のように人差し指を天に掲げ続ける日を送っていた。
一方、例の複合商業施設のほうは、せいぜい虫かごや捕虫網(人差し指だけで捕まえられたので網はほとんど用をなさなかった)を買いに行くときか、断りきれない友だちとのつきあいで、しぶしぶ行くときぐらいのものだった。
そんな生活を続けていた秋のある日。
その日も僕はとんぼ目当てに自転車でその村へ行き、指を掲げては止まったとんぼを虫かごに入れていた。大きなもの、小さめのもの、おとなしめのもの、暴れん坊……。トンボたちは虫かごの縁に捕まり、ときおりバサバサと羽をはためかせる。その様子は、まるで鉄格子の向こうの罪人のようだった。
そうこうしているうちに、僕の周囲は真っ赤な夕焼けをあっという間に経て宵の闇が包みこんでいた。秋の日はつるべ落としとはよく言ったもので、本当にすぐ日が暮れてしまう。僕はあわてて自転車にまたがり、家路を急いだ。
しかし、帰路は山道だ。しかも下り道。田舎故に外灯もそれほどない。僕は身の危険を感じて自転車のライトをつけるべきだと判断した。当時、僕の乗っていた自転車は、以前に母の乗っていたいわゆるお下がりの自転車だった。今の自転車のライトは手元のレバーで操作できたりするが、当時はそんな便利なものはまだあまり普及していなかった。僕のも例外ではなく、前輪脇に付いているライト付近のレバーを操作することで、明かりがつくものだった。
僕はそこで横着にも、そのレバーを右脚で蹴っ飛ばして操作することでライトをつけようとした。しかし、夜の闇で憶測を違えてしまい、あらぬところに足先を突っ込んでしまう。僕の右のつま先は不運にも自転車の前輪に絡んでしまった。スポークの食い込んでくる痛みを感じながら、僕の体は前方へと投げ出された。
ややあって、たたきつけられた地面から起き上がる。右脚に走る激痛。他の三肢も軽めの擦り傷ができている。顔に傷があるかは自分ではわからないが、頭は打っていなかったので、動揺はしていたが思考は比較的まともだった。
自転車は前輪がひしゃげてしまい、使い物にならなくなっていた。また、近くに投げ出された虫かごも衝撃で破損してしまっていた。その日、捕まえたとんぼは当然のように逃げ出してしまい、隔壁を失ったろう獄は無力な姿をか細い明かりの中にさらけ出していた。
自転車が使いものにならない、右脚は下手したら折れているかもしれない。これらを考慮して、僕は自力で帰るのは不可能と判断した。幸いにも、数メートル先に一軒の邸宅がある。そこでわけを話せば、電話くらい貸してくれるだろう。僕は、右脚をかばって民家へと少しずつ歩き出した。
今のように小学生でもスマホを持つ時代だったら、こんなことはしなかっただろう。でも、一昔前は他家に電話を借りるなんて日常茶飯だった。
ようやく門前までたどりついて呼び鈴を押す。扉を開いたのは大柄でいかにも気の良さそうな年配の女性だった。僕は話しやすそうな人だったことに安どしながら事情を話そうとしたが、それより前にそのおばさんは僕の傷を見てある程度の事情を察してくれたようで、すぐに僕を抱きかかえたと思うと家の中に入り、大声で家族に救急車を呼ぶように指示した。そして、「もう大丈夫だからね」という言葉とともに僕を居間に寝かし、擦り傷の手当てを始めた。
僕はおばさんが優しい人だったのでひとまず安心し、わが家にも連絡をさせてもらう旨を話そうとした。そのとき、ふと目に入ったおばさんに違和感を覚えた。
消毒液を噴射する利き手と逆の手、僕の左足のひざ小僧に添えられているおばさんの左手をじっと凝視する。5指の中でも使用頻度の高い指、人差し指の第一関節から先。その場所についているであろう肉と爪が、全く存在していなかった。そこにはただ、人間の内部に埋もれているのが通常のはずのオフホワイトをした骨だけが存在していた。
その光景に僕がぎょっとしていると、やがてサイレンの音が聞こえてくる。おばさんの旦那さんと思われる人が玄関前で、サイレンの音源に手を振っているのが窓から見えた。
あっという間に救急車は家の前に止まり、やってきた隊員によって僕は担架に乗せられる。そして車両まで運ばれる最中、僕は再び先ほどと同じものを目にすることになる。
おばさんの旦那さん、様子を見に来た近所のおじさんやおばさん、若いご夫婦、つえを頼りにやってきたおばあさん、村の顔役のような威厳のあるおじいさん。誰もがみな、判で突いたように左手の人差し指の第一関節がなく、骨がむき出しになっていた。
右脚の痛みが増してきて意識がもうろうとしていた僕は、その人差し指の先がない村の人々を夢うつつのように目に入れながら救急車に運び込まれた。