空墓所から
7.畑作業
気が付くと、まぶしい光と土の匂い。
「う……ん」
起き上がろうとして四肢を動かそうとする。しかし、手も足も胴体もその指示に一切こたえてはくれない。その事実に驚き、あわてて周囲を見回した。美しい青空。さんさんと照りつける太陽。そして目の前には、良い作物が取れそうな、とても豊かな茶色い大地。
何が何だか分からない。そう思って再び体に力を込めるが、石像と化してしまったかのように肉体が動くことはない。どうにか、動かすことのできた首と眼球で、目線を真下に落とす。
そこには、自分の肢体は存在しなかった。ただただ、先ほど前方で見たような良い作物が取れそうな栄養のある土が見えるだけ。
どうやら俺は首から下を土に埋められ、頭部だけを出した状態でいるようだ。
その事実に気付いたときだった。
「ザシュッ、ザシュッ」
遠く、具体的にはやや左前方から奇妙な音がする。
目をやると、そこにはいかにも素朴、といった印象の農夫がいた。彼は上手にくわを用い、土を掘り返しては畝を形成している。これだけのいい土だ。恐らく何らかの農作物を植え、立派に育てて収穫しようというのだろう。
彼は畝をこしらえながら、少しずつ前進していく。すなわち、俺の左真横へと進んでいるようだった。
「おーい」
俺はこの埋められている状況から抜け出そうと、彼に大声で呼びかける。しかし、くわを振るうのに忙しい農夫は、こちらをちらっと一度見るとそれっきり、またくわで畝を作る作業に戻ってしまった。
「おーい。助けてくれー」
その後、何度かこの農夫に助けを求めたが、彼はもうこちらを振り向くことすらしない。ひたすら黙々とくわを振るい、畝を生み出す作業に没頭するだけだった。
そうして、左前方にいた農夫が少しずつ畝を作りながら真横へと進んできて、俺の真左まで来たときのことだった。
「ザシュッ、ザシュッ、……グチャッ」
土をかく音が一瞬止まり、一つだけ別の不快な音が耳に入る。俺は何か嫌な予感がして、首を可能な限り左へと向ける。
そのとき目に入ってきたのは、ずらりと土から生えた頭だった。恐らく俺と同様、みんな地中に体を埋められているのだろう。だが、反対側━━俺の右側には、人間の首は一つもない。ということは、農夫は左奥から作業を進めているので、「それ」の瞬間は俺が最後、ということになる。だが、俺は今、頭によぎった「それ」がひどく恐ろしいものだという気がして、背中を向けて歩き去っていく農夫に、正確には農夫が肩に担いだくわに、目線を合わせる。
そこには、べっとりと赤黒いものがこびりつき、ぽたりぽたりとそれが滴り落ちている光景が展開されていた。
(まさか……)
俺は、先ほどの恐ろしい予感が外れておらず、まだレールを走っていることに震撼する。だが、次、次の瞬間こそは道を外れるかもしれない。俺は間違いであってくれと祈るように農夫の動向を目で追っていく。
農夫は再び左前方、先ほどよりややこちら側に移動し、再びくわをふるい出した。遠目にも赤黒いものにぬれたくわが柔らかい土を掘り返していくのが見える。そして、その赤い液体が、あたかも養分を与えるかのように、畝や畝間に点々と混じっていく。
「ザッシュ、ザッシュ……」
農夫は順調に土を掘り返し、畝を作り続け、前進し続けていた。そして、再び俺の真左に来た瞬間。
「グチュッ」
またもや不快な音が青空に響き渡る。くわは骨をかち割り『肉塊と鮮血』にありついたことをさも喜ぶかのように、ギラギラと紅と、先ほどまでなんらかの思考していた「もの」の欠片をまとって、担がれた農夫の肩先で鈍く光っていた。
(…………)
俺は、嫌な予感がほぼ的中したことを確信していた。
あの農夫は、畝を作りながら前進していき、その列の終端まで来たら、埋められているやつの頭をくわでかち割っているのだ。人間の血や脳が農作物に与える影響は知らんが、ここで大人しく埋まっていたら早晩、俺も肥料にされてしまう。
そんなことを考えているうちに、農夫は3列目の作業を開始していた。だが、この列は、阿鼻叫喚の地獄、無惨の極地としか言いようがないほどのありさまだった。どうやら、埋められている者の大半は眠っているか、気絶をしている様子だったが、3列目に埋められていた者━━女性だった、は、俺と同様、意識が回復していたのだ。
彼女は自分自身が、もうすぐ左隣に置かれている「もの」になることにいち早く気付き、あらん限りの声で条件を提示して農夫に懐柔を試みていた。なだめすかし、こびへつらい、どんなことでもする覚悟で、やがて振り下ろされるであろうくわを回避するよう、彼女は術を尽くしていた。その悲痛な哀願は、遠く離れたこちらにも容易に聴こえてくるほどだった。その中には、女性であることを利用した、ここには到底書けないような浅ましい提案すらもその口から飛び出した。しかし、農夫はそれらの提案には一切耳を貸さず、次の瞬間、彼女はこの世のものとは思えない断末魔の叫びを最後の言葉に、頭部をすいかのごとく割られてしまった。
農夫が4列目の畝を作りはじめてから、俺はようやくこの事態から脱出する手立てを考えなければならないことに気が付いた。今までなんとなく夢の中にいたような、現実感のない心持ちだったが、3列目の女性の断末魔の叫びを聞いて、ようやく自分も危険な状況に置かれていることに考えが及んだのだ。まずは、この埋められている状況から抜け出さなければ。そう思い、力の続く限り体を乱暴に動かし続ける。
突き固められていた土が次第に崩れていき、どうにか右の手が動くようになり、もう左の腕、そして両の足も自由がきくようになる。こうなればしめたものだ。
その間も農夫は着々と畝を作る作業を進めていた。もちろん列の終わりで、必ずそこに埋められた人間の頭をかち割ることも忘れず。
そしてとうとう、俺の隣の人間の頭が二分された。滴る血潮。無惨にうつろになる顔。ついさっきまで人間だったものが、死体という「物体」になる瞬間が、ほんの数十センチ隣で展開されたのだ。そして次は最後、今度は俺の列。この列の終わりまでくれば、俺の頭も砕けて一巻の終わりだ。
最後の列で作業を始めた農夫の動きは、若干、今までのそれよりも早い気がした。早く仕事を終わらせて、ゆっくりと晩酌を楽しみたいのだろうか。それとも、先ほど声を掛けられたことで、俺の意識があることに気付いているが故に、最後の一撃が楽しみなのだろうか。
農夫はジリジリと、畝を作りながら確実にこちらへと近づいてくる。あれほど照りつけていた太陽は、もうすっかり傾き、最も高い場所にいたときの明るさはもはやない。
とうとう農夫が畝を作り終え、下卑た笑いを浮かべる。そして、今日の作業の最後となるであろうくわを、俺の少し前で思い切り振り下ろした。