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空墓所から

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51.裂かれる蛍と忌諱の舞



 雪衣は影のある、常に寂しそうな女性だった。

 彼女と会ったのは、私が25の年だったと記憶している。会社勤めも3年目となり、そろそろ中堅として会社を盛り立てて、自分の地位を固めなければと感じていた頃。そんな時期に、心身ともにフレッシュな新卒として入ってきた紅一点、それが雪衣だった。
 入社式を終え、各部署を回る際に初めて私と顔を合わせた雪衣は、透き通るような肌を緊張でさらに白くさせ、長身で痩せぎすな体をくの字に折り曲げて私たちに礼をした。名前の通り雪のような、そんな形容がよく似合う。だが、ちょっと新卒にしては覇気がなさすぎるんじゃないか、というのが彼女に対する第一印象だった。

 彼女は1カ月ほどの研修期間を経て、私の所属する部署へと配属されることになった。だが、うちの部署からぜひ彼女を、と要望を出したわけでもなく、彼女のほうからうちの部署に所属したいという希望を出したわけでもなかったようだった。

「さしずめ、厄介者を押し付けられたってとこですか」

そういった事情も含め、彼女の所属がここに決まったことを上司に告げられた際、私は思わずこのような聞き方をしてしまった。

「いや、そういうわけじゃあないんだ。成績も素行もむしろ良いほうだよ。だけど、なんか、こう、アレなんだよなぁ。だからさ、成瀬くん。様子見ということで、しばらく君が彼女の面倒を見てやってくれないか」

 私としては「アレ」の具体的な内容をもう少し掘り下げて聞いておきたかったのだが、先述の通り、当時の私はそろそろ大きな活躍をして、出世をしたいという野心でいっぱいだった。「アレ」がどういうことかはわからないが、彼女は確実に何らかの問題を抱えているのだろう。だが、そんな彼女を一人前にできれば、少しは上司の覚えもめでたくなるはずだ。それに、柔弱そうではあったが器量もなかなか悪くなかったし……。

 私はいくらかの野望と、いくらかの下心で、彼女のOJTにつくことを了承した。

 それから1カ月がたち、梅雨の季節となった。

 私はこの間、彼女を私のサポート兼アシスタントという立場に据え、その役割を通して、この部署の業務把握に努めてもらうことにした。そのようにしてしばらく行動をともにした結果、「アレ」と上司が言葉を濁したものの正体がわかってきた。

 確かに彼女は物覚えは良い、状況把握もよくできる。機転も聞いているし、一般常識やマナーについても新卒にしてはよく知っている。これだけなら、わが部署でなくもっと良い部署への配属の話もあっただろう。だが、彼女には度し難い欠点が一つだけあった。とある条件の際、激高し、相手の立場に関係なく食って掛かるという致命的な癖がそれだったのだ。

 あるとき、彼女は同僚のささいな雑談を注意して1時間以上も説教をし始めるということがあった。その間、私が彼女をなだめても、上司が強権を発動して黙らせようとしても、ちっとも止まらない。彼女は白い肌を真っ赤にして、同僚への非難を聞き取れないほどの早口でまくしたてた。この件は、上司が彼女のこの悪癖を知っていたからどうにか話は上に行かなかったが、説教を食らった同僚から次第にうわさが広まっていった。そのため、彼女の部署内での評判は早々に地に落ちてしまった。

 しかも、これを客先での打ち合わせでもやるのだからもうたまらない。先方を怒鳴りつけそうな空気を察知するやいなや、私は彼女を拉致するように無理やり引っさらってその場を去り、後で先方に謝罪の電話を入れる、こんなやり取りを何度もする羽目に陥った。

 ところで、このようなできごとが頻発したおかげで、一つだけわかったことがある。それは、どうやら彼女は話が性的な内容に及ぶと、先述のようにわれを忘れて怒り狂ってしまうようなのだ。

 だが、わかったところでこれに対処をするのは困難だった。昨今、確かにセクハラなどに厳しい世の中になってきてはいるが、彼女のラインは世間のそれをはるかに上回っているのだ。

 例えば、「産休中の〇〇さん、そろそろ予定日だね」なんて会話を同僚としていてもアウトなのだ。確かに子どもを産むという行為の前段階でそのような性的なプロセスは経るが、誰もこれをセクハラと捉える人はいないだろう。同様に、□□さんと△△さんが交際しているとか、××さんが近々結婚するとか、その程度の話が一度でも聞こえようものなら、途端に彼女の顔は般若と化してしまうのだ。

 「アレ」の正体がこれであることを理解したとき、教育役を押し付けてきた上司を私は思わず恨んでしまった。こういう場合、最も教育役に起用すべきでないのは、私のような独身の男性だろう。既婚者や同性なら、まだどうにかやりようがありそうだが、独身の男が美しい彼女に下手に手を出そうとしたら、面倒なことになることは必定じゃないか。もしかして、わが社は彼女に内定を出したはいいが、後から厄介者だとわかったので、体よく追い出すために私を人柱にしようとしたのではないだろうか。そんな疑念すらもわいていた。
 だが、それを上司に言うことはできなかった。正直な話、私も若干の下心を持って彼女のOJTを引き受けたのは否定できない。このうしろめたさが、私に上司への相談をちゅうちょさせたのだった。


 そうしているうちに3カ月がたち、彼女が入社してから最初の夏がやってきた。
 その日、私と彼女は遠方への出張に赴いていた。近くにあるのは取引先のその工場だけ。あとは、夜は川沿いにホタルが飛んでいるのが数少ないその村の売りだと後に聞いた。そんなどう言い繕っても田舎としか言いようのない場所。そこの駅近のホテルを二部屋、手配して、一泊二日のスケジュールで工場内の先方担当者と打ち合わせを行う、そんなスケジュールの出張だった。

作品名:空墓所から 作家名:六色塔