空墓所から
52.けもの道
山々には、けもの道━━野生動物が通ることによって自然にできた道のようなもの、が存在する。
少し山に入ったことがある人なら、よく見かけるものだろう。場合によったら、このけもの道のおかげで危うく遭難を免れたなんて人もいるかもしれない。普段は山に入らないような人でも、森林などに立ち入れば目にすることはしばしばあるはずだ。
そういう意味では、けもの道は辞書に載るような一般的な名詞として扱われる。だが、ある地域ではこの「けもの道」が固有の道を示す名前━━地名として用いられているようだ。
〇〇県△△郡□□村の北東部に位置する、標高300メートルもない山。古くから棚田による農業が盛んで、全国的にも名を知られている地だが、その山頂に至る山道はアスファルトでちゃんと舗装されているのにも関わらず、「けもの道」という名前で呼ばれ、地図などにもしっかりと記載をされている。
この道に大きく興味をそそられた私は、早速、現地へと赴き、その山の頂上へらせんを描くように登っていく道路を自分の足で歩いてみた。
高揚した気分でその地を歩いてみたのだが、そこには期待したような感覚はなく、何の変哲もないただの山道、それ以上の感想はなかった。もちろん山道なので、キツネやタヌキといった野生動物が飛び出してくる可能性は高いはずだ。だとしても、伸びきった雑草を無造作にかき分けただけの正真正銘のけもの道にはほど遠い。
恐らくだが、もっと別の理由があって、この道は「けもの道」と名付けられたのではないだろうか。イノシシが疾走したとか、シカのせいで通行止めになったとか、けものに関する何らかの逸話があるに違いない。
このように考えた私は、この村の図書館へと足を運び、郷土史を片っ端から調べることにした。
その結果、少しばかり意外な「けもの道」の由来を知り得たのだった。
先の大戦が終わってすぐの頃、この山の麓には中学校が建てられていたらしい。村の全ての子どもが通うその中学校、そこには、S先生という音楽の先生がいたそうだ。
S先生は、村内では知らぬ人がいないほどの有名人だった。なにせ、村でも有数の素封家の一人息子で、上京して音楽を学んだ後、故郷の中学校に音楽教師として赴任してきたのだ、そんな村一番の出世頭の存在を村内で知らぬものはモグリと言われても仕方がないだろう。
だが、彼が有名なのはそれだけが理由ではなかった。このS先生、教育態度がとんでもなく厳しいことでも有名だったのだ。
当時は今ほど体罰にも厳しくなかった時代とはいえ、S先生は中学校の生徒に頻繁に手をあげていたらしい。先述のとおり彼の担当は音楽だったが、学期ごとに行われるリコーダーの試験では、少しでも間違えたら0点となり、さらに張り倒されるという決まりで、試験前は校内の全生徒が恐ろしさのあまり遅くまで残り続けて、リコーダーの猛特訓をする姿がよく見られたという。
農民たちが棚田を耕す仕事を終えて山を下ってくると、子どもたちがおびえながら奏でている課題曲が、まるでタヌキやキツネのおはやしにように聞こえてきたそうだ。その合間を縫って漏れてくるS先生への恨み節や絶望の叫びも、、まるでけもののおたけびのようだったという。
そこから、農民たちの間でいつともしれず「あっこは、けもの道じゃな」と呼ばれるようになり、いつしかそれが村民に定着していったそうだ。
図書館での調査を終え、いくつかの場所に立ち寄っていたら、すっかり暗くなっていた。私は近くのホテルに一泊して、翌日、再び件のけもの道を歩き、山の頂に到達する。確かに山のふもとにはかつて小学校だった建物が存在している。それを見下ろすようなロケーション。その景色を見ていると、かつてここで奏でられた殺伐とした笛の音や絶叫が幻聴のごとく聞こえてくるような気がする。
S先生の厳しさのおかげで立派になった子もいただろう。もしかしたら、S先生のおかげで道を外しそうになったが、踏みとどまれた子もいたかもしれない。
「けど…………」
実は、『けもの道』の由来を図書館で調査したあと、いくつか疑問があったので、私はS先生に教わった当時の生徒たち数人の家を訪れて、話を伺っていた。
その結果、いくつかの興味深い証言を得ることができた。
証言1。S先生は確かに厳しかったが、毎年、数人の女子生徒に対しては非常に優しい態度をとっていた。
証言2。S先生は放課後、他の生徒たちが特訓をしている最中、それらの女子生徒たちを連れて、どこかへと姿を消していた。
証言3。S先生は何年かに一度、別の学校に赴任していったが、1年くらいですぐにこの学校へと戻ってきていた。
証言4。S先生は晩年、急に教職を辞し、家の土地など全てを売り払ってどこかへと行ってしまい、以降、行方がしれない。
これらの証言を踏まえると、S先生は生徒には厳しく接していながら、ご自身にはずいぶんと甘かった様子が伺いしれる。お気に入りの女子生徒と姿を消していたというのは、想像でしかないが恐らくみだらなことをしていた可能性が高い。それ故に、さらに上の組織に袖の下を通しておめこぼしをしてもらい、かつ、異動もできる限り短い期間にしてもらっていたのだろう。だが、いくら素封家の家でもそんなことを続けていれば次第に家運が傾くし、組織も延々とかばい続けられはしないはずだ。その結果、あえなく切り捨てられ、残った土地を金に変えて逃亡した、といったところだろうか。図書館での調査とはずいぶん裏腹な実像だ。
だが、この件をさらに深く確かめる術はもうないだろう。なにせ昔の話だし、性的な事情が絡んでいる可能性が高い。生徒だった方々も多くが亡くなっている。舞台の中学校ももう廃校。私もそこまで調査する労力は持ち合わせていない……。
ただ、そのように感じた瞬間、『けもの道』の終端である山頂から見下ろしたかつての中学校から、笛の音や恨み節だけではなく、快楽に溺れたあえぎ声や、肉と肉が激しくわいせつにぶつかり合うような、そんな『けもの』がわが物顔で暴れまわる息遣いが聞こえたような、気がした。