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空墓所から

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 野球というスポーツがこの世に生まれて、もうすでに200年近くがたとうとしている。その間、たくさんの人々がこのスポーツを楽しみ、選ばれた人々が文字通り選手となって職業にし、その中でも一握りの者が偉大な記録を打ち立てて歴史に名前を残した。だが、光には影がつきものだ。数々の栄光の裏で行われた、立場によってはいささか残酷な所業。それが、今の私と所属するチームを苦しめている。

 かつての偉大な野球選手にこんな逸話がある。病気だかケガだかで成功率が低い手術が必要な少年に対し、次の試合に本塁打を打つことを彼は約束する。結果、見事にその約束は果たされ、勇気づけられた少年は手術によって迫りくる死を乗りこえる。
 今となっては、お笑いの人がコントのネタにでもしそうなありふれた話。しかし、これがある種のヒロイズムを刺激するのだろうか。それとも、つらい立場の子どもを前にしたら、そのようにせざるを得ないのがベースボールプレイヤーのおきてなのだろうか。そんな約束をする選手が今シーズン、数人ほど現れたのだ。

 クローザーとして右腕を振るっている私は、運の悪いことにそういった選手たちの最終打席に相対することを余儀なくされた。彼らはその試合、プレッシャーで余計な力が入ってしまっているのか、いずれも約束の本塁打を放つことはできていなかった。その最終打席、すなわち約束を守る最後のチャンス、その時、マウンド上に立ちはだからざるを得なかったのが、この私だった。

 私はそのような事情を抱えた3人の打者、いや、数時間前に増えたから都合4人。それだけの打者を討ち取り、勝利を得た。あるものは三振に倒れ、あるものは凡フライで悔しそうにバットをたたきつける。私はクローザーとしての職務を忠実に果たし、勝利を手にし続けたのだ。
 しかし、その代償はあまりにも大きかった。ことの背景を知るものは、容赦なく打者をアウトにしていく私を非人道的だとののしった。メディアは大々的に打者と少年との約束を公にし、結果としてその約束を破らせた私を悪者にした。

 その結果、私につけられたあだ名は「死神」。

 電源が入ったノートパソコン、そのディスプレイには、数時間前の自チームの勝利を伝えるニュースが早速映されている。そこには、「死神」がまた「仕事」をやってのけた、ということもご丁寧に添えられていた。
 そのニュースに対するコメントの大半は、私にとって厳しいものばかりだった。心無い言葉が容赦なく書き込まれ、とてもじゃないが目も当てられない。いくつか私や自チームを擁護するものもあるにはあるが、そういったコメントすらも、逆張りだというやゆとともに一蹴される始末。

「……なら、どうすりゃいいんだよ」

思わず言葉がこぼれてしまう。俺はこれで、野球で、飯を食っているんだ。あそこで俺が打たれたら、俺がおまんまの食い上げになっちまう。俺にだって養うべき妻がいるんだ。老いた両親だっている。約束した子どもと同じぐらい、俺だって自分の人生をより良くしたい気持ちがあるし、産んでくれた親に孝行だってしたいのだ。

 だからといって、病気の子どもたちに死んでほしいなんて思いはこれっぽっちもない。誓ってもいい。俺だって人間だ。あだ名は「死神」だが、れっきとした人間なのだ。病気の子どもが、怖くて手術ができずにその幼い命を散らしてしまうなんて、胸が張り裂けるほど痛ましいし、起きてはならないできごとに決まっている。

 なら、手加減して、甘い球でも放って、大人しくホームランを打たれろというのか。

 それは違うだろう? 俺たちは本気の勝負をしているんだ。本気で勝負をしているからこそ、そこに生まれる本塁打にこそ、価値があるんだろう? 打たせてもらった本塁打に子どもは勇気づけられるか? そういうことじゃないだろう?

 そもそも、勝負という土俵の上にさらに重いものを乗っけちまうのが間違っているんだ。昔のネットなどない時代ならともかく、今の社会じゃ敵軍の俺たちにもそんな約束をしたなんていう情報は筒抜けだ。それを知る俺たち相手投手は、どんな顔をして、どんな思いを抱えて、どんな球を投げりゃいいんだ。誰か、知っているのなら教えてくれよ。

 ……心無い書き込みに対する反論が心の中で噴き出し続け、解法という名の救いを思わず求めてしまう。しかし、当たり前だが誰もそれには答えてくれない。

 ただ、唯一、慰めといっていいのかは分からないが、先の3選手と約束した子どものうち、ふたりが説得の末に手術を決断し、ひとリの子が無事に成功したという発表は私も耳にした。もうひとりの子は……、残念な結果に終わったという話も聞いているが。

 でも、それでいい。それでいいじゃないか。たしかに幼い子には重たい決断だ。だが、それでも、ひとりで向き合わなきゃいけないことなんだ。野球選手の力なんか借りる必要はない、いや、むしろ借りてはいけない。仮に、もし仮に、短い人生を送ることになったとしても、そこに悔いが残らなければ、それでいい。人生とは、そういうものなんじゃないのか。

 できれば、後のふたりの子も、悔いの残らない決定をしてほしい。そして金輪際、こんな陳腐な約束はやめにしちまったほうがいい。スポーツはスポーツ、人生は人生、お互いに交わらないほうが良いことだってあるんだ。心ならずも悪役という立場になったため、君たちに会うことや、この思いを伝えることはできないかもしれないが、「死神」は「死神」なりに、君たちのことを思い、手術の甲斐がなかった子の冥福を祈っているんだ……。


 いい頃合いだと思ったのか、ノックの音が聞こえ、妻が食事を運んできた。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔