空墓所から
53.飼育日記
駅からの帰り道。ペットショップで奇妙なものを見かけた。
そいつは木の板を箱型にしたような体をしていて手足が全くない。頭部は丸みこそ帯びているが、胴体とぴったり一致するフタのような形状だ。そこからカチンカチンと音を立てる数本の鋭い歯が見え隠れしている。
そんなものがおりの中をところ狭しと暴れている。驚いた私は、ペットなど興味もないのに思わずその隅のラベルを確認してしまった。
『ミミック オス ミックス 2024年10月18日生まれ 58,000円 (80%OFF!)』
「……ミミック、ねえ」
思わずつぶやいてしまう。確かに蛇やサソリなどの危険な生物を飼う人がいるのは知っているし、そもそも犬だって種次第では危険なペットだ。だとしても、さすがにミミックはないだろう。モンスターと戦う冒険者をも、あっさりと餌食にしてしまう怪物なんだから。さすがにこれを飼う変わり者はいないよ、というのが率直な感想だった。
そう考えると、かわいそうだが80%オフの5万8千円でも売れるかどうか。これはもう仕入れたペットショップを恨むんだな。
そんな哀れみの心を抱きながら前を通り過ぎようとしたが、カチンカチンと歯を鳴らして飛びはねるその箱を見ていると、やはりどうにかしてやりたいという慈愛の心が芽生えてくる。
「……話だけ聞いてみるか」
私は心の中で、話を聞くだけだと自分に固く言い聞かせながら、ペットショップに足を踏み入れた。そして店長と思しき人に声をかける。
「ああ、あの子ですね」
店長は気さくに話に応じてくれた。
聞いたところによると、あの子は主にネズミや鳥を食べるため人には危害を加えない種と、われわれがよく知る宝箱に擬態をする種とのミックスなのだそうだ。そのため、通常のミミックと比べてとても小食なため、人を食べることはないと太鼓判を押してくれた。また意外にも人懐っこく人間や犬などと遊ぶのが大好きなため、最近は人気が出てきているそうだ。
唯一の欠点は、脱走してしまうと洞窟などに潜り込んで宝箱に擬態をしてしまうため、腕っぷしの強い人を使って探さないと手元には戻ってこないということだった。
「脱走さえ気をつければ、ペット初心者にもお勧めですよ。エサも1週間にマウス2、3匹で大丈夫です。ミミックは擬態をして獲物を待つので、粗食や絶食にも耐えられますから」
ここまで来たらもう店長の思うつぼだ。矢継ぎ早にメリットを告げられる最中も、店先からカチンカチンと金属音が聞こえてくる。こんな状況で空手で店を出るなんて情のある人間にできるはずがない。私は58,000円を支払い、さらに冷凍マウス宅配の定期契約を結んで、おりの中の彼を持ち帰ったのだった。
翌日。
起床して新たな同居者の様子を見に行くと、ダンボールの中がもぬけの殻だった。早くも逃げ出してしまったかと思い、狭い家の中を探し回る。しかし、どこにもいない。窓は施錠されているし玄関も閉まっているから、恐らく家の中にはいるはずなんだが……。
何はともあれ、まずは落ち着こう。起きぬけで腹が空いている、これでは戦にならない。なにか食べようと思い、冷蔵庫を開けようと取っ手をつかむ。その瞬間、右手に走る軽い痛み。
『カッ、カッ、カカッ』
よく見ると、冷蔵庫に化けたミミックが私の手をかじっていた。だが、それはよくしつけのされた犬などが行う甘がみというやつで、どうやら本気で私の手を胃袋に入れるつもりはないようだった。それに、彼の表情もどこか明るくて楽しげだ。自分の仕掛けたいたずらに飼い主がまんまとだまされてくれたうれしさと、そんな主とコミュニケーションを取れるのがうれしくてたまらないといったように。
「そういえば、名前、決めてなかったな」
私は右手をかみつかせたまま、左手で本物の冷蔵庫を開く。そして取り出した紙パックの牛乳をラッパ飲みしながら、今度はかむのをやめてじゃれつき始めたペットの名前を考えていた。
(ミミックの男の子だから、みっくんでいいか)
どうも安直過ぎるなと思ったが、どうしてもこれ以外には思いつかない。その後、冷凍のおにぎりを温めて朝ごはんにし、みっくんにも冷凍のマウスを与えてから出社した。
以降も、みっくんの擬態という名のいたずらは止まらなかった。彼は私が外出をしたり眠ったりすると、そのすきに家の中の何らかの物体に化けてしまう。ときに救急箱だったり、タンスの下から2段目だったり、玄関の内側に設置してある郵便受けだったり、ときにはボディーソープのボトルに器用に化けていたこともあった。
それらの物体に私が触れようとした瞬間、みっくんは変身を解いて「やーい、引っ掛かったー」とばかりに大喜びで手にハグハグとかみついてくる。だが、私のことを飼い主とは認めているようで、最初の冷蔵庫のときのように必ず甘がみに留めるのでケガの心配はなかった。
そうなると、私のほうも次に彼が何に化けるのだろうかという、一種のクイズを楽しむような気持ちに自然となっていったし、かまれることもコミュニケーションの一つだと思えるようになっていた。
またある時を境に、みっくんが化けていることに私のほうが先に気づくという事態も起こり始めた。そのときのみっくんは、文字通り歯がみをして悔しがり、以降、よりその擬態が巧妙になっていくのが常であった。
そんな生活を続けていたところに、一つの事件が出来する。私が会社に行っている最中、なんと家に泥棒が忍び込んだのだ。
みっくんは家に忍んできた男を、主ではないとすかさず見抜いたようだった。さらに男の目的が金目の物だと理解したみっくんは、タンスの上に素早く移動し、そこで貴重品入れに化けたのである。
まさかそんな怪物がいることなど知らない泥棒は、まんまとみっくんの目論見に引っ掛かった。男は貴重品入れを開けようとして、みっくんに甘がみではなく本気でかみつかれ、その叫び声が隣家にまで聞こえて警察を呼ばれ、あえなく御用となったのだ。
わが家のペットが思いもかけない殊勲を立てたため、私は逃げないようにみっくんをおりに入れて警察署を訪れた。偉い人から表彰されてどことなく誇らしげなみっくん。彼は、もうすでに洞窟の片隅で人を食い殺そうと待ち構えるような残虐さは欠片も見られなかった。
その帰り道、うわさを聞きつけたペットショップのオーナーが店先で英雄の帰還を待ちわびていた。久しぶりの再開を喜ぶ店長と歯をカチンカチン鳴らしてこちらも喜んでいるみっくんとを見ながら、今夜は冷凍マウスじゃなくて、もう少しいいものを食べさせてあげようかなと思った。