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空墓所から

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64.『雨の中、傘を差さずに、歩く会』



 雨が降りすぎです。

 梅雨ということもありますが、それを考慮しても毎日のように雨ばかりです。もちろん農業に携わる方々にとっては重要な雨ですし、そうでなくとも、この雨によって何らかの恩恵に預かっている方もいるでしょう。そう思うと全否定はできませんが、会社への行き帰りで連日外に出なければならないこちらの事情も、少しはくんでもらいたいという思いです。

 今朝も、目が覚めるやいなや外から漏れ聞こえてくる雨音に思わずため息をついてしまいました。仕方なく替えの靴下を用意し、昨晩の雨滴が乾ききっていない傘を握って家を出ます。

 会社に着き、仕事を始めてもやはり湿気や雨の臭いでなかなか集中できません。うだつが上がらず、上から結果を求められるも能力が追いついてこない40代、独身の平社員。そんな男にこの仕打ちはひどすぎます。神よ。一体、私が何をしたというのでしょうか。それとも、なにかの供物でも献上しろとでもおっしゃるのでしょうか。

 そんなふうに思いながら面白くもない仕事に従事していたら、ふいにオフィスに流れているラジオ放送が耳に入ります。コミュニケーションの向上とやらを目的として導入されたその放送で、さわやかな声の男性がこれまたさわやかな内容を口にしていました。

「皆さん。梅雨の時期、いかがお過ごしですか。何かと気がめいりそうな雨の日が続きますが、こういうときほど、前向きに、ポジティブに過ごしていきましょう。それでは今日も番組スタートです」

「…………」

 いつもなら、こんな陽キャの代表格であるディスクジョッキーの言葉に耳など貸しはしません。しかし、このときばかりはなぜかこの言葉が私の心に深く刺さったのです。

(梅雨、雨天、降雨、6月……。これらのいいところ……)

 私は得意技である仕事をしてるふりをしながら、雨や梅雨のメリットを考え続けます。そして、終業時刻までにいくつかの答えを見いだし、それらをまとめて一つのアイデアという形に集約したのです。


 そのアイデアをこの場を借りて発表したいと思います。『雨の中、傘を差さずに、歩く会』の発足と、その会長に就任をしようというアイデアです。

 会の内容について、多くの言葉を費やす必要はないでしょう。会の名のとおり、雨の中、傘を差さずに歩くことを声高に主張していく会です。会の名前は温故知新の精神にのっとり、あえて五・七・五の形式にしております。

 でも、なぜそのようなことをしなければならないのか、といぶかしく思っている方々もいらっしゃると思います。そういった方々に向けて、この行動で得られるいくつかの長所を挙げることで、同意を少しでも得られればと考えているのです。

 まず、雨が降っていたら傘を差さなければならない、というのは偏見ではないかと私は考えています。昨今、自然は人類によって地球上にその居場所を奪われ、環境問題という形で迫害すらされている状況です。しかし、そんなことではいけません。そこでまず、その自然の一部に他ならない雨粒をわれわれは受け入れるべきだ、と考えるのです。
 すなわち、雨天でも傘を差さずに雨滴を受け入れることで、われわれ人類と自然との関係修復の端緒としようと考えているのです。

 2つ目。なにも自然と仲直りをするためだけにこの行動を行うわけではありません。雨の中、傘を差さずに歩けばどうなるでしょう。もちろんぬれてしまいます。しかし、雨の中で傘も差さずにびしょぬれになっているこの光景、皆さんはどこかで見たことがないでしょうか。
 そう。ドラマや映画の中ではよくあるシーンなのです。そして、このびしょぬれになっている場面では、何かを失って無力さを痛感している場面が多いのではないかと思います。失恋をしたり、何らかの理由で家を追い出されたり、人ではないですが捨てられたペットなんかも同様です。言うなれば、路上でさみしく雨に打たれているという状態は、無力さの象徴であると言えるわけです。
 今の世はネットなどで世界が広がったこともあり、自分がいかに力を持っているか、俗に言う自分の世界ランクがどれくらいかよくわからない、という方も多いはずです。そして、そういった力を持っている方々が繰り出す、力を持たぬものの気持ちを全く考えない言葉による炎上事件が多いのも事実です。そういった事態を避けるためにも、雨に打たれて無力感をかみ締め、弱きものの立場を疑似体験することも肝要ではないかと私は考えるのです。

 また、皆さんの中にはこう考えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。「雨の中、傘を差さずに歩いたら風邪を引くじゃないか」と。確かにそのとおりなのですが、こちらも人の弱さを受け入れるための良い機会だと私は考えているのです。
 ずぶぬれで家に帰ってきて、まず何をしたいと思うでしょうか。恐らくシャワーを浴びたいのではないかと思います。シャワーを浴びるという行為、これは何らかの過去を忘れたいときに行うものの象徴です。かつて起こった嫌なできこと、拭い去れない過去の過ち。それらを熱い湯を浴びることで流し去ってしまいたい。そういう行為にほかならないのです。
 皆さんは過去の過ちを振り返ることがあるでしょうか。決して楽な行為ではない上に、過去の嫌なことは忘れ去ることが信条だ、という方も多いと思います。しかし、それだけではいけないのです。自身の過ちと向かい合い、一日の中で自省、自戒の時間をしっかりとることが良い人生を送るこつなのではないかと考えるのです。

 また、シャワーではなくお風呂派だという方もいらっしゃるでしょう。それもいいと思います。お風呂には血行を良くしたり、新陳代謝を活発にしたりといった素晴らしい効能があります。また、世の中には面倒くささのあまり、なかなかお風呂に入れない方々もいらっしゃいます。また、お風呂に入れないことはうつ病の前兆の一つとも言われています。傘を差さずに雨に打たれた後、しっかりとお湯につかれればそれで良いですし、雨に打たれてもなおお風呂に入りたくないのなら、精神的な病の前兆を感じ取ることができるのです。言うなれば、お風呂が健康のリトマス試験紙となるわけです。

 これだけ傘を差さない利点を挙げることができれば、この会への参加希望者も増えるだろうなと思っていたら、退社時間になっていました。私は早速、自身の傘を真っ二つにへし折ってごみ入れに捨ててから、家路についたのです。

 しかし、道、駅、電車内。どこでも奇異の目で見られ、誰も近寄ることはありませんでした。


「まあ……、うすうす感づいてはいたけどさ」

 でも、この独り言も負け惜しみであることは心の奥底で気付いていました。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔