小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

空墓所から

INDEX|2ページ/99ページ|

次のページ前のページ
 

69.好き嫌い



 夕食にカレーを作ることにした。

 前もって肉や野菜を切っておき、油を引いて肉とにんにくのかけらを炒めた後、それらに野菜と水を加えて煮込んでいく。その後、アクを取りつつ頃合いを見てルウを入れる。
 具材の投入タイミングや隠し味など、ご家庭でさまざまなこだわりもあると思うし、最近はドライカレーやスープカレー、キーマカレーなどカレー自体も多様化しているので、このやり方がスタンダードだとは言えないかもしれないが、うちではカレーはこのようにしてこしらえている。

 少しばかり小皿にとって味見をする。うん、うまい。問題はなさそうだ。小皿を手早く洗いながら、米をたく作業に注力する炊飯器のほうに目を向けた。カウントダウンの表示こそまだ始まっていないが、蒸気口から湯気が立ち上り始めている。どうやらこちらも順調のようだ。この間にそろそろ帰ってくるはずの我が家の同居人にも連絡をし、今晩はカレーだよという旨を報告しておく。

 量は数日分あるので、明日、温め直して二日目のカレーを楽しんでもいいし、小分けにして冷凍にすることで急場の際の非常食にしてもいい。今日、明日だけでなく、しばらくカレーがわが家の食卓のセーフティネットになってくれると思うと、これほど頼もしいことはない。

 炊飯器が自分の最も重要な職務の終了を知らせるアラームを待つ間、上記のようなカレーの素晴らしさにしばしうっとりする。やがて、遠い過去のとある思い出がよみがえった。具体的には、小学校のときの家庭科の先生が授業中に話した逸話だ。

 確か、あれは小学5年生のときだったと記憶している。その日の翌週の家庭科の授業は調理実習で、5つほどの班に分かれてカレーを作ることになっていた。そのため、その日は各自が持ってくる具材の確認や調理の工程を確認する時間に当てられていた。

 とはいっても、カレー自体はそれほど難しい料理ではない。こだわりを持って作るとなると奥が深く難しい一品かもしれないが、カレーそれ自体の味が強いせいだろうか、少々の失敗や工程の前後は許容できる雰囲気がある。実際に小学生が調理実習やキャンプ、ボーイスカウトなどで作っているわけだし、家で一人で作ったことがある子もいたはずだ。そういう空気が教室内にも潜在的にあったのだろう、児童である僕らも楽観的な雰囲気で調理工程を確認し、具材の割当もほとんどの班でとんとん拍子に決まっていたようだった。

 こうして来週の計画がまとまり、終業のチャイムまで残り数分となったとき、家庭科の先生はふと、こんな言葉を漏らした。

「そうだ。皆さんの中に、カレーが嫌いだ、という人はいますか?」

 その言葉を聞いて僕らは思わず笑ってしまう。小学5年生の僕らにとって、カレーは正義以外の何物でもなかったからだ。あんなに美味しくて、ご飯が何杯でも食べられるカレーが嫌いな人なんてありえない。そんな心境の中、僕らは笑い声という形で先生の問いに答えたのだ。

 しかし、先生は僕らの笑いに動じず話を始めた。

「昔、担当したクラスにね。どうしてもカレーが食べられない女の子がいたのよ」

 僕らは一瞬で静かになる。そんな人がいるのかという驚きと、笑ってしまったことにどこか罪の意識を覚えて。

「でもね。どうしてもそのことを言い出せなくて、みんなが大喜びで自分たちで作ったカレーを食べている中、白いご飯を少しだけ口に含んだ後、寂しそうに笑っていたのよね」

 先生は彼女のその笑顔を思い返したのか、窓の外の景色につかの間目をやった。

「その子、給食のときはどうしていたんですか?」

 誰かから質問が飛ぶ。確かにカレーは給食の定番だ。結構な頻度で食べることになるメニューだろう。

「うん。その子、給食がカレーのときも、いつも仕方なくサラダでご飯を食べていたらしいの」

 それを聞いた僕らはなんとも言えない気持ちになっていた。確かにカレーにサラダはつきものだ。でも、僕らはカレーが好きすぎてサラダにそれほど目を向けていなかった。カレーを食べる前にさっさとかきこんでしまうか、カレーを食べた後にいやいや箸をつけるか、ひどい場合は残してしまう。そんなサラダを頼りにご飯を食べる人がいるなんて、まったく想像もしていなかった。

「ここで言いにくいようだったら、来週までに職員室で先生にお話してください。できる限り配慮はしようと思います」

 先生がそう言い終えた瞬間、終業のチャイムが鳴った。

 これは大人になった今でもよく思い出す話の一つだ。その理由はやはりカレーが嫌いな人がいる、という当時の僕にとって衝撃的な事実が密接にリンクしているからだろう。
 でも、今となってはどうだろうか。『カレー 嫌い』で検索をすれば全国のカレーが嫌いな人々の悲痛な叫びが普通に出てくるし、カレー以外の国民食なんて呼ばれているメニューを放り込んでも嫌いだという意見は普通に転がっている。
 食事だけじゃない。あの誰にも好かれていそうな芸能人だって少なからずアンチがいる。彼らアンチのネット上のひどい言葉はちょっとどうかとは思うが、「何かが嫌い」という思いもまた一つの意見であることは事実だ。なかなかうまいやり方は考えつきそうにない。

 結局、頭のできがそれほど良くない僕は、家庭科の先生から聞いたカレーが苦手な少女の幸せを祈ることくらいしかできないのだろう。結婚を前提に交際している彼の好物がカレーで困っていやしないだろうか。母親になって、子どもにカレーを作ってとせがまれていないだろうか。カレー味のお菓子やカレーコロッケ、カレードリアなども食べられないのだろうか……。

 そんなふうに思い返していたら、炊飯器がすでにカウントダウンを開始していた。あと6分。そうだ。今日はこの6分で彼女の給食時の頼みの綱であり、幼い僕らが蔑ろにしてきたサラダを作っておこう。
 野菜室を開け、レタスやきゅうり、トマトなどの野菜を切って皿に盛り付けていく。ドレッシングはさすがに市販のものしかないが、それで十分だろう。

 ある程度野菜を盛り付けたところで、炊飯器からご飯がたけたことを知らせる音が鳴る。
 サラダもできた。ご飯もよそった。そこに上からカレーをかける。サラダの緑とトマトの赤、ご飯の白とカレーの茶。色のバランスが食欲を引き立てる。

 ここで同居人が帰ってきた。その手にはカレーの付け合せの定番の一つであるらっきょうの瓶詰めが握られていた。

 それを見た瞬間、僕は思わず顔をしかめてしまう。福神漬派でらっきょうが大の苦手な僕は、この時ほんの少しだけだが、彼女の気持ちがわかったような気がした。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔