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空墓所から

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73.毒



 妻は常に小瓶を一つ、携帯しています。

 どこかに出掛けるときも、仕事の最中も、家の中にいるときも。眠るときはさすがに手に持ちはしませんが、それでもベッドサイドの小物入れにメガネとともにその小瓶を入れ、スタンドの明かりを消して眠るというのが妻の日課になっているのです。

 その小瓶はキラキラと光を反射して輝いていて、彼女に匹敵するかのように美しいものです。大きさは手のひらに収まる程度ですが、その反射やクールなデザインとも相まって、まるで彼女の化身であるかのような荘厳な存在感を放っています。

 そのような美しい小瓶を妖艶なわが妻が掌中でもてあそんでいれば、さぞかし注目の的になることでしょう。それだけではなく、下心を持つ世の男性たちがギラギラとしたまなざしで、小瓶をきっかけに彼女に声を掛けることも多々あることでしょう。

 しかし、そのようなことは全く起きる気配はありません。

 その理由は簡単です。妻はその小瓶を寝るとき以外はいつも身につけているのに、容易に公衆の面前にさらすことはしないからです。衣服のポケットからバッグへ、もしくはその逆。彼女がそれらの移動を行うには、ミツバチが羽を一往復する程度の時間しかかけないのです。

 なぜ、そのような美しい、見せびらかしたくなるような小瓶をこそこそ隠し持っているのか。そういう疑問を持たれた方もいるでしょう。その疑問は小瓶の中身を知ればすぐに理解できると思います。

 実は小瓶の中には、それを飲み干すことでちょうど一人分の致死量となる、そんな毒液がたゆたっているのです。

 そのような危険なもの故に、彼女は小瓶の存在を周囲に漏らすことはしません。せいぜい小瓶の存在くらいは知っている人が会社の同僚などにいるかもしれませんが、中身まで知っている人はまずおりますまい。知るのは夫である私くらいのものでしょう。義実家でも小瓶を隠していたようなので、彼女の父母や姉妹ですら恐らく知らないはずです。

 では、なぜそのような物騒なものを持ち歩いているのか。次に浮かび上がってくるのはこのような疑問だと思います。
 これも恐らく私のみぞ知る話でしょう。なぜかと言えば、少し前に私が美しい夜景を見ながら彼女にプロポーズをした際、彼女が意を決したかのような表情で打ち明けてくれたからです。

 その言葉を要約すると、彼女は大学に入ったあたりから奇妙な考えに取りつかれるようになったそうです。人と会話をしている最中、いきなり苦しみだして喉をかきむしり、バタンとその場に倒れる。そして、目の前の人が驚き慌てるさまを眺めながら死んでいきたい、という考えに。
 そして、いつの日かそれを実現させるために常に小瓶を忍ばせている、ということを打ち明けてくれました。そして、このような死ぬチャンスを今か今かとうかがっているような女でいいのなら、ぜひ一緒になってください、という返事をいただいたのです。

 こういった死に方は、確かに映画やドラマなどではよく見かけるかもしれません。しかし、食中毒事件などでは、潜伏期間があったり、病院への搬送に間に合ったりするので、フグやトリカブトなどよほど強烈な毒でない限り、起きない気がします。そういう意味では、目の前の人間のなかなか見られない表情を見ながら死にたいという考えがあってもおかしくないかも、と思いました。でも、自分の命を散らせてまでやることではないだろう、そう思ったことも確かです。

 私は、彼女がその考えをいつかふいに実行するかもという可能性を受け入れて結婚を承諾しました。お互いの義両親への報告を済ませ、仕事の合間を縫って式のプランを話し合い、盛大に式を挙げ、新婚旅行にも行きました。その間、妻はいたって快活で、このときも恐らく隠し持っていたであろう小瓶の存在を夫の私ですら忘れていたほどでした。

 蜜月が終わり日常が戻ってきても、彼女は相変わらずです。彼女がすてきな笑顔の裏で今も変わらず小瓶を開ける機会をうかがいながら、私との夫婦生活を楽しんでいてくれるのならば、夫みょうりに尽きるというものです。


 しかし、結婚をしてから一つだけ、私の中に彼女への隠し事ができてしまいました。

 浮気などではありません。別に妻が嫌いになったわけでもありません。むしろ、いつまでもできる限り寄り添えたらいいなとすら思うほど、自分にはもったいない妻です。

 そんな妻が笑顔でいてくれることは大きな喜びなのですが、彼女のもっと別の表情も見てみたいと思うのは、夫の、いや、男の、いやいや、人間の性なのではないでしょうか。

 彼女のめったに見られない表情。恐らくは一生に一度しかさらさないであろう表情。あの美しい顔が醜くゆがみ、苦しみにあえぎ、血がにじむほど喉をかきむしる。彼女がここぞというときに見せたがっているあの惨たらしい表情。

 それが、見たくて見たくてたまらない。私も心の中にそんな毒を隠し持ってしまったようなのです。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔