空墓所から
71.週末の台風
天気を確認していた。
画面に映し出される予報。そこには傘と水滴の記号が描かれている。そして、傍らの日本地図の左下には大きな渦巻きが描かれている。
どうやらこの週末、台風がやってくるらしい。
台風か。心のなかでつぶやく。風雨の中、出かけるのは面倒だ。だが、今回の台風は週末。休みだし特に用事もない。
それでも、最低限の備えはしておく必要があるだろう。財布とエコバッグを取り出す。スーパーへ行き、食べるものを少しばかり購入しておこうと考えて。
飲料水は確保してある。数日分もあればきっと大丈夫だろう。そう考え、玄関を出てスーパーへと向かった。
せせこましい日々を送っていたら、あっという間に週末になっていた。
普段はあまり当たっている気がしない予報も今回は的中し、土曜の夕方から天気が崩れ始める。
空が灰色ににごり、湿った不快な風が窓から吹き込んでくる。うとうとしながら読書をしていた僕は、来たかとばかりにその窓を閉め、家中の窓の施錠を再確認する。
一息つくと、すでに窓から見えるアスファルトがポツポツと円状に塗りつぶされ始めていた。風も勢いを増したのか、しっかりと施錠した窓をガタガタと激しく揺さぶってくる。
雨脚の強まりを前に家に帰り着こうとあわてて駆けていく人。風で傘を裏っ返しながらも着実に歩く人。夕方という時間帯のせいか、用事を終えて家に向かう人々が、十人十色の帰り方を窓というスクリーンの向こうで演じている。
そんな光景を部屋で目にしながら、僕は心のどこかで気持ちが高ぶり始めていた。
非日常。異世界ほどではないが、普段とはちょっと違う。そんな環境。面倒な出勤や野暮用もない。住み慣れた家で食べ物も水も確保済。そんな環境で荒れ狂う天気を思う存分ながめていてもいい。
僕は思わずその立場をこれでもかと享楽にふけってしまう。大地をうがとうとするかのように雨はたたきつけられ、風はよりその勢いを増して草木を揺さぶる。いつの間にかゴロゴロという音までもが加わり、暗くなった空に雷光が瞬き始める。
荒れ狂った外と対を成すように音も動きも何もない室内。僕はそのコントラストを時が忘れるほど楽しんでいた。
もちろん、これは台風で大きな被害を受けたことがない人間の浮かれた行動であることはわかっている。田畑や台無しにされ、家や近しい人を失った方の台風への思いは全く違うものなのだろう。
そういう意味では、僕の台風の備えはずさんであることは否めない。食べ物も飲み水もせいぜい数日。避難場所が近所の小学校であることを把握している、その程度。
きちんとしなきゃという自戒の思いを心の隅に宿しながら、それでも高揚を抑えることができない。何も起きない部屋と猛る外の景色を見ながら、いつまでも感慨にふけるだけ。
気がつくと夜になり、その夜もとっぷりと更けて、日が変わろうとしていた。
外の狂乱は相変わらず続いている。雷は去ったようだが、相変わらず雨滴は激しく地面をたたき、強風も吹きつけることで異様な音を周囲に響かせている。
予報では、明け方までこれらは続き、夜が明けた頃に台風は立ち去るらしい。
まだまだこの非日常を体験していたかったが、生活のリズムを崩すと日常に障る。僕は名残惜しさを抱きながらベッドに潜り込み、夢の中の世界に潜り込むことで台風に別れを告げることにした。
電気を消し、布団の間で目をつむる。それによって奪われる視覚。嫌でも意識が聴覚に集中する。
硬いアスファルトを激しく打ち付ける液体の音。再び雷もやってきたようで、ときおり大きな雷鳴が耳をつんざく。ざわざわと風に揺れ、不安感をあおる立てる草木。気まぐれな強風で激しくがたがたと揺れる窓や住まい。
その中であたたかい布団に包まれ、ゆっくりと眠る僕。
ふと、脳裏に一つのエピソードが思い浮かぶ。聖書の一節。キリスト教になじみがない人も恐らく知っているであろう。ノアの箱舟の逸話だ。
神から大洪水が来ることを教えられたノアは、大きな箱舟を作り、家族とつがいの動物とともに乗り込んで難を逃れたという。この話、似たようなものが世界中にあるらしい。だが、最初に知ったのが聖書のこの話だったせいか、僕はこの話が真っ先に思い浮かんだ。
外界では大洪水が起こり、この世の全てが洗い流されている。こちらは洪水こそ起きていないが、風雨と雷が外の世界を苛んでいる。
その中で、四角い空間に包まれている。
もちろん、恐怖や不安は箱舟にいたものの比にならないほど僕のほうが軽いだろう。あちらは確か40日ほどだったのに対し、こちらは明日には晴れているのだから。でも、災禍の中の安全という感覚は、どこか共通するものがあるのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、その貴重な感覚を味わっていたら、いつの間にか音が遠くなり、眠りに落ちていた。
気がつくと、まぶたを通して柔らかい光が射していた。目を開けると、閉じたカーテンのすき間から漏れている光がその正体だった。のっそりと起き上がりカーテンを開く。台風一過。その言葉がピッタリと当てはまるような良い天気。
僕はその陽射の中で伸びをしながら、陽気の良い日曜日をどう過ごそうか考えていた。



