空墓所から
数日後。
A子の病状は以前より重くなっていた。ベッドから起き上がれないことも多くなり、天井を見ているだけの毎日が続いていた。
週に数回ほど訪れるA子の父母も表向きは彼女を元気づけていたが、担当医から耳にしたくない報告を聞かされているのか、その表情は暗かった。
そんな中、A子は満ち足りた気持ちで床に就いている。あの不幸の手紙で自身の気持ちは思う存分吐露できた。悔いがないといえばうそになるが、それでも気持ちはずいぶん軽くなった。目の前の真っ白で殺風景な天井をパカッと開くと、天国の門になっているんじゃないだろうか、なんて思える程度には。
そんなA子の元に、再び一通の手紙が届く。
その差出人の名を見てA子はぎょっとする。そこにはS君の名前が書かれていたからだ。
その瞬間、A子は自分が致命的な失敗をやらかしていたことに気づく。彼女はご丁寧にも、不幸の手紙に自身の宛先と名前を書いてしまったのだ。
目の前が真っ暗になる。確かに不幸の手紙をしたためたのは今回が初めてだ。だが、不幸の手紙に差出人の身元は記さないのが常識だろう。病の身で余裕がなかったとはいえ、このミスは致命的過ぎる。
A子は震える手で封筒を開ける。恐らく勝手な都合で手紙を送り付けたことに対する非難の文章が書かれているに違いない。それだけならいいが、家庭を壊してしまったことで訴訟するなんてことになっていたら……。
恐れと申し訳なさでいっぱいの中、彼女は便せんを広げる。するとまず目に入ってきたのは、A子が記したのと全く同じ不幸の手紙の文章だった。
A子はいぶかしげにそれが自分の書いた文と同じであることを確かめると、便せんの下半分に目を移す。そこにはA子が送ったのと同様に「追伸」という文字の後に、A子が書いたのと同じかそれ以上の長文で、A子の文章を読んで心を奪われたということ。自分も余命幾ばくもなく病院で死を待つ状況であるということ。自分も今の気持ちを誰かに伝えたいと切に感じていたこと。死というらせん階段の底へと少しずつ降り続けている苦しい毎日。それらが克明に書き記されていた……。
その後、程なくしてA子とS君は生涯を終えた。残された家族や医師の話によると、二人とも告げられていた余命よりも数カ月以上は生き永らえ、その間、しきりに不幸の手紙のやり取り(実際は追伸が主文なわけだが)をし、返事を心待ちにしていたという。
どちらにせよ、この不幸の手紙が死にゆく二人の最後の時期を幸福にしたことは確かなのだが、誰がまずA子にこの手紙を送りつけたのか、それだけはどれだけ取材を重ねても分からなかった。