空墓所から
39.平穏祭
昔々、ある村に一人の男が住んでいました。
その男は、村で知らぬものは誰もいないぐらいお祭が好きでした。この頃、村ではお祭のような特別な日にしかお酒は飲むことができませんでした。でも、彼はお酒を飲んだり大いに食ったりするのをこよなく愛していたのです。なので、普段はろくろく農作業もしないくせに、お祭の日だけはしゃぎにはしゃぎまわり、やがてグデングデンになって眠りこけてしまうのが常なのでした。
そんなだらしのない男でしたが、村の人々はそれでもこの男を愛していました。まだまだのんびりした大らかな時代でしたし、なかなかあいきょうのある男でしたので、周囲の者も仕方のねえやつだなあ、と思いながらもかわいがっていたのでしょう。
この程度なら男は、まあ、お祭の際にちょっと「おいた」をする程度、という評価で済んだかもしれません。しかしこの男、腹の底でもう少し大きな野望を抱いていたのです。
(ああ、もっとお祭の日が多ければいいのになあ)
男は心の中でそんなことを考えていたのです。そりゃあ、お祭の日が増えれば、当然、男も楽しいでしょう。なんせ3度の飯よりお祭りが好きなのですから。でも、そうも行かないのが世の常です。先年、家に迎えた男の嫁が傍らでせっせと菜切りをしながら、旦那の考えていることはもうお見通しだとばかりに言うのです。
「楽しいことはめったにないからいいんだよ。毎日がお祭じゃ、それこそやってらんないよ。ほれ、さっさと畑に行ってきな」
菜切りのザクザクという音とともに嫁の言葉が聞こえてきます。たしかに彼女の言う通りです。毎日毎日、お祭をしていたら、誰も農作業なんてしなくなってしまいますし、そんな日が続けば、飲み食いするものだっていつかなくなってしまうでしょう。日々、地道な努力を続けてきたからこそ、非日常であるお祭がありがたいものになるのです。
嫁に考えていることがバレた上に切れ味のある痛い反論までされて、男は何も言い返せすことができませんでした。そのため、しぶしぶ嫁に言いつけられた通り、作業道具を抱えて畑仕事に向かったのです。
しかし、あぜ道を歩んでいる最中も、男の中にくすぶり続けるお祭へのあこがれは消えませんでした。なんとかしてお祭の回数を増やしたい。できることなら毎日をお祭にして、浴びるように食って飲んで寝てをやりたい。そんな夢のような方法はないものか、そんな天国のような世界を現実に手繰りよせる方法はないものか。男は自分の畑にたどり着き、やる気もなく土を耕しながらその手段を頭の中で考え続けていました。それほど彼は、お祭に恋い焦がれていたのです。
その夜、くたくたになって男は家に帰ってきました。しかし農作業中に何かを思いついたらしい男の顔は、いつも以上に晴れやかな表情をしています。その表情で、さらには朗々とした声で嫁に一言、伝えました。
「おい、酒を出してくれ」
「……おまえさん、ろくでもないことを考え過ぎておかしくなっちまったのかい? 酒はあるにはあるけれど、お祭はまだまだ先だよ」
当然ともいえる嫁の反論に、男はもう待ちきれないとばかりに舌なめずりをしながら言い返しました。
「いや、今日こそがそのお祭なんだ。平穏無事に一日が終わり、明日もまた平穏であるようにと願う、平穏祭という名のお祭だよ」
嫁はあきれっかえりながらも、酒を出してやることにしました。この男の酒好きは今に始まったことじゃありませんし、どうせ数日でこんなお遊びは飽きるだろう、そう思ったからです。
しかし、酒をたしなまない嫁は知りませんでした、アルコールの常習性に。でもそれは、生きるのに必死で学がそれほど必要とされていなかった時代ゆえ、仕方のないことかもしれません。ですがこの日、酒を飲みたいがために、無理やり理屈をつけて男が創始した平穏祭は、2日、3日、5日、10日、1カ月、半年と続いていきました。その間、男は毎日畑仕事をほっぽらかしては嫁に食べ物や酒をねだり続け、それらを飲み食いしては眠りこけていたのです。