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空墓所から

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60.見てはいるけどね



 人々が一生のうちにする行為って、いろいろあるよね。

 まあ、体調とか好き嫌いとか諸々の事情とかで多少は頻度が変わるかもしれないけど、今の世の中、こういう行為ってかなりの数があると思う。

 食事なんかはその典型例だよね。まず食べないと死んじゃうから。そう考えると、初対面でも食事の話が盛り上がりやすいのは当然のことだよ。だいたい1日3回も何かを食ってればそれなりにこだわりもあるだろうし、他人の好きなものも許容しやすいので、政治やスポーツのように、一歩間違えたらけんか沙汰、なんてことにはなりにくい。まあ、きのこたけのこ論争やシチューをご飯にかけるかかけないかのように、一部に狂信的な人もいるようだけど、おおむね大丈夫な話題だよね。

 これが、反対の出すほうになるとちょっと事情が変わってくるね。こっちは、いわゆるタブーとされがちであんまり口の端には上らない。でも、人は確実に下半身からガスや液体や固形物なんかをまき散らしている。おなかにたまりがちな人が「今日で◯日、お通じがなくて」と言うときか、反対に満員電車で急に下してピンチになった、なんてときぐらいかな、話題になるのは。ああ、もう一つ。小さい子が連呼する場合もあるか。でも、人が間違いなくやっているはずなのにあまり話題の中心にはなれないよね。そういう意味ではちょっと哀れなやつなのかもしれない。

 さて、そんな世の人間が行うものの一つに、風呂というものがあるだろう。浴槽に湯を張りそれにつかって体を清め、温めるという行為。夜に行う人が一番多いと思うが、朝に行う人もいるだろう。湯をためずにシャワーで済ます人も最近は多いようだ。まあ、それらの細かい違いはどうでもいい。問題はその風呂の中で大抵の人がやっているとある行為に関係する話をしたいんだ。

 その行為とは、前置きが長くなったので端的に言うと、髪を洗うというものだ。君は髪を洗っている最中、背後に何かの気配を感じたことはあるかい。それに驚いて泡まみれで振り向いたり、その拍子に目に泡が入って痛い思いをしたりなんてことはなかっただろうか。

 昔、とあるコメディアンがこの洗髪時の気配の正体について質問をされたとき、順番を待っているリンスだ、的なことを答えたらしいね。お笑いはあまり詳しくないけど、これは面白いよね。この答えの面白さの理由の一つは、怖い話に行きかねない展開をものの見事に笑いにしてみせたというところにあると思う。

 でも、悲しいことに現実はそんなに面白くはないんだ。申し訳ないけれど背後から眺めている「もの」は確実に存在している。それは決して順番を待っているリンスじゃない。入浴中のあなたが髪を洗い始めたとき、その後ろには本当に眼があり、あなたの後頭部を射抜くように見つめているんだよ。

 その「もの」はあなたの家の合鍵を持っているんだ。そして風呂の水音が聞こえてくると音もなく忍び込み、浴室の扉を音もなく開け、髪を洗い出すと同時にあなたの後頭部を見つめる。男性も女性も関係ない。というより性別に興味がない。あなたがジムで鍛え上げたムキムキのたくましい肉体を持っていようと、美しい背中やくびれ、豊満な腰つきといった素晴らしいスタイルの持ち主だろうと、われわれはあなたがたの体には目もくれない。踊り子には手を触れないのと同様、洗髪者には触れないし、見るのは後頭部だけ、それだけなんだ。

 そうやって、われわれはただただあなたがたの後頭部を見つめる。ちょっとできものができてるな、食生活が乱れてるのかなとか、ちょっと洗い方が雑だな、疲れているのかな、急いでいるのかなとか、その程度のことは思うかもしれない。でも、声には出さないしあなたに伝えることもしない。そして、あなたが髪を洗い終えて泡を流す頃になると、音も立てずに入り込んだのとまったく逆の順序で出ていく。そして、スケジュールを確認して次の洗髪者のところへ向かうのさ。

 振り向くやつと毛がないやつにはどう対処しているんだって?

 振り向く人はたまにいるけど、どんなに頑張ったって人間は後ろに目玉はくっついてないからね。こっちも素早く移動して、そいつの後頭部を見つめ続けるだけだよ。
 毛がない人はその人の心持ち次第だね。髪を洗っているんだって思って洗っていれば、髪の有無は関係ないよ。反対に体の一部だって思って洗っている人の情報はもうこちらに入ってこないからね。自然とわれわれは行かなくなるというわけ。

 スケジュールなんてものもあるのかって? うん。われわれは人間の入浴時間を完全に把握しているよ。しかも、それを見つめるシフトはわりと柔軟性があるし、凄腕の管理職がすごい方法でシフトの調整をするから、気まぐれに5分や10分、早かったり遅かったりなんてときも容易に対応できるんだ。だから寝坊とか突然の残業をされても問題ないし、風呂キャン界隈の人のいきなりの入浴だって楽勝だ。
 そのすごい方法を教えてほしい? うーん。それはちょっと秘密かな。というより管理職がやってる仕事から、あんまり詳しく知らないんだよね。

 で、君たちは何のためにそんなことをして、それでどういう利益を得ているのか、それを教えてくれ?

 利益なんてもんは別にないよ。ボランティアみたいなものだね。別に人の後頭部を見て統計やデータを取ろうとしているわけじゃないし。さっきも言ったように人間の裸にも興味はない。もちろん怖がらせるつもりもない。まあ、見てはいるけどね。
 そういう意味では、なんでそんな無駄なことをやるんだって思う人もいるかもしれないね。でも、無駄なことをやる楽しさってあるだろう? それに、何かをやるときは必ず何かを得なければならないっていうのは固定観念なんじゃないかな。

 だから、これからも君たち人間は髪を洗うたびになんとなく背後から視線を感じ続けていくと思う。われわれはやめる気は毛頭ないからね。まあ、多少は申し訳ないなという気持ちはあるけれど、それほど実害はないので許してほしいな。

 それに、僕らの視線を感じて振り返ってみたら、本当に幽霊や殺人鬼がいる可能性も0ではないからね。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔