空墓所から
54.不幸の手紙
A子の元に、差出人のない一通の手紙が届いた。
「これは不幸の手紙です。一週間以内に一人に同じ内容の手紙を送らないと、あなたに不幸が訪れます。実際に送らなかった◯本 △子さんという人は、不幸が訪れて悲惨な事になりました」
文面を読んだA子は苦笑する。昔、嫌になるほどよく見た不幸の手紙。今はもう2000年代も1/4がたち、すでに時代は令和だというのに。メールやLINEで送ってくるのならともかく、今どきこんなものを手紙で送ってくるなんて時代遅れもいいとこだ。
手紙を受け取ったA子の最初のリアクションは、上記のようなことを思っての苦笑いだった。そして、次に彼女がした反応も同じく笑いだった。ただ、最初の笑いと違ったのは、次の笑いにはどこか自嘲的とでもいうような、すでに何かを諦めたというか、悟った感じの乾いた笑い。実は彼女は重い病に侵され、すでに余命幾ばくもない状態だった。そんな境遇の自分にこんな手紙が来たのだと思うと、さすがに笑いがこぼれざるを得なかったのだ。
なんせ、手紙が来ようが来まいが、近いうちに人生が終わるという最大の不幸が訪れるのだ。A子は40代。平均寿命が80代という今の世の中を考えると、自分でも死ぬには早すぎると思う。しかもA子は独身だった。単に縁がなかっただけだし、結婚が女の幸せとも思っていないが、一世一代の大イベントを逃した感は否めない。そんな身の上の女にさらに不幸な何かが襲いかかるのかと思うと、あまりの人生の理不尽さに笑ってしまうしかなかったのだ。
A子は手紙を再び封筒にしまうと、封筒ごと破ってくずかごに捨てようとした。だが、あることに気が付いてもう一度手紙を取り出し確認する。やはりそうだ。一人。一人に同じ内容の手紙を送らないと不幸が訪れる、そのように書いてあるのだ。
A子は首を捻った。この手の文言は普通、5人とか10人あたりが相場ではないだろうか。こういうものはとにかく不特定多数の人間に拡散して、多数の目に触れることを意識して書かれるものだろう。いわゆるねずみ算式ってやつだ。でも、それをたった一人に送れというのは、いささかどころかとても非効率ではないだろうか。
A子はしばらく送り主の目論見を考えたが、容易にわかりそうにない。しかし、そうやってこの手紙について考えているうちに、別の考えがわき上がってきた。送り主の意図はわからない。わからないが、これが私にとって人生最後の手紙となるのは間違いない。いい機会だ、この短い人生の中で印象深かった人、一人にこの手紙をぶつけてやろう。当たってしまった人はアンラッキーだと思って受け入れてほしい。それこそ、結婚もせず朽ち果ててゆく私からのちょっとした不幸のおすそ分けだ。
A子は看護師から便せんや封筒、筆記用具を借り受け、病にむしばまれた体でペンを走らせ始めた。
まず、A子は便せんの上部に送られてきた手紙の内容をそっくり書き写す。一人に同じ内容の手紙を送れという指示だ。これは守らなければならない。
その文面は便せんの上部数行のスペースで書き上がってしまう。それを書き終えたあと、A子はその下に「追伸」と文字を入れた。
A子はその「追伸」の文字から、自分の境遇や思いの丈を猛然としたため始める。若くして死にゆく切なさ。恋を経験することのなかった寂しさ。そんな中でも少しずつではあるが死を受け入れていく覚悟の気持ち。だが、その固まった覚悟もちょっとしたことですぐに揺らいでしまう心細さ……。
A子は人生の集大成、最期の心境を便せんにびっしりと書き連ねた。そう。A子は不幸の手紙にかこつけて、追伸の部分に自身の生きた証を書き下ろしたのである。
その半ば遺書とも言うべき文章を書き終えたA子は、その余勢を駆って封筒に宛先を書いていく。誰に送るかは、手紙を書こうと決意したときからぼんやりと頭に浮かんではいた。いや、正確には気恥ずかしくてA子自身も脳内で具体化することにちゅうちょしていたのだけれども。
その相手とは、高校の時のクラスメイトのS君だった。A子の数少ない思い人。人気者だった別のクラスの女子とつきあっていることが公になったため、告白できず諦めざるを得なかった人。でも、その思いが深すぎて、宛先である住所すらもいまだに覚えているくらいなのだ。できることならば彼に読んでほしい。
そんなふうに思いながらも、A子はちょっとだけ顔を曇らせた。当然、今のS君は私と同じ40代だ。ということは家庭を持っているかもしれない。好意の告白などは書き記していないが、疎遠の女からこんな重苦しい手紙が届いたら、奥さんとの仲がこじれる可能性も0ではない。A子はこの可能性に思い至りやめようかと思った。が、すぐに強気ではね返す。それもいいじゃないか。もう私は死ぬだけなんだ。人生の恥はかき捨てろ。
それに最初に決意しただろう、不幸のおすそ分けだって。人気者のかわいい子とつき合って散々いい思いをして、今も妻子がいて順風満帆な人生なら、彼に直接、間接を問わず泣かされた女だって私以外にも絶対いるはずだ、そうに決まってる。
最後は半ばやけくそのような感情になりながら封を閉じ、A子は看護師さんに手紙のとうかんをお願いしたのだった。