空墓所から
74.霊安室と修道女
その病院の霊安室には、ちょっとした奇妙なうわさがある。
霊安室。傷病を得た人々がやってくる病院という施設において、必要悪とされる場所。生きとし生けるものが必ず直面するであろう死という現象を経た後に、その抜け殻が一時的に安らかに置かれる場所。
死が身近であり日常であった昔に比べ、現代ではその存在が忌み嫌われ隠されている。逝去、他界、お別れ……。表現は巧妙にすり替えられ、私たちはぼんやりと死を意識しつつも、どこかピンとこないままで生かされている。
そんなご時世だ、霊安室なんてものは病院に通い詰めている方々も誰かが亡くなってようやく気付くような部屋だろう。知人が傷病と闘っているというのに早くも霊安室がちらつくような病院は、それがたとえ建物の構造といった問題であってもあまり良い病院とは言えないと思う。
さて、霊安室に奇妙なうわさのある例の病院だが、とある地方の中小都市に居を構えている総合病院がそれだ。病院にこのような物言いをしていいのかはわからないが、開業して50年弱、その間の客の入りは上々で、この都市や周辺に住む人々は体の不調があるとまずこの病院を訪れるというのが決まりだそうだ。
地方の総合病院とは言え、霊安室にうわさがある病院に人が来るのはおかしいだろう、そう思う方もいるかもしれない。しかし、この件に関してはうわさの内容をまず聞いてほしい。それを聞けばある程度、納得していただけるに違いない。
実はその霊安室、今まで遺体が安置されたことがないそうなのだ。
遺体が霊安室に安置されたことがないということは、この総合病院は50年近く経営していて一度も死者が出ていない、ということを意味している。
もちろん病院にもいろいろな種類がある。例えば健康診断などを専門的に行うような診療所だったり、歯科や皮膚科などの専門的なクリニックなどなら、50年もの間、死者が出ないということもあるだろう。だが、この病院は地方都市の総合病院だ。事故の負傷者が救急車で担ぎ込まれることもあれば、がんなどの大きな病を得てしまった者、余命幾ばくもない老人が門をたたくこともあるはずだ。しかし、彼らもみな別の病院へと転院をしてから、そこで息を引き取っているようなのだ。
だがあくまでこれはうわさのレベルでしかなく、実際に確認を取ったものはまだいない。なお、数年前にオカルト雑誌の記者が院長にインタビューを試みたことがあったそうだが、うまくはぐらかされて回答は得られなかったそうだ。ただ、病院側としてもここで白黒はあまりつけたくないのだろう。黒なら、死者が出ない病院という素晴らしい評判を失うことになってしまうし、白と明言すれば、今の医師やスタッフの「死者を出せない」というプレッシャーは非常に大きくなる。もちろん現場の人々は誰しもそれぐらいの意気込みで仕事に臨んでいると思うが、「死者を出さない」と「死者を出せない」はたったの1文字でも意味合いが大きく変わってくる。
今日もその病院はその門戸を開き、体の不調を訴える人々を受け入れている。入院している患者もその日の調子を医師や看護師に説明している。しかし、利用者からその存在を隠すようにスタッフが出入りする裏口の付近に位置している霊安室には、今日も死者は存在しない。定刻に清掃スタッフがやってきて、ていねいに清掃を行い、そして立ち去るだけだ。
駆け出しのオカルト記者である私は、先述の院長にインタビューを試みた先輩記者にこのうわさの再調査をしたい旨を相談した。先輩は「ああ、あれか。あれは掘らないほうがいいかもな」と言いながら、私に三つのヒントを提供してくれた。
1.あの病院が建てられる前、何が建てられていたか。
2.また、そこではどういったことが行われていたか。
3.その行為は、現在も行われている可能性はあるか。
このヒントに対する私の調査結果と所見を記したいと思う。
1.について。
戦後の復興期にあの地には修道院が建てられ、高度経済成長期のあたりに病院の用地として買収されたことが判明している。
2.について。
修道院では50人前後の修道女が神に生涯をささげる生活をしていたようだが、その暮らしは非常に厳しかったようで、逃げ出そうとする者もいたという証言がある。しかし、修道院からの出奔は容易ではなく、その大半が捕まって連れ戻され、厳しい刑に処されたらしい。
3.について。
刑の内容は不明だが、50年前に刑を受けた修道女が比較的若年であった場合、まだ生存している可能性はある。
所見。
やや遠回しな書き方になったが、中世の頃、不貞行為を犯した女性には生き埋めの刑を科したと聞いている。ただ、生き埋めといっても空気や飲食物が通る穴を用意すれば、厳しい環境ではあるが生き永らえることも不可能ではない。
これらを総合して、以下のようなことがあったのではないかという推測が立てられる。
・修道院閉院間際に、若い修道女が男と手を取って逃げ出そうとした。
・しかし、あえなく捕まり修道院に戻されて生き埋めの刑に処された。
・地の底で修道女は出してくれという思いで苦しみながら恨み続ける。
・一方、修道院は病院の用地として買収、地下の修道女を残して閉院。
・私刑の露見を恐れた修道院の関係者らは、地底の彼女の存在を秘匿。
・今は還俗した修道女が病院内で、隠れて彼女に飲食物を渡している。
すなわち、罪を背負った修道女の地下からの死んでなるものかという鬼気迫る祈り。この負の力こそがこの病院の霊安室に死体が安置されるのを妨害しているものの正体なのだ。言い方を変えれば、霊安室が使われなかった50年は、哀れな修道女が奪われた50年、ということになる。
これは、確かに掘り返さないほうが良かったかもしれない。私は今も一心不乱に祈りをささげている、すっかり老年になって半ば狂ってしまっているであろう修道女と、彼女を助け出すことでこれから使われることになるであろう霊安室とを、しばしてんびんにかける。そして、ひどい話だが老女を見捨てて、もうしばらく、あの病院の霊安室が使われない未来を選ぶことにした。



