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空墓所から

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49.冷戦、その雪解け



 嫁と姑というものは、どうしたっていがみ合う宿命にあるものだ。

 こんなことを言うと、いや、そんなことはない、私の家ではうまくやっているとか、運良く気の合う同士で二人で出掛けることもあるぐらい仲の良い間柄だ、という、数少ない例外を挙げたいのか、幸せ自慢をしたいのかよくわからないご仁が登場する。だが、そういった家庭の実態は、おおむね誰かがかすがいか板挟みになっているだけという状況に違いない。

 かすがいの代表格と言えば、ことわざにもある通りやはり子どもだろう。もっともことわざのほうは、夫婦間をつなぎ止める意味で言われているらしい。しかし、子どもは立派に嫁と姑の間をつなぎ止める役割も果たしてくれる。まあ、それもしょせん小さいうちだけだし、反対に子どもの存在が火種になることも大いに有り得るということも忘れてはいけない。
 翻って、板挟みのほう代表は夫や舅といった男性陣が担うことが多いようだ。舅は愛している嫁の行き過ぎを叱ったりなだめたりしつつ、一家の長として騒動の裁きを下す役割を取ることが往々にしてあるようだ。これを読む方の中には、家父長制が古臭いという先進的な考えを持つ方もいらっしゃるかもしれないが、一般家庭の具合はまだまだこの程度ではないだろうか。
 さて、次の夫のほうはやや役割がややこしい。なにせ母と妻という自分の人生にとって重要な女性二人の間に入らなければならないのだから。一歩でもバランスを違えるとそこには破滅が待っている。どちらに肩入れしてもいけない。理性を持って意見を言わなければならない。だが、ふたりの感情にも寄り添う必要がある。義実家との力関係も考慮に入れなければならないし、姉妹(俗にいう小姑というやつだ)がいようものなら、さらにその立場は小難しくなる。まあ、これらの諸問題は私たち妻側もそっくりそのまま鏡像のように抱えているわけなのだが。こう考えていくと、良くも悪くも結婚に対する格言が世の中に多いのもうなづけてくる。

 長いこと御託を並べてきたが、とどのつまり、立場や年齢などの差異はあれど、同じ男を愛してしまった母と妻という二人の女の間に平穏な関係などありえない、というのが私の主張なのだ。


 ここまで読み進めてくださったみなさんが頭に思い描いているとおり、私と姑との関係はすこぶる険悪だ。彼女はどうやら私の一挙手一投足が気に入らないらしく、顔を合わせれば必ず私を否定して、嫌みを言ってくる。そして言葉の片隅には必ず、ふがいないあなたのためを思っての苦言だ、という言葉をくっつけるのを忘れない。しかし、こんな言葉を常にはいてくるやつはろくでもないやつであることを私は経験で感じ取っている。専業主婦として家庭に入らず正職員として働いている(姑に言わせればこれも気に入らないらしい)と、こういう手合いはそこいらにゴロゴロ転がっているので、その言が相手を慮っているわけではなく、自身の虚栄心や後ろめたさに対する言い訳のためにのたまっているということは百も承知なのだ。

 私は交際時の義実家へのあいさつの時点から姑の危険な臭いを感じ取っていた。けれども、挙式が済むまでは姑の前で羊の皮をかぶるという戦略を取ることにした。ここで義実家の不興を買って式というお膳を引っくり返されたら元も子もない。今は面従腹背。それ以降は夫をこちら側にたぐり寄せて戦況を少しずつ有利にしていけばいい。そんな考えでいたのだ。

 しかし、この戦略はあまり功を奏さなかった。夫は何かにつけて実家へと帰りたがる。私はどうにか理由をつけてそれを断る。どうやらわが妻はうちの実家が苦手なようだぞ、と気付いた夫はこともあろうに私のほうの説得にかかったからだ。

 このとき、私は夫に少なからず幻滅していた。そこは空気を読んでほしかった。私もそれなりに気が強いほうではあると思っているが、ここで、あなたの大好きなママが私は大嫌いなのです、と言い放てるほど鉄面皮ではない。それに、こんなことを口走ったら、ややマザコン気味だった夫は確実に義母の側につくに違いないだろう。夫というオセロが白から黒に変わったら、もうこの戦争は敗北したも同然なのだ。配偶者を諦めて家を出るか、向こう40年近くをあの女の奴隷として過ごさなければならない。

 私は乾坤一擲のばくちを打つことにした。すなわち、無言を貫いたのである。言い換えるならば、察してくれ、というサインを送ったのだ。

 いわゆるこの手の「察してちゃん」と言われる行動。これがあまり世間において評判がよろしくないことは私も重々承知している。だが、世の中には言ってはいけないことがあるというのも一つの真理だろう。私は夫を傷つけず、大嫌いな姑すら気遣うこともでき、さらに自身の意見を押し通せる可能性があるのはこの手しかないと思ったのだ。

 夫はしばらくいぶかるような表情をしていたが、やがて席を立った。さあ、彼はどう出るだろうか、ことによったら緑の紙がご登場しかねないぞと、おびえながら日々の生活を続けていたら、珍客がやってきた。夫の父であり、義実家の主である舅が突然、わが家に出向いてきたのである。

 舅は夫を遠ざけ、私とふたりきりになって話を切り出した。あくまで推測でしかないが、こちらに来ないのは、私の妻にいろいろ言われたのをあなたが苦にしているからではないか。それならば、無理にこちらにやってくる必要はない。妻には私が何とかとりなしておくし、息子にもちゃんと言い聞かせておくので、気にしなくていい。だが、私たちもやはり人間なので、孫の顔は見たい。もちろん出産もあなたがた夫婦が決めることだから、私たちにとやかく言う権限はないが、もし子宝に恵まれるようなことがあったなら、孫の顔ぐらいは見せてはくれまいか。そのときもあなたが来る必要はない。小学校に上がるくらいになって手がかからなくなった頃に、息子と一緒に来てくれればいいから。

 私を気遣って不器用にとつとつと話す舅の表情は、長い間、妻の尻に敷かれて経験してきたであろう苦労がにじみ出ているように見えた。しかし、その意見はかゆいものに手が届くかのように私の主張をしっかりと受け止め、それにきちんとした形で答えてくれたものだった。

 夫は別の場所で舅に諭されたのであろう、これ以降、私を義実家に誘うことはなくなったし、義実家へ行く頻度それ自体がめっきりと減った。私は、姑の「し」の字も出さずに夫婦生活を楽しむことができるようになったのだ。

 これで、問題は解決したかと思った。しかし、人生において凪はそれほど続かないというのは、半ば宿命のようなものなのだ。

作品名:空墓所から 作家名:六色塔