空墓所から
38.石けり
小学生の頃、登下校中の約20分の間、よく石をけっていた。
最初は特に理由なんてなかったはず。多分、道を歩く最中に手頃な大きさの石が僕の足に当たって、少しばかり前に飛んだ、その感触が楽しかったからというのがことの始まりだったような気がする。その作業をもう一度、もう一度と繰り返しているうちに、いつの間にか学校と家への往復という作業中に行うルーティーンになっていたんだろう。
石をけって進む、その動作自体がものすごく楽しかったのは確かだ。何かを自在に、自分の思う通りにコントロールするというのはすごく気持ちのいいことだ。人がスポーツやゲーム、仕事に熱中するのも、ボールだったり、画面の向こうのキャラクターだったり、人材やお金だったりといったものを思うように動かして、成果をつかみ取るのが楽しいからじゃないかとすら思えてしまう。そして、僕が小学生の頃にその楽しさを見いだしたのが、まさに路傍の石だったというわけだ。
だが、楽しいのはそれだけじゃなかった。石をけりながら通学路を歩いていくと、今までの退屈な道がまるで別の世界になったような気分になる。間違いなくこの点も、僕を石けり通学に夢中にさせた要因の一つだ。
通学路の景色。小学生なら6年間、それを学校の行き帰りに眺めなければならないわけだが、これは非常に退屈なものだ。学校への道程なんてその大半が変わり映えのしないものばかりだ。まれに新しくマンションが建ったり、お店が閉店し新しい店舗に変わることもあるが、その動作は非常に緩慢だし、それとてもせいぜい数カ月でまた日常に溶け込んでしまう。この世に生まれてまだ日が浅い小学生の若人たちは、そんな速度じゃ満足できやしない。
しかし、蹴り出した石が転がっていくミクロの世界では、ものすごい速度で世界が動いていく。まず、車や自転車が秒単位で行き来する。石をける僕はそれを見越して安全な場所に石を退避させなければならない。もちろん徒歩の人もいる。自分を追い抜いていく人、反対に向かい側から来てすれ違う人。彼らに石をぶつけることが失礼に当たることは小学生でもちょっと考えればわかることだ。
これら周囲の人々だけじゃない。その他の事情によっても、通学路は刻一刻と情勢を変化させていく。
しばしば大きな障害となったのは工事現場だった。道路に穴を掘るために一時的に回り道をさせられたり、その道が鉄板を重ね合わせたものだったりすると、僕自身は容易に通れても、そこから生まれるささいな段差を石ころが乗りこえるには、報酬を何億、何十億ともらっているサッカー選手並みにデリケートな足の動きが必要となる。しかも、工事をしている人の邪魔にならないようにと考えると、チャンスは一回こっきり。それにあえなく失敗し、その日は石けりを諦めた、なんてことも数多くあった。
その次に印象に残っている障害物は汚物だった。不快な話になって恐縮だが、マナーのなっていない飼い主がペットのふんをそのままにして立ち去ってしまったり、したたかに酔っ払った近所の住人が胃の内容物を戻したりして、それらが電柱脇に残されたまま放置されていることがしばしばあったのだ。
それらが視界に入る地点では、ほんの軽いひとけりにも緊張が走る。なんせ近づくのだって不快なのだ。それに、石けりが大好きな僕もさすがに汚い石ころはけりたくない。そのため、大切な石ころをそんな汚物に突っ込ませないよう、細心の注意を払ってけり飛ばさなければならない。
それらが跡形もなく消えた後も安心できない。少し前、あそこに大きなふんがあったなあ、なんて記憶が脳の片隅にこびりついていると、それだけでなんとなくそこらへんに石が転がっていくのを避けてしまう。それを嫌ったせいで、石が反対側の側溝やどぶに入り込んでしまったこともしばしばあったのだ。
そんな通学路の風景と比較して、目まぐるしく変わっていく路上。そんな場所で、僕は毎日のように石ころをけり続けて学校と家を往復していた。それはまるで朝と夕の2回、毎日パー100ぐらいのランダムに姿を変えるゴルフコースを、どうにかフェアウェイをキープするかのようにして歩んでいくようなものだった。
まとめると、登校中の石けりは僕の立派な趣味と言っても過言ではなかったと思う。
だが、そんな僕の石けりライフは、ある日突然、終わりを迎えることとなる。
その日、学級会でとある女子から提案が出された。
「登下校中の石けりは危ないので、禁止にしたほうがいいと思います」
この提案に反対する女子は誰もいない。おそらくすでに根回しが済んでいるのだろう。男子は数人がこの提案に対して果敢に反対意見を述べる。いずれも僕と仲がいい者たちだ。だが、彼らは多勢に無勢だった。懸命の抵抗もむなしく女子たちに各個撃破されていき、友人たちの声のトーンは少しずつ落ちていく。やがて、決を採ることになり、圧倒的多数でこの提案は可決され、クラスの決まりごとの一つに加えられた。
僕の石けりの趣味を知る友人たちが女子たちと攻防を繰り広げている最中、当の僕は全く発言をしなかった。それどころか、提案が出た時点でもうすでに心の中であきらめの境地に立っていた。
結束したうちのクラスの女子に目をつけられたら、もう何も覆すことはできない。そんなことはもうわかりきっていたし、心のどこかで石けりもそろそろ潮時だろうという考えがないでもなかった。そういう意味では、この日のこの提案は渡りに船だった。
この学級会は5年生の2学期頃に行われたと記憶しているが、6年生になった際にクラスが替わらなかったので、翌年もこの石けり禁止の決まりごとはそのまま適用された。もちろん中学校に上がればこんなものは無効になるが、学ランにそでを通した僕は部活動のほうにすっかり夢中になり、学校の行き帰りに石をけるなんてことはつきものが落ちたように忘れてしまった。
大人になった今、振り返ってみると、石けりの禁止を提案した女子にちょっとだけ感謝の念を抱いている(もう顔も名前も覚えてはいないが)。その一方で、石けりの存続に立ち上がり、最後まで抗ってくれた友人たちにはもちろんありがたかったという思いもあるが、そんな仲の良い彼らが、僕の心の奥底にあった石けりはそろそろ引き際だなという思いに気づかなかったことを残念に思うのは、いささかわがままというものだろうか。
そんなことを振り返りながら、つまらない仕事の帰り道に足元の石をけり転がす。真っすぐにけったつもりの石は、脇にそれてとぷんと側溝のすき間に落っこちた。どうやら心の機微と同じくらい、石の転がり方っていうのは難しいもののようだ。
もしかしたら、石けりに夢中になっていたあの頃のほうが、石の動きも人の心もわかっていたのかもしれない。根拠はないが、なぜかそう思った。