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空墓所から

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 夫婦がそんな日々を送っている間も、今ほど世の中は目まぐるしくなかったとはいえ、さまざまなことが起こっていました。

 まず、この男にとって非常に運が良かったことがありました。この平穏祭を始めてから数年の間、この地方では豊作が続いたのです。

 この村の庄屋はこの豊作の理由を、村の誰かが豊穣を願っていたからではないかと推測しました。そうして村内で話を聞いてみると、少し前から畑仕事をやめて飲んだくれているやつがいる、という情報が手に入ります。庄屋がその飲んだくれのところに話を聞きに行くと、その男は平穏な一日を過ごせたことを祝い、明日も平穏になるようにという祭を毎日やっている、と言うではありませんか。
 この男が、常に平穏な日々を感謝し、それが積み重なったからこそ、今回の豊作が訪れたのだ、庄屋は男の話を聞きながらそう考えたのです。

 そこで庄屋は、目の前でも遠慮なく飲み食いし続けるその男に、これからも平穏祭を続けるように自ら頭を下げました。さらには、祭りに必要な酒や食い物の費用は私のほうで負担するという証文をも残していったのです。

 これで男は、真っ昼間から堂々と飲み食いすることにお墨付きを得ることができたのです。

 しかしその一方で、嫁のほうは困り果ててしまいました。男が畑仕事をしなくなってしまったので、お金がもうないのです。先ほどの証文の通り、旦那が飲み食いする平穏祭の費用は庄屋が負担してくれますが、日々の生活費まではさすがに出してくれないでしょう。嫁は自分の食い扶持を探す必要に迫られてしまったのでした。
 しかし、ここで嫁も一計を案じます。どうせ旦那が飲んだくれているならば、いっそお酒造りをなりわいにしてしまえと考え、すっかり荒れ果てていた畑をつぶして立派な酒造を建て、お酒を販売し始めたのです。
 いつも飲んだくれているあの男の家で造られるお酒です。さぞかしうまいのだろうとうわさになり、村人が続々買いに来ます。実際にうまかったので、そのうわさは村外にも広がり、お酒は飛ぶように売れていきました。気がつくと、ろくに畑仕事をしない旦那を無理にこき使っていた昔よりもはるかに裕福になっていたのです。

 当の飲んだくれ男は嫁のすることにも稼ぎにも無頓着で、その後も平穏祭というよくわからない祭にかこつけて楽しく飲み食いをし、一生を終えました。しかし、あくまでそのような飲み食いをするのは平穏な日だけで、村で誰かが亡くなったり大きな災害が起きたりといった悲しい日、反対に村の者が夫婦になったり出産したりなどといっためでたい日には、飲み食いの場に参加をしても決して何も口にはしませんでした。ただ、食べ物や酒を前にのどをグビグビと鳴らして我慢していたため、葬式の席で悲しみをつかの間、忘れさせてくれるような小さな笑いが起きた、という逸話が残されています。もしかしたら、こういった非日常時のしんしな行動や、人間味のあふれているところが、飲み食いばかりしていても彼が村の人々に愛された要因なのかもしれません。


 ところで男の子孫ですが、嫁の造った件の酒造を経営しつつ、今も村に住んでいるそうです。平穏祭もいまだに行われているようですが、今は少し趣が変わってきていて、

「今日は、大雨だったから平穏祭はやめよう」
「今日は、ひいきの野球チームが負けたから、やめだ」
「今日は、母さんが落ち着けるカフェを見つけたから、やめとこう」
「今日は、髪形が決まらなくて、朝、夏那の機嫌が悪かったからな」
「今日は、祐司がアイスのあたりを引いたから、なしだな」


といった、取るに足らない理由をつけられてしまって、祭はなかなか催されないそうです。

 その代わり、年に一度の村の祭の日になると、

「今年も平穏無事に村の祭が行われているな。じゃあ、うちも平穏祭を始めようか」

ということで、一家で祭に繰り出すんだそうです。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔