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空墓所から

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43.祖父母と飼い猫



 おじいちゃんが亡くなった。まあ、まだ生きている可能性もあるが、恐らく低いだろうと思う。

 話は数年前のある日にさかのぼる。その日、いつもよりおじいちゃんの散歩の帰りが遅いなと思っていたおばあちゃんは、昼食をとろうと思い立ち、飼いねことともに見ていたテレビを消して台所へと足を運んだ。おじいちゃんがいないので、昨晩の残りのご飯とお漬物で簡単に済ませようかと考えて冷蔵庫に手を伸ばす。そのとき、何気なくテーブルに目をやると、一枚の書置があたかもそこにあるのが当然かのように存在していた。おばあちゃんは冷蔵庫を開こうとしていた右手を、その一枚ぺらの紙へと移動させる。


  死に臨む際、大切に思い感謝しているあなたに迷惑をかけたくありません。
  そのため、短い余生を一人で生きて、人生の幕を閉じようかと思います。

  決して事件や事故などではありませんので、心配しないでください。
  また、警察や探偵などによる捜索なども、行わないでください。

  言葉を重ねますが、あなたのことは本当に大切に思っております。
  あなたへの愛は、決してうせてはおりません。今でも愛しています。

  しかし、大変申し訳無いのですが、私にはこうするより他にないのです。
  大変急な話ですみませんが、ご理解をよろしくお願いいたします。


 その紙には、上記のような文字が明らかにおじいちゃんのそれとわかる筆跡で書かれており、その右下にその日の日付とおじいちゃんの名前が書かれて結ばれていた。

 おばあちゃんいわく、最初にその書置を読んだときは何かの冗談ではないかと思ったそうだ。だが2回、3回とその文面を読み直すたび、次第にことの重大さに気付き、あわて出した。
 おばあちゃんは動揺しつつもスマホを手に取り、手当たり次第に電話をかけ、いまだ使い慣れないLINEのメッセージを送り出した。僕ら親族は、その連絡によってようやくことの次第を知ったのだった。

 僕らは数日のうちにおばあちゃんの家に集まり、その書置と疲れ切ったおばあちゃんをかわるがわる眺めることとなった。僕らがおばあちゃん宅にぞくぞくと集まる数日の間も、もちろんおじいちゃんは戻ってこなかった。おばあちゃんは親族だけでなく、おじいちゃんの知り合い、よく行く将棋の会所や高齢者サロン、果てはかつておじいちゃんとうわさのあった女性にまで恥を忍んで連絡を取り、おじいちゃんの行方を探した。しかし、おじいちゃんの足取りをつかむことはできず、行方はようとしてしれなかった。

 すっかり取り乱して、しゃにむにおじいちゃんを探そうとするおばあちゃんには申し訳なかったが、集まった僕ら親族は少しばかり冷めた目でこの一件を眺めていた。確かにおじいちゃんの失踪は大きな事件ではあるだろう。しかし……。

 僕らはおばあちゃんになかなか本当のことを言えなかった。おばあちゃんはちょっと、いや、かなり口が悪いところがあり、よく言えば歯に衣を着せぬ物言い、悪く言えばあけすけに人の欠点を話すところがあった。もちろん根は決して悪い人ではないのだが、ちょっと人を選ぶ、そんなところのある女性だったのだ。
 その一方で、おじいちゃんは無口で寡黙。昭和の男を絵に描いたような人で、普段から常に必要最低限のことしか口にしない。ただただ黙々と自分のなすべきことをこなす人だった。

 そのため、お盆や正月などの親族が一堂に会す場で、僕らはなぜこの二人が結ばれたのだろうかと疑問に思うことがあった。おばあちゃんはところ構わず旦那の悪い点をあげつらい、若い僕らの前で容赦なくつれあいを怒鳴りつける。おじいちゃんはそれに小さくうなずいてはいちいち言うことを聞く。それは夫婦というよりも、女王と従者の二人を見ているといったほうがふさわしかった。
 だが、他人の夫婦生活なんてものは、本人たちさえ幸せならばどんな形でも一向に構わないことだ、ということを僕らはよく知っている。それに、彼らの年代なら、お見合いで結婚した可能性も高い。そう思うと、あまり深く掘り下げて地雷を踏み抜かないほうがいい、そっとしておくべきだろう、そんな考えに至ってしまい、誰もおばあちゃんに意見できなかったのだ。

 こういう背景があったせいか、僕は最初この話を聞いた時、ついにカタストロフィがやってきてしまったのかな、と思った。膨らみ続けた風船がいつかは破裂するように、おじいちゃんの堪忍袋の緒もついに限界を迎えたのだと。それ故に、おばあちゃんの自業自得なんじゃないかな、という思いを心のどこかに宿しながら、田舎に向かう新幹線に飛び乗ったのだ。

 だが、祖父母の家で数日を過ごしてからは、ちょっとばかり違うのではないか、そう思い始めていた。

 残された書置をみると、おじいちゃんはどうやら一人で死にたいらしい。世の中には、家族にみとられて病院や畳の上で静かに往生するのが最善の死に方のような風潮がある。だが、おじいちゃんのように1人で死に臨む人間がいてもおかしくないはずだ。孤独に苛まれようとも、想像を絶する苦しみが待っていようとも、誰にも見られずに一人で死んでいきたい。そのように望むものがこの世にいてもいいはずだ。
 それに、おじいちゃんは書置ではっきりとおばあちゃんへの愛情も、今までの感謝も示しているじゃないか。単純におばあちゃんから逃げたかったのであれば、こんな文面を残す必要はない。ただ単に離婚話を切り出せばいいだけだ。あれだけ日常的にひどいことを言われていたのなら(それが例え愛情の裏返しであったとしても)、おじいちゃんはそれほど日を要さずに独り身になることができただろう。それをせず、あの寡黙なおじいちゃんが、僕ら親族が間違いなく目にするであろう書置に「愛しています」と明確に記したのは、それが紛れもない真実であるという何よりの証拠だからに違いない。

 そういう意味では、事件などには本当に巻き込まれてはいないのだろうと思う。警察や探偵などを用いた大規模な捜索はしないでくれというのも、おおかた本音だろう。親族や知人に連絡をする程度のことは、長年、連れ添った配偶者ならするに違いないというのも見越しているはずだし。

 結論を言うと、おじいちゃんは本当にひとりぼっちで死に向き合いたいのだろう。80年近い人生の全てを投げ捨ててでも、無の状態で土に帰りたいのだろう。

 他の親族も恐らく似たようなことを考えたようで、皆、おじいちゃんの行方を探すことには消極的だった。おばあちゃんは僕らを相手にしばらく頑張っていたが、やはり自分でも思うところがあったらしく、ある日ふらりと帰ってきてくれるかもしれないという希望を心に残しつつ、ひとりと飼いねこ一匹の生活を始めた。

 しかし、おじいちゃんのいない生活はやはりさみしかったようで、旦那の失踪から2年ほどたったある日、おばあちゃんは自宅で倒れて亡くなっていた。

作品名:空墓所から 作家名:六色塔