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空墓所から

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 プールはなんの変哲もなく、いつも通り水をたたえてイルカたちを包んでいます。しかし、そこをゆうゆうと泳ぐいるかたちに混じって、奇妙なものが一体だけ紛れ込んでいるのです。
 それはパッと見、何らかの人工物━━例えば模型のような、に見えました。でも、その物体はうねるように揺れ動き、プール内を縦横無尽に泳ぎ回っているのです。そう、まるで「いるか」のように。

 クリスタさんは、しばらくの間、ぼうぜんと「それ」がゆうゆうと泳ぐ姿をながめていましたが、しばらくすると、「それ」の側面、やや離れたところにあるものを見つけます。それは、クリスタさんが昨日、手当をしたあのいるかのまだ治りきっていない傷口だったのです。
 それを見た瞬間、クリスタさんは、全てを理解しました。しかし、その考えは理性では到底、納得し得ないものでした。しかし、どう考えても、そのように考えないとつじつまが合わないのです。

 つまり、あのいるかはいじめから逃れるために、自らの体をスケルトン━━透明にしたに違いないのです。そうすれば、確かに他のいるかから見えにくくなるわけですから、いじめに合う可能性は減るでしょう。

「でも……」

クリスタさんはその光景を眺めつつ、プールサイドで腕を組んで考え込みます。大きな疑問点が二つ、頭に思い浮かんだからです。

 一つは、いるかでは透明になるメリットが薄いということです。実はいるかは目があまり良くありません。彼らは主に音を使ったエコーロケーションによってものの位置を把握したり、他のいるかとコミュニケーションを取っています。そのため、体を透明にすることで、多少は他のいるかから自身の存在を隠せるようにはなりますが、それでは根本的な解決にはならない気がするのです。
 もう一つは、なぜ透明になれたのかということです。体を透明にしたいるかの存在など、うわさにも聞いたことがないですし、もちろん、過去にさかのぼっても、そのような文献はみたことがありません。

 クリスタさんは、しばらくプールサイドで骨だけになった姿で泳ぐいるかをながめていましたが、それらの疑問点は一向に氷解しそうにありませんでした。そのため、仕方なく、再び自身の業務に戻ることにしたのでした。


 さらに翌日のこと。

 出勤したクリスタさんは、またも職員からいるかのプールに急いで来るように伝えられ、勤務の準備もそこそこにプールへと駆けつけました。今日はいったいどんなことが起こったのか、悪い知らせでなければいいが、という思いとともに。
 透明だったあのいるかはもう既に透明ではなく、かつてのグレーの体色を取り戻してプールの中を泳いでいました。しかし、それではすぐにまたいじめられてしまうでしょう。ほら、案の定、数匹のいるかが彼を突っつくために、すごい速度で突進してきます。

「危ない!」

クリスタさんは思わずプールに駆け寄りましたが、どうもできません。仕方なく、かたずを飲んで見守ります。しかし、そうこうしているうちに、かのいるかにいくつものとんがった口が襲いかかってくるのです。もう少し、あと少し、痛ましい接触事故が起こってしまう。クリスタさんがそう思い、顔をしかめた瞬間、驚くべきことが起こったのです。
 件のいるかは、ふっと、本当になんの前触れもなくその場から姿を消しました。まばたきもせぬ間にすっかりかき消えてしまったのです。残るはあてが外れて、互いに口をぶっつけ合うイルカたちばかりです。

「?」

クリスタさんは何が起きたのかよく分からず、しばしわれを失っていました。先ほどクリスタさんを呼び出した職員がそっと彼女の肩をたたき、プールのある一点を指差します。クリスタさんは、そちらに目をやりました。

 そこには、先ほど瞬時に姿を消した彼が、悠然とヒレをはためかせていたのです。

 その後の観察で、このいるかは身を守るために、瞬間移動の能力を身に着けたことが判明しました。この能力を身に着けたからか、はたまた別の理由からかは分かりませんが、この後、彼がプールでいじめられることはなくなったようです。
 ところが、今度は世界中の研究者たちが、この若くて小さな一匹の海獣を付け狙うようになってしまいました。瞬間移動の能力と、その前日に一日だけとはいえ体を透明にした能力。これらの謎を解明できれば、人もそれらの能力を身に付けることができるのではないだろうか、というギラギラとした欲望で。

 そんな欲深な人間たちから殺到する依頼をながめながら、クリスタさんは考えていました。


 いるかたちのあのいじめとも見える行動は、もしかしたらいじめではなく、いるかという種族の未知の能力を開花させるための儀式のようなものなのではないだろうか。そうだとすれば、今回のような突拍子のない能力をあのいるかが身に付けたのにも納得がいく(どうやって身に着けたのかはさておいて)。要するに、攻撃をしていたいるかたちは、あのいるかが能力を覚醒させることを確信してやっていたのだ。しかし、彼は不器用にも、一度、覚醒の仕方を間違えた。透明になるというあまり意味のない覚醒をしてしまった。その後、何らかの形で間違いに気付き、修正を行って瞬間移動の能力を取得し直したのだ。
 もしかしたら、これまで連綿と続いてきたいるかの歴史の中で、攻撃してきたいるかも、攻撃されてきたいるかも、今回のように能力を得るためにそれらを行っていたのではないだろうか。それがいるかの文化として長いこと定着し続け、今回、たまたまこの水族館のいるかによって発生した、ということ……。

 だが、この文化を人間に持ち込んでもうまくいくだろうか。命を失いかねない危険な行為であることはもちろん、いじめの肯定にもつながりかねない。なんせ、われわれの目には、やはりいるかたちのあの行動はいじめだとしか思えないのだから。

 それならば、今回の能力獲得劇は人間には秘密のままにしておいたほうがいい気がする。幸いなことに、あのいるかも周囲に溶け込んでからは瞬間移動をしなくなったことだし。それに、多分に疲れもあるから彼を休ませてあげたほうがいい。可能なら、命を閉じるそのときまで。


 そのとき、クリスタさんの元に再び連絡がありました。また、調査依頼か、クリスタさんは人の欲深さに若干うんざりしながら、あのいるかの安寧のためにその依頼を断る連絡を返したのでした。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔