無限への結論
という発想からすれば、まったくの未完成だと言ってもいい。
この機械は、
「ただ、時間を超越することができる機械」
というだけの意味で、タイムパラドックスに対して、いかなる解決策も持っていないと言ってもいい。
タイムパラドックスというものを理解するために考えた発想も、さらなる悲惨な発想を生み出すことになったではないか。
「進歩しているつもりでも、実は退化していると言えなくもない」
という発想も生まれてくるのであった。
世の中において、完璧なものなど、そもそもありえない。これはフレーム問題とも似たところがあるのだが、
「完璧というのは、まわりの枠を把握しているから完璧だと言えるのだ。全体の何パーセントなどという発想も、全体が分かっていないと言えることではない。完璧の外枠が分からないのに、何が完璧だと誰が言えるのだろう?」
つまりは、
「無限に何を割っても無限でしかない」
というように、何が完璧かというゴールが見えないのだから、考え始めると、底なし沼に嵌ってしまったのと同じことなのではないだろうか。
それを考えると、今の段階では、どんなものを作ろうとも、タイムマシンを開発したと言ってはいけないのではないだろうか。
そこで、研究者の一人が面白いことを言い出した。
「未来に言って、タイムマシンがどのような形として認識されているかを調べてくればいいんだ」
ということであった。
「ああ、それはいい発想ではないか」
と他の人も賛同していた。
研究所の署長でもあるか刻博士にしても、
「うん、それは一つの考えだね」
と、賛成したほどであった。
賛成した背景には、タイムマシンという機械自体を作るまでに、全神経を集中させることでの全集中が、かなり精神的なところを蝕んでしまっていて、開発直後の感覚感情は完全にマヒしていたと言ってもいい。
普段なら絶対に気づくであろう不安要素を考えることができなくなっていたのだ。
したがって、思考することすら困難な状態に陥ってしまい、博士でさえも、間違った考えに自分が進んでいることに気づかなかったのだ。
だが、この発想は、凡人であれば、なかなか思いつかないものであり、どんなに憔悴した状態でも、
「さすが、科学者」
と言われるほどの知能は持っている。
しかし、一番懸念しなければいけない発想を持つことができず、最初に考えた発想を生かすことになったのだ。
ただ、これがどれほど危険なものなのかということは、この時に誰も分かっていない。
そもそも、タイムトラベルという、人類最初の大偉業をしようというのに、このような精神状態ではできっこないだろう。
それほどタイムマシンを開発したその意味を知りたかったのだろうが、それも無理もないことだ。
開発をしている時は前だけを見て、夢中になっていればいいのだが、しかし、完璧だとは誰も思ってはいないが、少なくとも一段階は進んだことになる。その位置がどこなのか分からず、一パーセントに近いのか、百パーセントに近いのか、それが問題だった。
「ただ、ゼロではないというだけだ」
というだけでは、誰もが満足をしていないだろう。
何しろ、研究を始めて前しか向いていなかったので、その時期は研究以外の時間はありえなかったのだ。こうやって小さな頂に登ってみると、これまでの人生がどれほど歩んできたものなのかを考えると、その時間が無駄ではなかったという証明として、
「タイムマシンの開発に、どのような意味があったのかということが分かっていないと、本当に時間を無駄に使っていなかったということを納得できない。それさえ納得できれば、これからも開発に邁進していけるからだ。それが証明できないのであれば、開発を断念するしかない」
と考えるのも致し方のないことではないだろうか。
そんなことを考えていると、
「やはり未来にいくしかないんだろうか」
ということで意見は一致した。
では誰が未来に行くのかということを話しあった時、出てきたのが、松岡秀則であった。
彼が一番作成したタイムマシンの構造を知っていて、さらに過去に書かれたタイムマシンやタイムトラベルの書かれた小説を読んでいた。
「一番の適任は松岡しかいないでしょう」
と言われると、松岡も次第にその気になっていた。
彼自身も、最初から、
「タイムマシンに乗り込むのは自分だろう」
と思っていたようだ。
自惚れに近いのだが、まわりの意見と松岡の意見は一致していた。だが、実際にはまわりの人は、
「俺は未来に行くのは怖いな」
と思っていたのだ。
実は皆思ったよりも冷静で、ここから未来に行くことの本当の恐怖を分かっていたのだろう。もちろん無意識ではあろうが、それが正解だということを誰も分からずにである。逆に松岡であれば、
「やつなら、何かあっても、その時に解決してくれるだろう」
という無責任ではあるが、それだけ彼の才能を認めているとも言える。
その時ばかりは、松岡の才能に嫉妬していた時期がありがたかったと思えた。そうでなければ、タイムマシンに半強制的に乗り込まされるということもありえないとも言える。やはり松岡は、一抹の不安を抱いてはいるが、タイムトラベルに行く気になっている。それだけ自分の作ったものに自信があるからなのか、時間を超越するということには、一つも不安要素はないと思っている。
「本当に松岡というやつはすごいやつだ」
他人事のくせに、そこだけは皆認めざるおえなかった。
未来の世界
今から行く世界は、
「きっと夢に見たことのあるような世界なんだろうな・」
という思いが強かった。
だが、一つ気になっていることがあった。それはタイムマシンやこれから行く未来のことではない。いわゆる、
「タイムパラドックス」
についての懸念であった。
というのも、
「タイムマシンを作ってから未来に行ってみる」
ということを考えた時、それまでは考えてもいなかったことがいろいろ頭に浮かんできたのだ。
それまでは、もう少しでタイムマシンは完成すると思っても、実際に完成するまでは完全に他人ごとだったということを身に染みたからである。タイムマシンが現実になると、それまでになかった発想がいろいろ出てくる。そういえば、子供の頃の夏休みの宿題であったり、大学になっても、レポート提出や、試験勉強などはギリギリにならなければやらなかった。
「俺はギリギリになってから力を発揮するタイプなんだ」
と自分で言っていたが、まさにその通りだった。
そんないろいろな発想の中でも一番気になったのが、
「どうして、今まで自分たちの前にタイムマシンでやってきたと思しき未来人が現れないのだろう?」
という発想であった。
未来人が現れれば、実際にタイムマシンが未来において開発されるという証明となるのだ、その証明を示したくないという力がどこかで働いているのか、タイムマシンを開発した時に、
「過去に行って、タイムマシンの存在を明かしてしまってはいけない」
という決まりができたのか。