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時間の螺旋階段

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。若干実際の組織とは違った形態をとっているものもありますが、フィクションということで、見てください。

            公園の死体

 令和三年の公園は、以前に比べて平和に見えるようになった。昔であれば、ホームレスが街に溢れていたが、今はその影もない。法が整備されたのか、それとも、自立支援だ安泰が、公的私的に充実しているからなのか分からないが、なぜかあまり見かけない。
 ここ一年ほどで、ホームレスの数は無能な政府のせいで、爆発的に増えたはずなのに、どうしたことだろう。
 いろいろと考えてみてもよく分からない、警察が取り締まっているのだろうか。
 ただ、ホームレスが生活できる場所が確実に減っているのは確かなことで、昔であれば、駅のコンコースや、都会の地下街などにいたはずだが、今は電車であれば、終電から始発まで、地下街も、鉄道が動き始めるまでは、シャッターや玄関を閉めて、中に入れないようにしたのだ。
 そのせいで、ホームレスは、自然と公園や河川敷であったり、空き地などに集まってくる。以前は、経済問題などで、不況になり、リストラの嵐が吹いた時などは、ホームレスが街に溢れ、さらに、バブル崩壊後の経済を支えてきた(?)と言われる非正規雇用の派遣労働者の首を簡単に切ってしまうことで、
「派遣切り」
 などと言って、簡単に首を切っていた時代もあった。
 考えてみれば、バブルの時代から、バブルが弾けた時も、バブルの時代の象徴である、事業拡大のため、優秀な人材を少しでも取るために、明らかな
「売り手市場」
 だった時代があり、その頃は、明らかに就活側が有利だった。
 学生は一流企業の内定をいくつももらい、引く手あまたな中で、企業側も他に取られたくないものだから、まるで大手取引先の接待でもあるかのように、高級料亭に招いて食事を振る舞ったり、研修と称して、海外旅行に連れていったりして、他に取られまいと必死だった時期があった。
 だが、それが完全にピークであり、実態のないバブルが弾けてしまうと、今度は、これまで伸ばした事業を縮小しなければやっていけなくなった。
 しかも、頼みにしている銀行は破綻してしまう。さらには新規事業はすでに滞ってしまう。そうなると、生き残るにはどこかに吸収合併されるか、あるいは、徹底的な経費節減を行って、減収分を補うかしかない。
 そうなると、一番の経費というと、人件費である。
 ちまちま会社の電気を消したりしたって、そんなことは誰が見ても、無駄なことは分かっている。まるでB二九爆撃機を竹槍で叩き落そうというのと同じくらいの発想だ。それこそ、飛行機に向かって矢を射っているブッシュマンのようではないか。日本民族はそんな原始人のような民族だったのかと思わせるほど情けないことだった。
 人件費を節約するためにすること。誰が考えても出てくる答えは、
「リストラ」
 である。
 もちろん、現状社員の減給、ボーナスカットは当たり前、そしてリストラ候補を各部から一人などと出させて、
「今なら退職金が普通に出るぞ」
 と言って、退職に追い込む。
 これを当時として、
「肩叩き」
 と言われたものだ。
 それこそ、大東亜戦争中の、
「赤紙」
 と同じではないか。
 時代は繰り返すというが、今度は次の不況である、
「リーマンショック」
 でも繰り返された。
 その時のターゲットが、
「非正規雇用労働者」
 だったのだ。
 それがちょうど、平成元年くらいあたりから十年間くらいは、そういう時代だっただろうか、会社ではほとんど、実務はパートであったり、アルバイトという、いわゆる責任が軽い人たちが行っていて、正社員は責任者として、責任ばかりを押し付けられるようになっていたのだ。
 パートやアルバイトも、今の形態とは違っていて、今のように、責任のある仕事をしなければいけなかったりではない。あくまでも、作業者としての待遇であり、責任は責任者としての社員が負うことになる。
 だから、給料に差があっても当然であり、それで文句をいう人はいなかった。そのかわり、仕事を掛け持ちでやっている人も多く、昼間と夜で別々の仕事をやっていた。
 残業もなければ、副業をしてはいけないなどという規則もない。何しろ、アルバイトやパートには会社の就業規則は関係なく、あくまでも、臨時雇いのようなものである。したがって、数か月で雇用契約を更新しないと、自動的にクビになってしまうという状態だった。
 それに、健康保険や年金もない。そんな時代だった。今のように、
「働き方改革」
 などという中途半端な法律のせいで、会社も社員もでたらめになりつつあるではないか。
 その最たる例が、三十年前でいうところのアルバイトやパートを誰がやっているかというと、
「留学生」
 などという肩書のついた外人どもであった。
 やつらを雇うと、国から補助金が出るし、しかも、安い単価でこき使えるということで、今の表に出ている営業以外の接客業のほとんど、スーパーやコンビニのレジであったり、ファイレスのお給仕などは、ほとんどが外人ではないか。
 言葉が何とか通じるからいいものの、あの連中にやらせて本当に大丈夫なのかと思うのは結構いたかも知れない。
 今は慣れてきているので何とかなっているのだろうが、政府も余計なことをしてくれたものである。
 そのうちの何人が、授業料が払えなくなったり、学校に行かなくなったりして、退学になり、本国に強制送還されるべきなのに、それを知っていて、不当就労している店も絶えないという。
 さて、それは今の時代の話であるが、リーマンショックになるまで、日本の企業は、外国特にアジアの発展途上国だったり。国土の広い国に工場を展開し、安い賃金で、地元の人間を雇うというやり方をしていた。
 やり方は違うが、何となく、昔の欧米列強による、
「植民地時代」
 を感じさせるのは、筆者だけであろうか。
 だが、民族性の違いで片づけられないような手抜きによって、入ってきた製品が粗悪なものであるという問題も起こったりした。
「さすがに、安い連中は粗悪なものしか作らねえな」
 と言われても仕方がないだろう。
 それでも、大企業は安価なものを求めて、海外に工場をたくさん作るようになった。
 それから、リーマンショックなどの不況が襲い掛かってくると、今度は、さらに業務縮小を余儀なくされ、一時期問題になった、
「派遣切り」
作品名:時間の螺旋階段 作家名:森本晃次