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静岡のとみちゃん
静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑥びわ湖一周の旅(滋賀県)

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 最後は、北陸本線の踏切を渡ったところにある「長浜鉄道スクエア」だ。鉄道好きな私にとっては、ここは聖地のひとつだ。妻は鉄道に興味はないため、このひとり旅でこそ、じっくりと時間をかけて見ることができる。
 蒸気機関車(SL)の屋内展示は嬉しく、当時の多くの写真が見られるのも嬉しい。それは、中学生の頃、まだ走っていたSL(9600型やC11)の写真を撮っていたからだ。当時、この言葉はなかったが、私は「撮り鉄」だった。カラーフィルムは高価で、そのプリントも高いため、専ら白黒フィルムで撮っていた。その後は、「撮り鉄」からは離れたが、つい最近、軽便鉄道に興味が湧き、取材して記事を書く「書き鉄(?)」になってしまった。
 この「長浜鉄道スクエア」は、現存する日本最古の初代長浜駅舎をそのまま保存しており、特に1階は駅の事務所と待合室、その空間にいると、陸蒸気(おかじょうき)が近付いてきそうな気がする。
 D51(SL)とED70(電気機関車)の展示の周りの壁には、東海道本線の古い駅舎の写真が展示されており、自宅の最寄り駅の写真を探したところ、数年前までの古い駅舎の懐かしい姿があった。
 展示物で最も興味を抱いたものは、びわ湖周辺の鉄道の敷設の歴史だった。
 若狭湾の敦賀(つるが)は昔、京阪神を控えた大陸向けの代表的な貿易港だった。その敦賀から長浜まで鉄道が敷かれ、そこからはびわ湖の船便で大津へ、そして鉄道で京阪神へ。当時の、びわ湖の船便の利便性や重要性の歴史を学ぶことができた。日本の近代史においては、日本海側が表日本だったのかもしれない。

 3時間内に駐車場に戻った。無料のはずなのに、自動精算機から、大型車並みの2000円を徴収されてしまった。旅が終わった後、駐車場の管理事務所に連絡を取り、事情を説明すると、無事に返金された。この2000円が徴収された理由は、キャンピングカーの車高が、大型車並みの高さに自動検知されたことだった。自動精算機には一般的に、管理事務所につながるインターホンが付いているので、次回、こういうケースが起きたならば、インターホンで説明することにしよう。

 長浜から南へ進むと、昨日、車中泊しなかった道の駅「近江母の郷」が見えてきた。そのショップにも入っていなかったので立ち寄ったが、ここも定休日だった。

 道の駅に望みたいことは、定休日がないこと、それに、ショップの閉店時間がもう少し遅くなって欲しいこと。期待して道の駅に到着した時に見る「定休日」の3文字は、小さくないショックを覚えてしまう。この要望は、旅人の一方的な期待(ぼやき?)なので、聞き流してください。

 湖周道路を更に南下すると左手に、国宝「彦根城」が見えてきた。
 明治の廃城令で解体された城が多かったが、滋賀県では、彦根城は唯一保存された城だった。それならば、行ってみるべき城なのだが、先ほどの長浜城の記憶と、この彦根城の記憶が、混ざってしまいそうなため、彦根城は今回、パスすることにした。彦根城は、国宝に指定された五つの城のうちのひとつのため、後日、訪れる機会があるだろう。
 ちなみに、五つの城とは、姫路城、松本城、松江城、犬山城、そして彦根城だ。ちなみに、姫路城には平成の大修理の取材で、そのビフォー・アフター、それに修理中にも訪れたので、合計3回も行ったことがある。そして松本城には、信州の旅行の都度、立ち寄っているので、ここにも3回ほど行ったことがある。前者は「白鷺城(はくろじょう)」、後者は「深志城(ふかしじょう)」との別名を持つ。

 湖岸道路は、びわ湖にせり出した山を避けるように、一旦、内陸に入り、びわ湖の最大の内湖(ないこ)の西の湖(にしのこ)からびわ湖につながる長命寺川に沿って走った。ちなみに、近江八幡の八幡堀は、この西の湖につながっている。
 近江八幡にはこれまで、2回ほど行ったことがあり、散策した古い街並み、明治橋から眺めた小舟が行き交う八幡堀、ロープウェーで登った八幡山、等の思い出がある。そういえば、バームクーヘンも買った。美味しかった。今回は近江八幡をパスして、湖岸道路を更に南下した。