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静岡のとみちゃん
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悠々日和キャンピングカーの旅:⑥びわ湖一周の旅(滋賀県)

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 さて今から、びわ湖をどちら向きに回ろうかと考えた。湖東から湖北まで来たのだから“左回り”とも考えたが、昨日、比良山地に沈む夕日の写真を撮った後は、暗い中を走ってきたため、湖岸風景は何も見えなかったことを思い出し、その景色を見るために“右回り”に走ることにした。ビワイチの自転車とは逆回りだ。

 先ずは、昨夜、車中泊した道の駅のショップに入っていなかったので立ち寄ったが、残念ながら、今日は定休日だった。

 更に南下して、姉川(あねがわ)を渡りながら思い出したのは、かつてのバイクのキャンプツーリングの際に、姉川河口公園でひとり、暗闇の中でテントを張って、キャンプをしたことだ。そこを再訪したくなり、湖周道路を右折した。
 直ぐに南浜漁港があり、その横を通過すると、目の前に水泳場が広がった。近くには何軒かの民宿があり、その先に進むと、姉川河口公園「デルタ」の入口があった。ここまでは何となく思い出した景色だったが、公園入口のスペースに駐車して、「デルタ(三角州)」に通じる短い橋から先の景色を見たとき、懐かしさを感じた。

 戦国史で「姉川」が登場するのは、織田・徳川連合軍と浅井(あざい)・朝倉連合軍の「姉川の戦い」だ。これは、織田と朝倉の「金ヶ崎(かねがさき)の戦い」で、浅井の裏切りで敗走した織田、そのリベンジの戦だった。この「姉川の戦い」の結果、敗れた浅井・朝倉連合軍にはまだ、余力は残っていたが、浅井家の被害は甚大で、滅亡に向かうことになった。
 この戦で数多の兵が討ち死にした姉川は血で染まり、その下流がこのデルタだったことをツーリングの後で知った。木々が生い茂るデルタの暗闇の中で、ひっそりとテントを張り、寝袋に入って寝たのだが、今思えば、その歴史を知らなくて良かったと、心底、そう思った。

 初夏の陽射しの中、当時、テントを張ったおおよその場所を想い出した。湖周道路から少し離れているデルタだが、今も誰もおらず、当時も今も、ここは静かで寂しい場所だ。うっそうと茂る木々の間を歩き、河口に出た。打ち寄せる小さな波の向こうに広がる湖を暫くの間、眺めていた。

 キャンピングカーに戻り、湯を沸かし、湖岸でバス釣りをやっていた若い人と会話しながら、昼食のカップラーメンを食べた。

 デルタを後に、湖周道路に出てすぐのところにあった「産地直売 産直ビワ みずべの里」に立ち寄り、ビワと鮎の甘露煮を買った。今日の晩飯のおかずとデザートだ。

 更に南下して、長浜方面に向かった。TVの旅番組ならば、上空のドローンが湖岸のさざなみ街道を走るキャンピングカーを捉え、カメラを引くと進行方向に長浜城が見える映像になるのだろう。そんなことを思いながら走り、城の南側の豊(ほう)公園内の公営駐車場に入った。普通自動車は3時間までは無料であり、キャンピングカーは普通自動車のため、それに合わせるように長浜市街を散策することに決めた。

 この長浜は、「姉川の戦い」の後、浅井を滅ぼした「小谷城の戦い」の功で、織田信長から浅井氏の旧領(北近江)を拝領した羽柴秀吉が、小谷城での執務では限界があることから、当時、今浜と呼ばれていた地を信長の“長”を頂き“長浜”に改名し、築城したのが「長浜城」だ。その後、城下町が広がり、北国街道の宿場町として栄えた。

 長浜の城下町を歩き回る前に、バイクツーリングの際に入った立ち寄り湯があったことを想い出し、そこに行ってみた。それは、豊公園内の国民宿舎「豊公荘(ほうこうそう)」内の、長浜太閤温泉の湯を引いた温泉だった。国民宿舎の正面玄関から入った際の雰囲気から、当時のことが蘇った。すっかり忘れていたことを何かの拍子に思い出すのは、頭の中はどういう回路になっているのか、不思議なものだ。国民宿舎のスタッフの方とそんな会話になった。

 そして、豊公園の主人公の「長浜城(長浜城歴史博物館)」に向かった。
 城内の展示物のひとつひとつをじっくりと見て、読んで、のんびりと回った。天守閣の最上階は展望台の「望楼」で、西に広がるびわ湖が一望でき、太閤さんも同じように、この景色を見ていたのだろう。
 大阪城が築城された後は、長浜城の城主は山内、内藤に替わったが、豊臣氏が滅亡すると、長浜城は跡形もなく取り壊され、石垣など多くの材料が彦根城の建設のために使用された。現在の長浜城は犬山城や伏見城をモデルに復興されたもので、厳密には、太閤さんが見た景色と私が見ている景色は多少異なるのだが・・・。
 「キャンピングカーの旅」は心のゆとりを作ってくれるのか、時間の経過が気にならない。太閤さんや長浜城の歴史をじっくりと勉強できた。

 長浜の町の始まりを学んだ後は、JR北陸本線の長浜駅内の観光案内所で、長浜の街のマップを入手し、街へと繰り出した。
 先ずは、「海洋堂フィギュア」のショップへ入った。このミュージアムの入場料は900円もするので、その分、ショップ内に展示されていた商品サンプルをじっくりと見て回った。まあ、それで十分だという気にもなったが、ミュージアム内はさぞ素晴らしいのだろうが、別の機会に入場することにした。というのも、今現在、少し離れた場所で新装開店に向けて工事中だったことも、そう考えた一因だった。

 その少し先の「黒壁ガラス館」に入った。装飾品やグラスのようなガラス製品を見て回ったが、私にとってはやはり興味の対象ではなく、そんな私を見ていた店員さんに、妻ならばじっくりと見て買うだろうねと伝えて、ガラス館を出た。
 このあたりは黒壁の家が立ち並んでいたが、ネットで調べたところ、このエリアは「黒壁スクエア」と呼ばれる長浜随一の人気観光スポットで、江戸時代から明治時代に建てられた黒漆喰(くろしっくい)の伝統的な和風建造物が並んでいる場所だ。それが旅情を誘うのだろう。黒壁1號館から30號館まであるようで、それらは土産店や特徴のあるショップになっていて、多くの観光客がいた。

 それからアーケード街に入った。その入口の上には、大きな歌舞伎のワンシーンのようなオブジェが掲げられていた。アーケード街を少し歩き、路地を抜けると、「長浜浪漫ビール」の醸造所とレストランがあり、今度、ビールが好きな妻と来た時にでも立ち寄ることにした。